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    中国通史で辿る名言・故事探訪(政は簡ならず易ならざるときは、)

       政は簡ならず易ならざるときは、

        民 近づくこと非ず、


        平易にして民を近づくるときは、民 必ずこれに帰す。

                            ◇ 周王朝 ◇

       政治は大まかで分かり易くなければ、民衆はそっぽを向いてしまう。

       だが分かり易く親しみやすい政治なら、民衆は喜んで従う

      ものである。

       周公旦の子・伯禽が任国の魯に赴いてから、三年が経過して、

      王都に参朝してから父にも政務の報告した。

       周公が何故そんなに遅れたのかと問えば、

       伯禽 答えて曰く、

       「その俗を変じ、その礼を革(あらた)め、喪は三年にして、

       然る後 之を除く。故に遅し」と。

       (=領内の風俗を改め、礼を整え直し、服喪は三年の制を定めて

        きたので、遅くなってしまいました。)

       話は前後するが、伯禽と同じ頃に斉に封ぜられ任地に赴いた

      太公望呂尚は、わずか五カ月で政務の報告に参朝した。

       その時 周公がその訳を聞くと、呂尚は、

       「吾はその君臣の礼を簡にして、その俗の為(しきたり)に従えり」

      と。

       (=君臣の礼を簡潔にし、その習俗をそのまま認めました。)

       魯と斉は隣国同士である。

       周公は伯禽の報告を聞いて、大いに嘆いて曰く、

       「嗚呼、魯は後世 それ北面して斉に事(つか)えんか。

        それ政は、簡ならず易ならざるときは、民 近づくことあらず。

        平易にして民を近づくるときは、民必ずこれに帰す」と。

        ◆ 遥か後、斉の桓公が春秋の覇者となるや、魯はその下風に

         立ち、その存立は極めて脆弱なものとなる。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(握髪吐哺)

        「握髪吐哺(あくはつとほ)

                         ◇ 周王朝 ◇

       君主が有能な士や人材を求めることに、殊の外に熱心なことの喩え。 

       周朝の大功臣であって、武王亡き後には、成王を補佐して

      冢宰(かちょう。摂政)となっていた周公旦は、己に代わって、我が子の

      伯禽を襲封された魯に派遣した。

       その派遣に先立ち、伯禽に封国の経営心得を授けた。

       周公曰く、
      
       「利して利する勿(なか)れ」と。

       (=まず何をおいても、人民の利益(生活の安定)を図ることを

        優先し、自分自身の利益を求めてはならない。)

       さらには、人材確保の苦労を語り聞かせた。

       吾は武王の弟であり、成王の叔父でもあり、且つ天下の輔相でもあり、

      決して軽い存在ではないと言える。

       だがそのような吾でも、

       「われ一沐(いちもく)に三度(みたび) 髪を捉(つか)み、

        一飯(いっぱん)に三度 哺を吐き、立ちて以て士を待つ。


       (=私は一度の洗髪中に三度 頭髪を掴んでは洗うのを止め、

        一度の食事中に三度 口の中の物を吐き出して、

        立ち上がっては天下の賢士を待ったものだ。)

       だがそれでも未だ、賢士を見失いはしないかと懼れたものだ」と。

       いついかなる時でも、志を持って訪ねて人には、

      何を置いても会わなければならないし、

      それも謙虚な態度で誠実に当らなければならない、

      ということを懇々と教え戒めたのである。

                      「史記 魯周公世家」

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    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一簣之功)

       「一簣之功(いっきのこう)

                        ◇ 周王朝 ◇

       物事の最後における努力の大切なことの戒め。

       如何に多くの土を積み上げても、仕上げとなる最後の一杯のモッコ

       を積まなければ、山は完成することはない。

       ※ 簣は、土嚢などを運ぶモッコ。

       武王の功臣・召公奭(しょうこうせき)が武王を諌めた言葉として

      伝わる。

      「書経 周書篇・旅獒(りょごう)」

      「玩物喪志」

       物を玩べば、己の志が疎かになるという例え。 

       宗王朝が始まって間もなくのこと、西方の「旅」という国から、

      よく人の意を解する獒(ごう。大きな犬)が贈られて来た。

       この贈り物に、武王はたいそうな喜びぶりであった。

       そのことを聞きつけた召公奭は、すぐさま参朝して、

      武王に諫言を呈した。

       嗚呼、明王 徳を慎めば、四夷ことごとく賓(ひん)す。

       (=立派な王様がさらに徳を磨けば、

        周辺の異民族は自ずと来朝いたしましょう。)

       耳目に役せられざれば、百度 惟れを貞(ただ)し、

       (=目や耳から来る欲望、即ち物欲に翻弄されなければ、

        何ら畏れることはなく、)

