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    中国通史で辿る名言・故事探訪(周王朝の東西並立から東周王朝へ)

     「混迷の周王朝から東周王朝の創建へ」

                        東周時代

      周の国都の鎬京が、異民族の犬戎に蹂躙された後、国家壊滅状態

     の中で、幽王の二人の遺児がそれぞれの支持する諸侯によって擁立

     された。

      周王朝の西方の有力者であった西虢の虢君翰(かくくんかん)は、

     申公や魯・許・鄭の諸侯等に擁立された姫宜臼に対抗して、幽王の

     公子・余臣を立てて宗周(鎬京)で王朝を開かせた。

      これが西周王朝の携王である。

      幽王亡き後の周は、直ちに東周王朝が開かれたのではなく、一時期

     ではあるが、二王並立の時代(紀元前771年~760年)が続くので

     ある。

         「東周王朝」   前771年→前249年

      諸侯は申から、周の成周(洛邑)に姫宜臼を擁立して王位に就ける。

      これが平王である。

      周王朝の西都・鎬京には既に犬戎が迫っていたので、東都の成周

     に遷都しての即位であった。

      その後 幾ばくもせずに周王朝は犬戎の侵攻により滅亡したが、

     幽王に放逐されていた元の太子の宜臼が、母親の実家の申氏の援助

     で後継王朝を継ぐこととなり、以後 国都を移して東周王朝を称す。

      時に辺境の地にあった秦の襄公は、東周の遷都の際、蛮族と戦って

     これを撃退し、周王朝を大いに援助した。

      その功績に対して周王朝は、秦を「諸侯国」として認め、また岐山より

     西をその領土として与えた。

      なお東周の平王元年(紀元前770年)から、戦国時代に入る前年

     の紀元前402年までを「春秋時代」ともいう。

      この春秋時代は、「覇者の時代」ともいわれる。

        魯の隠公元年、即ち紀元前722年から魯の年代記「春秋」

         が書き始められたので、この年を以って春秋時代に入るとの説

         もある。



      

      

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    テーマ : 詩経・漢詩・詩賦等
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(王朝の女官の制)

     「歴代王朝の内宮の諸制度」

       中国の歴代王朝においては、公の政を行う朝廷(外廷)に対して、

      天子或いは帝王の私生活の場である後宮についても、決まり事

      即ち制度的なものが定められた。

       天子に仕える女官は、それぞれの階級と階級別の人数及び

      官位が定められた。

       以下 先ず周王朝の女官の制について記す。

       「周王朝」

       階級は正妻たる「皇后」に続いて、

       「夫人」は三人、「嬪(ひん)」は九人、「世婦(せいふ)」は二十七人、

      「御妻(ぎょさい)」は八十一人で、総枠は百二十一人であった。

       この周朝の女官の制は、後世の各王朝の範となる。

       尚 皇后については、一,二の例外を除きほぼ常に一人であった。

       夫人以下は複数の設置となり、各王朝でそれぞれの定数が決め

      られた。

       また女官の名称は各王朝により異なり、階級の上下位が入れ

      替わる。

       後宮に詰める女官などを含む官女の総数は、各王朝ともに其の

      実数は把握しきれなかったようである。

       中唐の白楽天(白居易)の「長恨歌」では、後宮の美女三千と詠っ

      たりするが、この三千という数は唐代流行の誇張的比喩だとしても、

      唐王朝の女官の実数は他王朝に比しても隔絶していると謂われる。

       就中 盛唐の玄宗皇帝の後宮は、嘘か真か四万人説まであると

      いう。

        ※ 玄宗皇帝: 第6代皇帝で、在位期間は712年~756年

       最も少なかったのは、清王朝でありほぼ、三、四百人で推移した

      と謂われる。

       「唐王朝」

       皇后が正妻であり、その他の側室はすべて貴賓別に階級化され、

      それぞれの定数が制度化された。

       『四夫人』  正一品

          貴妃(きひ)・淑妃(しゅくひ)・德妃・賢妃

             ※ この貴妃に玄宗皇帝の楊貴妃がいる。

       『九嬪』   正二品

          昭儀・昭容・昭媛・修儀・修容・修媛・充儀・充容・充媛

             唐朝・高宗の愛妾・武氏は昭儀であったが、後に

            則天武后となる(女性唯一の天子)。

       『二十七世婦』

          婕妤(しょうよ) 正三品、 美人 正四品  才人 正五品

          各々 九人づつ。

            婕妤は、漢代には序列も異なりその格も高く、「列侯」に

           匹敵した。

       『八十一御妻』

          宝林(ほうりん。正六品)、御女(ぎょじょ。正七品)、

          采女(さいじょ。正八品)、の順で、各々二十七人ずつ。  



       
      
      
      

      

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    テーマ : 歴史雑学
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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