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    中国通史で辿る故事・名言探訪(羿の伝説)

      「太陽を射落とした羿の伝説

                     中国神話時代

     羿(げい)は弓の名手として、古来からよく知られた伝説上の人である。

     その伝説は堯帝の時代のものであったり、夏の時代のものであった

    りして、またその内容にもそれぞれ異同があったりして特定的ではない。

     だが彼が超人的な弓の名手であったという事だけは一致している。

     とりわけ有名なのが、「太陽を射落とす」という伝説である。

     堯の時代、太陽が十個 出現するという天変地異があった。

     作物は枯死し、人民は食べるものが無くなり、さらに妖怪が横行し

    異変が度々生じて人民を大いに苦しめた。

     この有り様を見て天帝は、天から一人の神・羿(げい)を遣わした。

     そこで堯帝は弓の名人でもある羿に命じて、九個の太陽を射落とさ

    せて妖怪を退治させた。

     万民は大いに喜び、堯を天子に推戴したという。 

     ところが天帝は自分の子である九つの太陽を殺されたので、何時しか

    羿を疎ましく思うようになり、羿とその妻の姮娥(嫦娥とも)を神藉から

    外してしまった。

     即ち彼らは最早 不老不死ではなくなったのである。

     そこで羿は、崑崙山の西に住むという仙女の西王母を訪ねて、二人分

    の不老不死の仙薬をもらって帰った。

     ところがあろう事か 妻の姮娥が羿に断りもせず、二人分の仙薬を飲ん

    でしまい仙女となって昇天してしまった。

     彼女はそのまま月に棲みついたが、羿を裏切った報いで体は瞻蜍

    (せんじょ。=蝦蟇)になってしまった。

             「楚辞」天文篇注、 「淮南子」本経訓



    テーマ : 神話伝説逸話
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る故事・名言探訪(探訪完了の雑感)

    「探訪完了の雑感」

     平成25年1月4日から記述し始めた「中国通史で辿る名言・故事探訪」

    もどうにか終末を迎えることが出来た。

     まだまだ、アレモコレモと思いは多々残るが、この辺で一応 区切りを

    付けておきたいと思う。

     しばらく充電期間を置いてから、再検討して体系を再構築し、内容の

    不備や不具合を補正し、さらには記事内容を増量し充実させたいと

    思念しています。

     

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(感謝の一語)

      マイブログ立ち寄りの方々への感謝 

    2013年1月4日に踏み出したマイブログが、本日 6月24日に

    77、777に達しました。

     自身は轗軻不遇なものと自認しておりましたが、いつのまにか

    万ころのアクセスを達成させて戴き感謝感激の念を禁じ得ません。

     一応 ブログ投稿の初期の思いは叶い、一段落となり終了しました。

     今後は、不十分かつ不備であったりしたものは再考し、増補改訂

    しようと思っています。 

     アドバイスやコメントを戴ければ幸甚に存じます。

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(北京の五十五日)

     「北京の五十五日」

                        清朝

      1898年、二人のドイツ人神父が殺害されたのを契機として、ドイツ

     軍は膠州や青島を占領し、清朝に膠州湾の租借を強要して認め

     させた。

      以後、ロシアは旅順大連を、イギリスは威海衛九龍を、フランスは

     広州湾の租借の権益を認めさせた。

      清末 山東などの民衆は飢饉と重税に喘いでいたが、度重なる列強

     の内政干渉に不満を懐き、遂に大きな反乱を惹き起こした。

      「扶清滅洋」

      彼らの矛先は鉄道や通信などの近代施設の破壊に向けられ、さらに

     清国人のキリスト教徒に憎悪の眼が向けられた。

      そして最後に行き着いたのが、北京の列国大公使館への攻撃である。

      これが義和団の蜂起(乱)である。

      その旗振り役を演じたのが、極端な反洋務運動派の山東鎮撫・毓賢

    (いくけん)であり、烏合之衆の義和団を体よく利用し、「扶清滅洋」を

     唱えてキリスト教徒の殺害を鼓舞した。

      清朝を扶けて西洋列強を滅ぼす、との合言葉である。

      これにはさすがの清朝も放任することも出来ず、毓賢を直ちに解任

     した。

      そして毓賢の後任となった袁世凱は、義和団を厳しく弾圧する策を

     採り、ドイツ軍と共同して自ら率いる新建軍を指揮して鎮圧に当たった。

      光緒二十六年(1900年)六月、山東を追われた義和団 凡そ二十万

     は、河北から北京に怒涛の如く押し寄せた。

      西太后は当初、この事態に甘粛の軍閥を市外に配して、その力を

     併せて利用しようと図り、光緒二十六年(1900年) 西太后はこの

     叛乱を支持して、六月二十一日 欧米列国に宣戦布告。

      目論見は外れ、義和団の独走するところとなった。

      義和団はドイツや日本の駐留外交官を殺害してしまった。

      義和団の蜂起により、駐留外交官の殺害被害を受けた日本を含む

     米英仏独露の諸国は、自国民保護を標榜して連合軍を編制して

     共同出兵した。

      地の利の在った日本は、連合軍諸国に望まれて大軍を急派した。

      宣戦布告後 二か月と経たないうちに暴徒は完全に鎮圧され、

     連合軍は北京及び紫禁城を占領し、珍品財宝などの強奪の限りを

     尽くした。

      その上 清朝は莫大な賠償金を支払わされることになった。

      これが所謂、「北京の五十五日」と謂われる戦いである。

      ※ 清朝の光緒二十七年 当時の清国の人口は推計で

       4億2645万人。

         江戸時代後期の人口は、調査対象に例外が多く、実数は

        詳らかでないが、推定で3000万人前後とされる。

         明治43年(1910年)の人口調査では、

         50、984,840人。

         日本の人口で、初めて1億人を突破したのは昭和45年

        (1970年)の万博開催の年であった。








       

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(戊戌政変)

     「戊戌政変」

                            清朝

      西太后に擁立されて幼くして即位した11代光緒帝(愛新覚羅

     載湉≪さいてん≫)は順調に成長し、光緒十五年(1789年)には、

     西太后の実弟の娘を后とした。

      そして光緒帝の結婚後は、西太后も頤和園(いわえん)移り、

     表向きは光緒帝による親政が始まったと謂われはしたが、その

     政治的実権は依然として頤和園の西太后に在った。

      だが光緒帝は、何時しか性格も明るくて賢明な側室の珍妃を溺愛

     するようになり、彼女もまた清国の近代化を夢見る皇帝を暖かく励ま

     していた。

      光緒帝は日清戦争の敗北により、いよいよ清朝の体制的なものの

     改革なくして清の近代国家への変革は果たせないと、思うまでになって

     いた。

      そのような光緒帝に対して、中国伝統の儒学に通じ且つ西欧の近代

     政治学などの学術を研究していた康有為(ゆうい)は、立憲君主制を

     講ずるうちに、何時しか光緒帝の信任を得るようになり、光緒二十四年

     (1897年)から立案の始まった百日維新といわれる「戊戌(ぼじゅつ)

     の変法」作成の推進者となった。

      だがその余りにも急激な改革方法は反発を招くこととなり、近代化を

     夢見る光緒帝に対して、西太后も何時しか危機感を覚え、保守官僚と

     ともに光緒帝を幽閉してしまった。これを戊戌政変という。

      ※ 失脚した康有為は日本に亡命し、その後 辛亥革命が生じると

       帰国して宗教活動に類することに従事したが、目的を果たすことは

       出来なかった。

        

     

    テーマ : 歴史雑学
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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