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    中国通史で辿る名言・故事探訪(道のある所、天下之に帰す)

      「道のある所、天下之に帰す」

                         殷王朝末期

       ある日、周の君・西伯昌と太公望呂尚が治国の方策について語り

      合った。

       その内 太公望は西伯昌から “天下掌握の方策” を問われた。

       太公望 語って曰く、

       「凡そ人は死を悪(にく)みて生を楽しみ、徳を好みて利に帰す。

       良く生利をするものは道なり。

       道のある所、天下 之に帰す」と。

       即ち天下は万民と共にあり、天下の利は君主と万民が与に共有

      すべきものである。

       これをもたらす君主は「仁」であり、人民の困窮を救うのが「徳」と

      言える。

       そして人民と喜怒哀楽を共にすることが、「義」であるといえる。

       仁・徳・義を全うするのが君主の道であり、道のある所 自ずと

      万民は天下に従う。 

               太公望呂尚編  「六韜(りくとう)」文韜篇

        ※ 六韜とは古代の兵法書で、文韜・武韜・竜韜・虎韜・

          豹韜・犬韜の六巻から成る。

           太公望の著とされるが、その成立は魏晋時代である。

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(獲るところ覇王の輔ならん)

      「西伯昌と太公望の出会い」

                           殷王朝時代末期

       

       諸侯国の君の西伯昌が、或る日のこと狩猟に出ようとして、之を

      占ったところ、次のような卦が出た。

       「獲るところ龍に非ず彲(ち)に非ず、虎に非ず羆(ひ)に非ず、

      獲るところ覇王の輔ならん」と。  

         ☞ 彲とは、蛟龍(みずち)のことで、蛇に似た水生の生き物。

            羆は、ひぐま。
      猟に出かけてみると、果たして渭水の陽(きた。=北)で釣糸を垂れる

     呂尚に邂逅した。

      西伯昌が声をかけると、呂尚は釣りに譬えながら政治の彼是について

     自論を展開した。

      意を得た西伯昌は共に語り、且つ感動し大いに喜んだものである。

      そして西伯昌は言う、

      「我が先君太公(祖父の古公亶父)より曰う、

      『当に聖人有りて周に適(行)くべし。周 因りて以って興らん』 と。

      子は真(まさ)に是(これ)か。

      我が太公、子を望むこと久し」と。

      故に之を号して、太公望と曰う。車に載せて与に帰る。

      立てて師と為し、之を師尚父(ししょうほ)という。

        ※ 太公とは、王朝の創建後に王朝の始祖として崇めて

          付けられる諡号。

           尚 古公亶父の古公は号であり、名は亶父という。

                          「十八史略」三代・周武王
       

    テーマ : 神話伝説逸話
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(西伯昌、羑里に幽閉)

