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    中国通史で辿る名言・故事探訪(斉の田氏)

     「斉の田乞、田氏隆盛の基礎固め」

                        春秋時代

     田乞(「こつ」は慣用読み。字は釐子【きし】)は、春秋の覇者 斉の桓公

    の時に陳から亡命してきた王族(公子)陳完の六世の孫で、斉の二十六代

    景公に仕えて大夫となり、次第に才略を以って田氏隆盛の基礎を確固たる

    ものにした。

     【小斗を以って受け、民に与えるに大斗を以ってす。】

     年貢は小さな枡(斉の公用枡)で受け取り、

     貸し与える時は何と大きめの枡(田氏の私用枡)を使い領民の衆望を得た。

     景公はその事を黙認したが、宰相の晏嬰が王を諌めるが聞き入れなかった。

     この田氏の魂胆を見抜いた晏嬰、仕方なく。

     「斉はやがて田氏のものとなろう』と予言した」という。

                         「史記 田敬仲世家」




     

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    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(晏子春秋)

     「北郭子、節に死す」


                        春秋時代

     春秋時代の紀元前6世紀後半、 晏嬰(あんえい)という斉の宰相の

    宰邑(封地)に北郭騷という士が住んでいた。

     ※ 晏嬰:字は平仲。

       斉の三代の君主(26代景公等)に仕えた春秋時代の名宰相。

     彼は兎取りの網を作ったり、筵を織ったり、麻の靴を縫ったりして生計を

    立てて母を養っていた。

     だがその生活はひどく苦しいものであった。

     そこである日のこと、どうにもならず宰邑主たる晏嬰の邸宅に行き

    生活費の援助を請うた。

     その応対に出た家僕は、晏嬰に次のように口添えをした。

     「北郭騷は斉の賢者です。彼の気質や持節は天子に臣たることを

    肯んじ得ず、敢えて諸侯にも仕えません。

     不義の利はかりそめにも取らず、危難もそれが正当であれば敢えて

    避けず全く恐れません。

     その彼が今日 母親への援助を求めて来たのは、御主君様の道義心

    に敬服しての事でしょう。

     どうかご希望を叶えてやってください」と。

     晏嬰は人を遣り、食料と金銭を持参させた。

     しかし北郭騷は、食料だけを受け取った。

     それからしばらくして、晏嬰が斉君に疑われて出奔することになり、

    その際に北郭騷を訪ねてお別れをしようとした。

     北郭騷は沐浴して身を清めてから、晏嬰に尋ねた。

     「どちらへ行かれますか」と。

     晏嬰は、

     「君に疑いをかけられたので、今 出奔するところです」と。

     北郭騷は、

     「夫子、之を勉めよ(どうぞお大事に)」と言った。

     晏嬰は車に乗ると、ため息をついて言った。

     「嬰の亡(逃)ぐるもそれ宣(むべ)ならずや。

     亦た愈々(いよいよ) 士を知らざること甚だし」と。

     (=嬰が出奔するのも、思えば当然のことだ。まるで士を見る目が

      無かったのだから。)

     晏嬰が去ってから、北郭騷は友人を招き己の心情を話した。

     「私は晏嬰の道義心に敬服し、母を養うために援助を頼んだ。

     諺に言う、

      『親の面倒を見てもらったら、その人の災難は我が身で受けよ』と。

     今、晏子は非常な苦難に陥っているので、私が身命に代えてお助け

    しなければならない」、と言って正装した。

     そして友人に剣と箱を持たせて国君の宮殿に行き、取次の者に言った。

     「晏子は天下の賢者です。彼がこの国を去れば、斉の国は他国に侵略

    されるでしょう。

     国が他国に侵略されるのを見るくらいならば、先に死んだ方がましです。

     どうか私の頭を以って、晏子の身の潔白の証としてください」と言って

    から、次に供をしてくれた友人には、

     「我が頭を箱に入れ、取次に渡して欲しい」と言い残してから自裁した。

     斉君は、この事を知り驚愕した。

     直ちに駅伝を飛ばして晏嬰を捜し、自らも国境の所で追いついて、

    帰国を説得した。

     流石に晏嬰もやむを得ず帰国することに同意した。

                           「晏子春秋 雑上二十七」



     

     

     

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(兵法家の誕生)

     「斉に救世主、現る」

                        春秋時代

    ” 将、軍に在りては君命も受けざることあり ” 