      人を玩(もてあそ)べば、徳を喪い、物を玩べば志を喪う。
      
       (=人を玩べば特性を害し、

        物を玩べば道に志す思いを喪失するものです。) 

       嗚呼、夙夜 勤めざることあるなかれ。

       (=それゆえ、朝となく晩となく、

        王道を磨くことに励まなければなりません。)

       細行を矜(つつし)まずんば、終に大徳を累せん。

       (=どんなに小さな行いでも、それをよく慎まないと、

        終いには大きな徳を煩わし失うことなりましょう。)

       山を為(つく)ること九仞(きゅうじん)、功を一簣に虧く。

       (=同じように、非常に高い山を築こうとしても、

        最後の一杯のモッコで終わるという時に、土運びを止めると、

        それまでの功は無になってしまうのです。)

        ※ 武王のこれまでの周王朝創建のために為された数々の功績

         が、この度のたった一匹の犬のために台無しになってしまう

         という、非常に手厳しい諌めである。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(仁を求めて仁を得たり、)

       「仁を求めて仁を得たり、

       又た何をか怨まんや。」


                        ◇ 周王朝 ◇

       伯夷と叔斉は首陽山(西山)に籠り餓死したとはいえ、

      彼らは自分の信ずる道を求めて、その仁道を全うし得たのである。

       だから、人間として別に怨むところは無いであろう。

       人はその所信に、満足を求めるべきである。

       「論語 述而篇」

       冉有曰く、

       夫子(ふうし) 衛の君を為(たす)くるか。

       (=お師匠様は、衛の君主をお助けになるだろうか。)

        ※ 当時の衛国では君位を巡って、親子で争われていた。

          当時の君主は、荘公の大子であった出公(28代)が即位して

         いた。

          出公は父・荘公が、祖父である霊公(27代)夫人の暗殺未遂事件

         により、一旦は覇者の国・晋に亡命したが、その後 晋の後押し

         を得て、国境付近の衛領内に蟠踞。

          そして、虎視眈々と衛国の君位を狙っていた。 

       子貢(端木賜)曰く、

       諾(だく)、吾 将に之を問わんとす。

       (=そうだな、私が一つお聞きしてみよう。)

       入りて曰く、

       (=孔子邸の室に入って、師にお会いして聞く。)

       伯夷、叔斉は何人ぞや。

       (=伯夷と叔斉とは、如何なる人物でございましょうか。)

       曰く、

       古の賢人なり。

       曰く、

       怨みたるや。

       曰く、
      
       仁を求めて仁を得たり、又た何をか怨まんや。

       (=この二人は、かつては母国を譲って仁を行おうとして、

        仁を得たのである。

         どうして怨み悔いることがあろうか。)

       ※ 伯夷と叔斉は、東の果てに在った弧竹国という国の、
        
        長子と次男であったが、

        父が末弟の三男に国を譲りたいと思っていたので、

        ともに相談の末、国を出奔して父に孝行をし、

        また兄弟同士の労り、譲り合いを実践した。

       出でて曰く、

       夫子は為(たす)けじ。

        「論語 公冶長篇」

          子曰く、

          伯夷、叔斉は旧悪を念(おも)わず。

          怨み是(ここ)を以て稀なり。

          (=伯夷と叔斉は悪を憎む心の強い人であるけれども、

           その憎ところの人がよく改めれば、

           昔日の怨みはすっかり忘れてしまう人であった。)

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(義 周の粟を食まず)

       「義 周の粟(ぞく)を食(は)まず」

                         ◇ 周王朝 ◇

       仕官するより、信念の義を重んずる心意気。

       義の立場を貫いて、不義な周朝には仕えないの意。

       その後、伯夷と叔斉は不忠・不義の国に棲むことを潔しとせず、

      遠く離れた深山に隠れて棲み、周の国内でできる食物を口にせず、

      首陽山の野草や蕨(わらび)を採って生活していた。 

       ※ 蕨は春の山菜であるが、抽出したデンプン質は破荒食にも

        なった。
     
       だがそのうち、終に餓死してしまった。
       
       後に、春秋時代の孔子以後、この二人の忠孝思想は、 儒学に大きな

      影響を与えることになる。

                      「史記 伯夷列伝」 

       ♯ 「采薇の歌」

         彼の西山に登りて、其の薇(び)を采(=採)る。

          (=あの首陽山に登って、薇《ぜんまい》を採る。)

         暴を以て暴に易(か)え、其の非を知らず。

          (=暴力で暴力を倒して、天下を取る、

           その非道がどうして分からないのか。)

         神農・虞・夏・、忽焉(こつえん)として没す。

          (=神農氏・舜帝・禹王、今や彼らは遥かなる過去の人と

           なった。)