      「西伯昌、羑里に幽閉される」

                        殷王朝

       后稷(こうしょく)を祖とする周は、西伯昌の代になって政治の範

      を后稷・公劉(后稷の曽孫)・古公亶父(ここうたんぽ。西伯昌の

      祖父)・季公(西伯昌の父で王季とも)等の先君に求めて、仁政に

      これ努め、老を敬い少を慈しみ、賢者には礼下し日中まで食するに

      暇非ず。以って士を待つという国風を醸し出していた。

       そのような訳もあって、多くの士がその下に帰した。またその名声

      はとみに高まっていた。

       そんな彼の下には、太顛(たいてん)・閎夭(こうよう)・散宜生

      (さんぎせい)・鬻子(いくし)・辛甲大夫らが集まってきた。

       三公でただ一人生き残った西伯昌が、先に処罰された三公で

      あった九侯と鄂侯(がくこう)のことを悲しんで嘆息すると、早速 

      紂王に密告する者がいた。

       西伯昌の人望を嫉む諸侯の一人の崇侯虎(すうこうこ)である。

       「西伯昌は盛んに善を積み徳を重ねており、諸侯が皆之に従おう

      としております。

       これは当に帝にとりて、利とはなりませんぞ」と謗ったのである。

       この中傷があって、西伯昌は直ちに羑里(ゆうり)に幽閉された。

         ※ 羑里は地名であるが、殷代においては「獄舎」の名でも

           あった。

            西伯昌の羑里の幽閉は、史記説では紀元前1068年。

        だが西伯昌の臣下である閎夭、散宜生らが有莘国の美人や、

        驪戎、国の文馬や有熊地方の駿馬三十六頭、その外多くの珍品

        を調達して、朝廷の寵臣・費中を通じて献上した。

           ※ 文馬とは、たて髪は赤く、馬体に縞模様があり、黄金の

             眼をした稀有の馬といわれる。

         紂王は相好を崩して、喜んで言ったものである。

         「この一物(有莘国の美女のこと)にしても、以って西伯昌を

        釈(ゆる)すに足る。況やその多きをや」と。

         即ち西伯昌を赦し、これに弓矢斧鉞などの下賜品に加えて

        夷荻征伐の権まで与えたのである。そしてあろう事に、西伯昌を

        謗ったのは崇侯虎だとも口を滑らした。

         だが西伯昌はそれを聞いても怒るどころか、この機会に洛西

        の地を紂王に献上することを申し出て、其れと引き換えに「炮烙の

        刑」の廃止を請願して、承知させた。

                       「史記」殷本紀



       

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(夢に良弼を得る)

     「夢に良弼を得る」

                        殷王朝

       殷王朝の武丁(22代)が、夢見の中で良き補佐役を得た故事。

       帝小乙(21代)が崩じた後、太子の武丁が即位した。諡号は高宗。

       武帝は即位するや父帝の喪に服して、三年間 一人で亮陰に

      過ごす。

       喪が明けた後、何とかして殷王朝の威光を昔のように取り戻したい

      と思念していた。

       しかし、自分の良き補佐役となるべき賢者は身近にいなかった。

       そこで政治の事は大臣連中に任せて、それ以来 ものを言わなく

      なった。

       困り果てた群臣は王を諌めて言う、

       「物事をよく知っている者を明哲と申します。先ずは、掟を定め

      られるべきです。

       されば明哲な天子様が万国を治め正されてこそ、百官はそれに

      則り業に当たるのでございます。

       ところが陛下は何も語られないので、臣下どもは命令をお受け

      しようがないのです」と。

       臣下の進言を受けて、武丁は布告した。

       「予の徳が四方の政を取り仕切るに相応(ふさわ)しくなく、全う

      できないのではないかと懼れ、ものを言わないできた。

       慎んで沈黙を守ってあれこれと道を思索しているうちに、或る夜 

      予は夢に良弼(りょうひつ)を得た。

       上帝(天帝)が予に立派な輔佐をお与えくださるというのだ。

       自今その者が予に代わってもの言うであろう」、と。

       そこで夢枕に現れたその者の容貌を語り、其れを絵姿に描かせて

      天下に触れを出して探させた。

       それから漸くにして傅巌(ふがん)という所で、囚人として働いて

      いた説(えつ)という名の者を見出して、宰相に取り立てた。

       この説には氏姓が無かったので、傅巌という地名の傅(ふ)を姓と

      させた。

       武丁は傅説を任ずるに際して、彼に自分の存念を語り希望を述べた。

       「もし薬、瞑眩(めいげん)せずんば厥(そ)の病 癒えず。

         (=薬も目も眩むほど強くなければ、、病は治らない。)

       だから諫言する時は遠慮することなく、強烈に諌めてほしい」と。

             「書経」商書篇・説命上、 「十八史略」三代・殷

       ※ 「書経」・説命では、この武丁を褒め称えて、明哲という。



    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る故事・名言探訪(妖は徳に勝たず)

      「妖は徳に勝たず」


                 殷王朝時代

       殷王朝の第8代帝雍己が在位12年にして崩じたので、

      太子が即位した。これが第9代太戊(たいぼ)王である。廟号は中宗。

       初代湯王の良き補佐であった宰相伊尹の孫・伊陟(いちょく)が

      輔佐の任に当たり、ようやく衰退傾向にあった王朝の威勢に歯止め

      をかけた。

       伊陟が宰相になったとき、朝廷内で不思議な怪奇現象が生じた。

       朝方、庭に楮(こうぞ)と桑の木が絡み合って生じ、一晩 経つと、

      両手で抱えるほどの大きさになった。

       太戊王は非常に懼れて、その事を伊陟に問い質した。

       伊陟曰く、

       「臣 聴く、『妖は徳に勝たず』と。

       帝の政、其れ闕(か)くあるか。

         (=政治に関して不十分なところはありませんか。)

       帝、其れ徳を修めよ」と。

         (=もし不十分であるならば、なお徳をよく身に付けられよ。)

       太戊王は伊陟の言に従って、民政に大いに力を入れたので、いつしか

      庭の桑と楮は枯死した。

       また太戊王は伊陟を信任し、その良き補佐もあって王朝は昔日の威勢

      を取り戻し、中興に当たったので「中宗」と称された。

                   「史記」 殷本紀、「十八史略」三代夏后氏

        

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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