     戦場における前線指揮の将軍は、一旦軍中に入った以上は、たとえ

    君命があろうとも従わないこともある。

     田穣苴(じょうしょ)は斉の兵法家であり、その戦術は「司馬法」として

    広く普及した。

     彼の遠祖は、春秋時代の陳の公子・田完である。

     その田完は将軍職の大司馬に任ぜられたので、一般には司馬氏と

    言い習わされきた。

     田穣苴は、そのような訳で以後は司馬穣苴と記す。

     斉の26代景公の時代(前547年~490年)、斉は晋・燕に敗れて

    国はじり貧状態にあった。

     まさにそのような時、司馬穣苴は宰相の晏嬰(あんえい)に推挙されて

    出仕するようになった。

     穣苴は出仕するに当たって、景公にひとつの事を願い出た。

     「臣は微賤の出であるので、将士の信を得ることが出来ません。

     そこで君の寵臣で、国人らの敬愛を受けている人物を副将に付けて

    戴きたい」、と。

     景公はそこで荘賈(そうか)を任命した。

     穣苴は荘賈に対して、翌日正午に軍門に集まるよう命令を伝達した。

     荘賈は穣苴を軽く見ていたので、自分の送別の宴が正午を過ぎても

    軍門に行かなかった。

     やがて招集の時間が来たので、穣苴は全軍の閲兵をして軍令を伝達

    した。

     夕方になってから、ようやく荘賈が現れた。

     穣苴は軍令官に、

     「遅刻した罪は何であるか」と聞き、

     それが斬罪であることを確認すると、これに従って荘賈を処罰しよう

    とした。

     これに驚いた荘賈は、急ぎ景公の元へ急使を派遣した。

     しかし穣苴は全軍に軍律の厳しさを徹底させるため、穣苴の処刑を

    執行してしまった。

     間もなく君侯の使者が、赦免状を持って軍営の中を下馬しないで

    乗り込んで来た。 

     穣苴は使者に対して、

     「将は、軍中に在りては君命も受けざる所あり」、

    と言って全く動じないばかりか、軍令官に向って使者が陣中を馬で馳せた

    罪が斬罪に当たることを確認した上で、

     「君侯の使者を斬ることは出来ない」と言って、使者の馬車馬と御者

    を斬らせた。

     このように穣苴の軍律は厳格を極めたが、自分の俸禄を私せず散財し、

    自ら病人には薬を煎じ、兵と同じ食事を摂った。

     かくして三日後には、全軍は勇躍して出陣した。

     この新しい斉軍の動向を伝え聞いた晋・燕軍は、戦わずして斉の占領地

    から撤退を開始した。

                         「史記 司馬穣苴列伝」

       

     

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(蒙求より)

     「庶女振風」

                         春秋時代

     平民の女が、天に向かって無実の罪を訴え続けるという意。

     春秋時代の末期で 斉の景公(26代。在位期間は前547年~490年)

    の時代、一人の平民の寡婦がいた。

     ところが、この寡婦の嫁ぎ先の小姑に謀られて、「義母殺し」の汚名を

    着せられた。

     だが貧しい寡婦には我が身の無実を証明することが出来ず、悲嘆にくれ

    天に向かって己の無実を訴え続けるという故事があった。

     遥か後の事になるが、この故事を前漢の淮南王・劉安が撰入して

    「淮南子・覧冥訓」に記した。

     そして後漢の時代になり、許慎がこの故事を注して言った。

     平民の女とは、斉の国の寡婦である。

     子供は無かったが、再婚しないでよく姑に仕えていた。

     この姑には、他に男子はなく娘が一人いた。

     ところがその娘は、将来 母の遺産を多くとろうと思って、母に勧めて

    寡婦を再婚させようとしたが、寡婦は最後まで承知しなかった。

     事ここに至るや、娘は遂に実母を殺した挙句に、寡婦が殺したのだと

    官署に訴え出た。

     寡婦は、自分でわが身の無実の証しを立てることは出来なかった。

     だが無実だという信念に揺ぎは聊かも無く、天に向かっては己の無実を

    毎日 訴え続けたのである。

                       「蒙求 庶女振風」



     

     

     

     

     

     

     

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(卿大夫の専横)

      「君主弑殺の魁」

                        春秋時代

     斉においては、春秋の初期において覇者となった16代桓公の死後、

    1世紀が経った頃から公子達の間で激しい君位の相続争いが起こり、

    内紛が絶えなかった。

     その当然の結果として国の実権は、次第に君侯を擁立しようとする

    卿大夫に握られるようになっていった。

     そのような状況下 大夫の崔杼(さいちょ)が擁立する公子・呂光が

    即位した。これが25代荘公である。

     大夫・崔杼の臣下で東郭偃という者がいた。

     その者の姉の姜は、棠の大夫・棠公に嫁しており、名は棠姜という。

     ところが棠公が死ぬや、その美貌に目を付けた崔杼は東郭偃の反対

    にも拘らず強引に娶ってしまった。

      ※ 古代中国では、「同姓に嫁せず」という不文律の慣行があった。

        崔杼の先祖は斉の丁公(2代)であり、東郭偃の先祖は斉の桓公

        (16代)で、共に姜姓(呂姓とも)であった。

     そうした或る日 崔杼の妻となった東郭偃の姉・姜と荘公が密通する

    ようになった。荘公の恩知らずともいえる行為であった。

     それ以後 崔杼は荘公弑殺を決意し、その機会を窺っていた。

     その内 隣国の晋に内乱が生じると、荘公は好機到来とばかりに晋に

    攻撃を仕掛けた。

     崔杼は強敵となる晋を恐れて、いよいよ荘公を亡き者にしようと謀るが、

    容易にその機会を掴むことが出来ないので、荘公の近侍の者を抱き込ん

    だりして動静を窺っていた。

     五月になり莒の君主が伺候して来たので、歓迎の酒宴が張られたが

    崔杼は病と称して列席しなかった。

     その翌日 荘公が見舞いにかこつけて崔家を訪れたが、直ちに崔姜

    の部屋に向かった。

     だがこの時、崔姜は夫と共に室外へ逃れていた。

     荘公の供をしてきた近侍の賈挙(かきょ)は、他の従者を全て屋外に

    残し、自分だけ屋敷内に入ると出入り口をすべて閉じてしまった。

     そして突如として、崔杼の手はずどおり、隠しておいた武装兵が荘公

    を取り囲み弑殺した。

     荘公の直属の臣や騒乱を聞きつけて駈け込んで来た幾人かの忠臣は

    壮絶な討死を遂げた。

                      「春秋左氏伝 襄公二十五年」



     

     

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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