         我 安(いず)くにか適帰せん、

          (=この私はどこに身を寄せられるというのか、)

         嗟呼(ああ) 徂(ゆ)かん、命(めい)の衰えたるかな。 

          (=ああ、それでも行かねばならない、

           この命運は尽き果て、とうとう餓死してしまった。)

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(棣鄂之情)

       「棣鄂之情(ていがくのじょう)

                        ◇ 周王朝 ◇ 

       兄弟が大変仲良く、互いに尊敬し愛情を持ち合うこと。

       常棣(にわ梅)は、卾(がく)がたくさん集まって咲き、

      外観が美しいことから、兄弟が仲良くしていることの例え。

      「詩経 小雅・常棣」

         常棣の華、卾として韡韡(いい)たらざらんや

         (=にわ梅の花、その花房がよく纏まって、

          盛んに咲き誇っているよ。)

           ※ 韡韡とは、盛んなさま、花の美しい模様を言う。

         (およ)そ今の人、兄弟に如(し)くは莫し。

         (=おおよそ今の人の内で、花房の絆の如く、

          同族の者の強い絆には及ばない。)

           ※ ここでの兄弟とは、身近な血族の兄弟ではなく、

            広く同族を意味する。

             後に、「棣鄂之情」の成語となり、

            真の兄弟を意味するようになる。
        
       其の第四章

         兄弟 牆(かき)に鬩(せめ)ぐも、

         外 其の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐ。 

         (=同族は 垣の内《族内》では言い争いもするが、

          こと垣の外《族外の人》から侮りを受ければ、力を合わせて防ぐ

          もの。)

          ※ 鬩は、言い争う・せめぐの意。

            務は、侮り・侮るの意。

         毎(つと)に良朋 有り、

         蒸(すなわ)ち戒める無からんや。

         (=常に傍に入る良き友は、我らのために尽力してくれるのだ。)

          ※ 蒸は、語調を整える発語。

            戒は、非常の際に諭して与力するの意。

        ☆  「断章詩句」

            戦国時代になってから、詩経の有名な詩句は、

           引用されて、四字成語となり大いに普及する。

            これを断章詩句という。

       ☆  「鬩牆(げきしょう)

           兄弟喧嘩、あるいは内輪もめ。

           同じ垣の内の者同士が、言い争うこと。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(我が世に当に興る者あるべし、)

       「我が世(よつぎ)に当に興る者あるべし、

       それ昌に在らんか」


                         ◇ 周王朝 ◇

       将来 我が一族の後継者から家名を挙げる者があるだろう。

       誰あろう、それは昌ではなかろうか。
       
       周の古公亶父には、太(泰)伯・虞仲・季歴(公季)という三人の子

      がいた。

       末子の季歴は大任を妻にして、昌(後の西伯昌、死後の諡は文王)が

      生まれた。

       この時、聖人の出生を告げる瑞兆があり、それを承けて古公亶父は、

       「我が世に当に興る者あるべし、それ昌に在らんか」と。

       太(泰)伯と虞仲は、量らずも父の意中を知ることとなった。

       二人は、父の古公亶父が将来、その地位を、

      末弟の季歴の子である昌に継がせたいと望んでいることを察し、

      ある日、共に荊蛮の地に出奔した。

        この太(泰)伯と虞仲は遥か後の呉国の始祖となる。

       「泰伯、三度 天下を以て譲る」

        孔子の太(泰)伯の人物評である。

        子曰く、

        泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ。

        三度 天下を以て譲る。民 得て称するなし。


        太(泰)伯は徳の極みに達した者と言うべきである。

        己の取るべき天下を固く譲って取らず、

       その譲り方が穏健で且つ隠遁的であったので、

      当時の人は天下を譲ったことを知りえず、

      泰伯の徳を称することさえ出来なかったほどである。

       ※ 周は元来、「長子相続」の慣例があった。

         古公亶父の長男及び次男が末弟に地位を譲るという行為は、

        当時重要視された慣例を破るものであった。

         従って、当然 周に在っても非難されるべきはずであった。

         ところが、二人の兄弟が父の意思を尊重するという道徳観念や

        禅譲精神の方がより高く評価され、

        敢えて、慣例を破るものであっても容認されるという結果となった。

         以後 古代社会では、「末子相続」が認知され、原則となり慣習と

        なった。

         匈奴などの異民族でも、同様である。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(帰馬放牛)

       「帰馬放牛」

                         ◇ 周王朝 ◇

       戦争が終わって臨戦態勢が解かれて、平和が訪れたことの喩え 。

       軍馬や軍用牛を解き放つの意。

       平和の訪れは、武器を伏すという意味で偃武ともいう。

       武王は殷を滅ぼした後、如何に天下を按じて、恩徳を四方に及ぼす

      ことが出来るかと思い悩んだ。

       武王は周都に還ってから、王の身を按ずる弟の周公旦に語った。

       「殷を滅ぼしたものの、未だ天の加護が定まったというわけではない。

      そのことで悩みは尽きないのだ。

       そこでこの際、天の加護を確かなものにするため、天与の王城ともいう

      べき地に都を遷し、ひたすら吾が周の地の安定に努め、吾が事業を世に

      明らかにしようぞ」と。

       この王城の地とは、洛水と伊水にかけての一帯で、

      大いなる平原で水運にも恵まれる、かっての夏の都が置かれた所でも

      あった。 

       かくして武王は、洛水の北に新都を建設すべく事業を起こした。

       この事業は、次代の成王の手により東都・洛邑として完成する。

       武王は新都建設の目安をつけて、一旦帰京したが、早速 臨戦態勢

      を解いた。

         馬を崋山の陽(みなみ)に縦(はな)ち、

          (=軍用馬を崋山の南に解き放ち)

         牛を桃林の虚に放ち、

          (=軍用の牛を桃林の丘に放し)

         干戈を偃(ふ)せ、兵を振(ととの)え旅を釈(と)き、

          (=武器を伏せて、征討軍の臨戦態勢を解除し)

         天下に再び用いざるを示した。

                   「史記 周本紀」、「書経 周書篇・武成」

         ※ 『山川を前にしての陰陽』

           山を前にした場合、山の南側は「陽」といい、

          「みなみ」と読む。

           山の北側は「陰」といい、「きた」と読む。

           河川を前にした場合、河川は山の下を流れるので、陽と陰は

          逆になり、

           河川の北側の「」は「きた」と読み、

           南側の「」は「みなみ」と読む。

           『洛邑(らくゆう)』

           春秋期には、「洛陽」と呼称され、東周王朝と成ってからは、

          宗周となる。

           漢や唐の時代には、長安の西都に対して、東都となる。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(富貴の三患)

       「富貴の三患」

                         ◇ 周王朝 ◇

       人は富貴な身分になって、人としての道に外れるとると、禍を呼び

      寄せるもの。

       「富貴にして道を知らざれば、適(たまたま) 以て患を為すに足る。

        貧賤に如かざるなり。

        貧賤の物を致すや難し。

        之に過ぎんと欲すと雖も奚(いず。=焉)くにか由(よ)らん。

        (=その身は富貴になっても、満足するという限度を知らねば、

         いずれは危難に陥るだけである。

          それならば、貧賤でいる方が良いと言える。

          貧賤であれば、物を手に入れることは難しい。
          
          だから贅沢しようとしても、如何せん、望み様がない

         のだから。)

        その一

        「招蹶(しょうけつ)の機」

         脚気の病を招く機縁をいう。

         ※ 蹶は躓くが原意で、足の病の脚気の類。

         「出ずるに則ち車を以てし、入るに則ち輦(れん)を以てす、

        務めて以て自ら佚(いつ)。

         これを命けて、蹶を招くの機と曰う。」

         (=外出するには車に乗り、門内にあってさえも手車に乗る、
      
          という具合に、精々 楽をしようとする。)

        その二

        「爛腸(らんちょう)の食」

         常に美食飲酒を事とするの弊害。

         ※ 爛腸は胃腸が痛むの意。

         「肥肉厚酒、務めて以て自ら彊(し。=強)う、

          これ命けて、腸を爛(ただら)すの食と曰う。」

         ※ 肥肉厚酒は、脂肪分が多くて美味い肉と濃い酒。

        その三

        「伐性の斧(ばっせいのおの)」  

         女色や僥倖の例え。

         人の本姓を切り損なう斧が原意。

         「靡曼皓歯 鄭衛の音、務めて以て自ら楽しむ、

          これを命けて、伐性の斧と曰う。」

         ※ 靡曼はきめが細かく柔らかい肌。

           皓歯は白くて、きれいな歯。

           いずれも美人の例えで、男の情を悦ばすが、

          その精を損じるもの。

           鄭衛の音は、春秋時代の鄭国と衛国で盛んであった淫靡な

          音曲をいう。

           儒教ではしばしば、亡国の音楽として扱われる。

                   「呂氏春秋 十二紀・孟春紀 本生」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(傑の乱す所 湯 受けて之を治め、)

       「桀の乱す所 湯 受けて之を治め、

       紂の乱す所 武王 受けて之を治む。」


                      ◇ 周王朝 ◇

       遥かの昔、夏の桀王は暴政を行って天下を乱したが、

      商(殷)の湯王はその後を受けて、乱れた天下国家を立て直した。

       また殷(商)の紂王も暴政を行い天下を大いに乱したが、

      周の武王はその後を受けてよく治めたといえる。

       乱れたものであっても、その後を受けた人が真摯に努力さえすれば、

      自ずと改善したり復興できるというものである。

       治乱興亡は、決して単なる運命などではない。

       戦国時代の墨子の思想であり、「天命とか運命論」に反対して、

      賢人の努力を重視した。

                      「墨子 非命上」

       「垂拱之化(すいきょうのか)

        これと謂った特別な事はしないで、為すがままに任せることを言う。

        衣(上衣)の袖を垂れ、手を拱(こまね)くの意。

        天下泰平の例え。

        為政者が徳によって、特に手を下さなくても、

       臣下や人民が自然に感化され、世の中が上手く治まることを言う。

        牧野の戦いの後、多くの諸侯が周の武王に帰順するようになり、

       また人民が安定したことを称える言葉とされる。 

        ※ 垂拱とは、両手を胸の前で重ね合わせてする拝礼。

          拝礼の時、着物の袂(袖の垂れ下がり部分)が自然に垂れ下がる

         ので、「垂」という。

                      「書経 周書篇・武成」

       ♯ 「詩経 大雅・大明」

         殷商の旅や、その会すること林の如く、牧野に矢(つら)ぬ。

         (=商の軍団たるや、その結集した有様は樹林のように、

          牧野に立ちはだかっていた。)

         惟(これ) 予(よ) 侯と興れり、上帝 女(汝)に臨めり。

         (=されど、吾と諸侯は共に奮起して立ち上がり、

          天も我に味方して汝に挑まん。)

         爾(なんじ)の心を貳(=疑)う無かれ。

         (=後はもう紛うことなく汝を攻めるだけだ、)

         牧野洋洋たり、壇車 煌煌たり、駟騵(しげん) 彭彭たり。

         (=牧野は広々としており、堅固な戦車は燦然と煌めき、

          四頭立ての馬車は強くて厳めしい。) 
         
         惟 師たる尚父、時 惟 鷹の如く揚がりて、

         (=軍師たる尚父《太公望呂尚の尊称》は、

          将に鷹の如く翼を広げて舞い上がろうとしている。)

         彼の武王を涼(援)け、肆(=恣)ままに大商を伐つ。

         (=西伯昌の子である武王をよく輔弼して、

          思うがままに大殷を討ち滅ぼす。)

         会朝 清明なり。
         
         (=諸侯が一堂に会した翌日の朝、雲は晴れ大気は澄み

          渡った。)

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(革命)

       「革命」

                    ◇ 周王朝 ◇

       天(天帝とも)は、命を受けた者が徳を失った時には、その命を

      革(あらた)めて、有徳の者に下されるという思想をいう。

      《 武王(姫発)の入場式 》

       武王は殷王朝軍を制圧した翌日、廃墟となった王宮で、入場式を

      執り行った。

       尹佚(いんいつ)が呪文を読み上げ、武王は再拝稽首(=頓首)

      して、天命を受けた。

       ここに天の命は革まったのである。

       次に、紂王の公子である禄父(ろくほ)を封じて、

      殷の社稷・祭祀と遺民を治めさめさせることにし、

      武王の弟・管叔鮮と蔡叔度(しゅくたく)に輔佐を命じた。 

       召公奭(しょうこうせき)に命じて、囚われていた箕子を釈放させ、

      また畢公(ひつこう)に命じて、囚われていた群臣を釈放させた。

       南宮适(なんきゅうかつ)に命じて、殷の貯蔵する財貨・食料を

      放出させて、貧民救済に当てさせた。
       
       そして殷の九鼎を引き継ぎ、殷の祖廟の宝器類を点検させ、

      神官に命じて、軍中で祭祀を執り行わせた。

                      「史記 周本紀」 

      「社右宗左(しゃゆうそうさ)

       国の神位を建つに、社稷を右にし、宗廟を左にす。

       また喪国の社は、これに屋して天陽を受けざるなり。

       (=国家は神殿を建てるに際して、社稷は右に建て、宗廟は左に

        建てたものである。

         また滅びた国の社は、上に屋根を架けて、太陽が当たらないように

        しなければならない。)

                      「礼記 王制」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(初め有らざること靡し、)

       「初め有らざること靡(な)し、

       克(よ)く終り有ること鮮(すく)なし。」


                    ◇ 殷王朝 ◇            

       何事も初めが無いということはないので、誰しも最初はともかくやって

      いくが、それを最後まで全うして、締めくくりのできる者は至って少ない

      ものである。

       殷の紂王も即位した初めの頃は、そんなにひどい帝王ではなかった

      と言われる。

       だが、次第に性悪な側近を重用するようになり、王自身の生来の

      独善性に歯止めが利かなくなり、権勢に溺れ淫楽に夢中になり、暴虐

      非道を事とするようになった。

       そのような訳で、王朝を滅ぼしたのは、外敵というより、将に己自身に

      あったと言える。

       ♯ 「詩経 大雅・蕩」

          天 烝民を生ず、その命(めい)、諶(しん)ならず、

          (=天はこの世に民を住まわせるようになったが、

            その命たるや何事も真実なものであった。)

          初め有らざること靡なし、克く終り有ること鮮なし。 

            ☞ 烝民とは、万民の意。

               諶は、まこと(誠、真)。

        「礼記 曲禮上」

          「志は満たすべからず」

           栄達や名誉を得ようとする志望は、十分に叶えさせるべきでは

          ない。

          「傲りは長ずべからず、欲は従(ほしいまま)にすべからず、

           志は満たすべからず、楽しみは極めるべからず。」

          (=傲慢な偉ぶった態度は、そのままにして増長させてはなら

           ない、欲望は、思いのままに野放しにしてはならない、

            望みは十分叶えさせるべきではない、

            楽しみは、のめり込むほど追い求めるべきではない。)

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(億万の心か、)

       「億万の心か、唯一心か」

                           ◇ 殷王朝 ◇

       殷の紂王には億万の臣下がいたが、其の人々は、

      すべて億万の心で纏まりがなくばらばらであった。

       だが吾(後に周王朝を開く武王)には三千の臣しかいないが、

      其の人々はすべて 【心を一に】、してよく纏まっているのだ。

       周の姫発(西伯昌の後継者で後の武王)は、軍師の太公望呂尚

      や周公旦などを采配して、いよいよ暴虐の天子である殷の紂王を

      討伐する決断をした。

                      「書経 泰誓上」

       》 牧野の戦い 《

       姫発は亡き父西伯昌の木主(位牌)を押し立て、八百に及ぶ諸侯を

      従え、紂王を討つ機会を得た。

       だがいざ出陣という段になって、亀兆の占いをさせたところ、

      凶と出て、しかも激し風雨が襲ってきた。

       群臣ことごとく懼れる中、唯一人 太公望呂尚は叱咤激励した。

       ついに姫発も討伐戦を決意した。

       周の軍勢は、戎車(戦車)参百乗、虎賁(近衛兵)参千人、

      甲兵(武装兵)四萬五千であった。

       討伐軍は東へ向かった。

      「父死して葬らず、爰(ここ)に干戈に及ぶ」

       姫発が討伐に向かう途中、年老いた伯夷と叔斉は、

      仁政で評判の西伯昌のことを耳にして、遥々 その国を目指していた。

       ところが二人は、姫発に率いられた周の連合軍の進軍の途中に遭遇

      した。

       事情を知った二人は、姫発の馬の轡を取り、必死に訴えた。

       「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶ、孝と謂うべけんや。

        臣を以て君を弑(しい)す、仁と謂うべけんや」と。


       (=王よ、あなたは父王の御霊も十分に祀らぬうちに、

        兵を発しようとしている。これは孝の道に悖ります。

         いかに君が悪逆非道とはいえ、

        臣下の身で主君を討つのは人倫に反します」と。

        姫発の護衛が、この二人の老人を斬ろうとする気配を察した、

       傍らに控えていた太公望呂尚は、これを制し、

        「今は我々は応じられませんが、このお二人の言うことも、

        至極筋の通ったものです。

         このままお赦しあって然るべきです」と助言した。

        全軍はそのまま進軍して、孟津を渡河した。

        二月甲子(1日)の早朝、軍は殷の都・朝歌の郊外の牧野に

       布陣した。

        ここで姫発は、改めて全軍の決意を促し、

       自らの大義名分を天下に明らかにするため、太誓 を作り布告した。

        「今 殷王紂 及(すなわ)ちその婦人(妲己)の言を用い、

        自ら天に絶ち(天命に背き)、その三正(君臣・父子・夫婦の道)を

       毀壊し、その父王母弟を離逷(りてき。=血縁を疎遠にすること)し、

        及ちその祖先の楽(祖宗伝来の音楽)を断棄し、

        及ち淫声(邪悪な音楽)を作り、以て正声を変乱し、

        婦人を怡悦(いえつ。=喜ばすこと)す。

        故に 我 発は、これを共(慎)みて天罰を行う。

        勉(努)めよや夫子(ふうし)、再びすべからず、

       三度すべからず」と。

         (=機会は二度とないので、諸君 大いに尽力してほしい。)

        武王の討伐軍派遣の報に接して、紂王は東方で軍事作戦を展開

       していたが、急遽 軍を引き返して迎撃態勢をとった。
        
        紂王は、王朝軍七十万を展開し、戦端が開かれた。

        ところが太公望呂尚に指揮された周の精兵による奇策で、王朝軍

       は攪乱し、あまつさえ士気の乏しい王朝軍は、武器を逆さまにして

       以て戦い、収拾の取れない程に混乱し潰走した。

        かくして連合軍は、易々と王宮のある鹿台に紂王を追い詰めた。  

        紂王は鹿台に火を放ち、火中に身を投じて、ここに殷王朝は滅亡

       した。


       「牝鶏の晨(ひんけいのしん)

        めん鶏が夜明けの時を告げること。 

        時を告げるのは本来は牡鶏(ぼけい=おん鶏)であるところから、

       牝鶏(ひんけい)が時を告げるのは、女性が勢力をふるう様を言い、

       家や国家が滅ぶ原因になるとするものの見方であり、

       禍の元凶と考えられていた。

        日本では俗に言うところの、「カカア天下」であろう。

          ※ 晨とは、朝のこと。

            「書経 周書篇・太誓 」、「書経 周書篇・牧誓」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(殷の三仁)

       「殷の三仁(さんじん) 

                           ◇ 殷王朝 ◇ 

       殷王朝末期の三人の仁者である、

      微子(びし)・箕子(きし)・比干(ひかん)をいう。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(其の志を降さず、其の身を辱めざるは、)

       「其の志を降さず、其の身を辱めざるは、

       伯夷・叔斉か」


                 ◇ 殷王朝 ◇

        志が高く人に屈せず、その身の清浄を保って、少しも世から

       汚されないのは、伯夷と叔斉であろう。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(殷鑑遠からず、)

       「殷鑑 遠からず、夏后(かこう)の世にあり」

                         ◇ 殷王朝 ◇

       殷の国の戒めとなる良き模範は、何も遠い昔のことに求めなくても、

      この殷に先立つ王朝の「夏」にこそあるといえる。

       ※ 夏王朝を創始した禹王は、舜の時代には「夏」に封じられていた

         ので、夏の后(君)との意で、夏后氏とも言われる。

       夏王朝の最後の帝王であった桀王が、

       > 苛斂誅求の暴虐の故に、王朝を滅ぼしてしまった <、

      という事実を卑近な良き戒めとすべきだという意味。

       その意が転じて、目先の他人の失敗を見て、自分の戒めとする例え

      となる。

                      「詩経 大雅・蕩」

       ☆ 1 北宋の欧陽脩「朋党論」より

         「治乱興亡の迹(跡)、人君たる者、以て鑒(鑑)とすべし。」 

         諸国の治乱興亡の歴史は、人君たる者、

        これをそのまま鑑として反省すべきである。

        2 「詩経 鶴鳴」

         「他山之石」

         他の山で産出した粗末な石であっても、

         それを砥石として使えば、

         この山から出る玉石を磨くのに役立つもの。

         他山之石、以て玉を攻(みが)くべし。

         この詩の経学的解釈では、粗末な石を小人に、玉石を君子に

        譬えて、君子は小人の言行と言えども、益するところはあるので、

        これを参考にし、良く修養を積み、なお一層の学問や徳性の向上に

        努めるべきである、と。

         ※ なおこの詩の原義的解釈によれば、、

           他国から嫁いできた花嫁に対して、玉を磨く砥石の如く、

          立派に妻の役目を果たして欲しいと言祝(ことほ)ぐ、のだと。

           「詩経 小雅 鴻雁之什・鶴鳴」

         鶴 九皐(きゅうこう)に鳴き   声 天に聞こゆ

         (=鶴が奥深い谷底で鳴いており、その声は周辺に響き渡り、
               
           天にも聞こえそうだ。)

         魚は渚(しょ)に在り   或いは潜みて淵に在り

         (=魚は水際に浮かんで遊び、また底深く沈むのは自然の習い。)

         楽しきかなかの園は   爰(ここ)に樹壇有り

         (=安らぎ楽しむ園には、ここに香しい壇(まゆみ)がある。)

         其の下に惟(これ) 穀

         (=またその下には、穀物が豊かに茂っている。)

         他山之石も   以て玉を攻く可きならん 

         (=他の山で採れた粗悪な石でも、この玉を磨くことが

          できよう。)

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(輾転反側)

       「輾転反側(てんてんはんそく)

                         ◇ 殷王朝 ◇

       心配事や悩み事で寝付かれずに、何度も寝返りを打つこと。

       輾は半回転、転は一回転するの意で、

       安らかに眠れないで、寝返りを打つの意。

       反側も寝返りを打つの意。同意の成語を重ねて意を強める。

        「詩経 国風 周南・関雎」

         関関(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は 河の洲に在り

         窈窕(ようちょう)たる淑女は 君子の好逑(こうきゅう)

         (=和やかな鳴き声を発するミサゴが、黄河の中洲に降り立った 

           淑やかな乙女は、祖霊の善き連れ合い。)

         参差(しんし)たる荇菜(こうさい)は 左右に流(もと)む

         窈窕たる淑女は 窹寐(ごび)に求む 

         (=高低の入り混じった不揃いのアサザを 右に左にと選び取る、

          淑やかな乙女は 寝ても覚めても祖霊の降臨を願って

          止まない。)
           
         之を求め得ざれば 窹寐に思服す

         悠なる哉 悠なる哉 輾転反側す。  

          (=求めて叶わぬまでも 寝ても覚めても慕い焦がれるばかり、

           ああ憂い募り悩み悶えて、

            寝付かれず何度も寝返りを打つことよ。)

         ※ 詩経の解釋方法には、原義的解釈と経義的解釈があり、

           原義的解釈によれば、この詩は祖廟祭祀の詩であるとされる。

           詩経で詠われる鳥は、すべて祖霊などの霊魂の象徴と解さ

          れる。
        
           この詩の雎鳩などは、西伯昌(諡号は文王)の象徴と

          しての祖霊として扱われる。
     
           そして祖霊と子孫の懸け橋の役目を、巫女が務めるが、

          窈窕たる淑女がその任を負っている、と解される。

           一方では、径義的解釈によれば、この詩は周王朝の始祖たる、

          聖天子(文王)夫妻の仲の良さを詠ったものだと解する。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(天下の悪 皆、焉に帰す)

       「天下の悪 皆、焉(これ)に帰す」

                         ◇ 殷王朝 ◇

       春秋時代の孔門の子貢は、殷の紂王は無類の悪人のように言われ

      るが、紂の不善はそれほどまでに甚だしくはないという見解を示した。

       易姓革命を唱える中国では、前王朝の君主を極悪非道に貶めなけ

      れば、新たに天命を受けて王朝を開く根拠に欠くことになる。

       前王朝の君主は、人民に見放され且つ天命を失った大悪人に仕立て

      あげ、新王朝を開いた君主は、人民に最善の仁徳を誇示して、そのこと

      を浮き彫りにする必要性があったのである。

       そのようなプロパガンダが世間に流布すると、もはや止まるところを

      知らず、悪く悪く流布してゆくことは自然の趨勢でもある。

       子貢曰く、

       「紂の不善は是(かく)の如く甚だしからざるなり。

        是を以て君子は下流に居るを悪む。


        (=紂王は不善の我が身を天下の下流においていたので、

         大小となく多くの河川が地の低いところに聚まるように、

         紂王の身には自ずと諸悪が集まったといえる。
          
          その故に、君子は不善を行わず、下流に居ることを憎むので

         ある。)

        天下の悪 皆 焉(これ)に帰す。」

        (=下流に居れば、当然の結果として、

         天下の悪が皆 己に帰すのである。) 

        ※ だから紂王の例に鑑みて、君子たる者は、不善の地に身を

         置いてはならないという訓戒である。

                      「論語 子張篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(長夜の飲)

       「長夜の飲」

                         ◇ 殷王朝 ◇

       普通は徹夜の酒宴の意に解する。

       戦国時代の韓非子は、それでは苛斂誅求・暴虐不遜な紂王にしては、

      考え出した遊興にしては、芸がなさ過ぎるとして、

       徹夜して夜が明けても、宮殿の窓や戸を解放せず明かりも消さずに、

      夜の雰囲気のままで遊興し、そのような狂乱の酒宴が延々と百二十日

      に及んで行われたと説く。

                      「韓非子 説林上」

       紂王の妃は妲己(だっき)というが、嘗て紂王が有蘇氏の国を

      攻めた時、有蘇氏が赦しを乞うために紂王に差し出されたのが

      彼の娘である。

       ところがこの妲己は、妃となってからは紂王とともに度外れな遊興を

      楽しんだ。

       紂王は、妲己の美しさに大いに満足し日ごとに耽溺するようになった。

       その挙句に妲己の気に入られようと、彼女の言いなりになり、

      彼女と共にこの世の贅沢の限りを楽しむようになった。

       「酒池肉林」

        酒や肉類が豊富な豪奢な酒宴。

        豪遊の極めつけの例え。

        酒は池の如く、肉は林のごとき、常軌を逸した贅沢な酒宴。

        「紂、酒を好んで淫楽し、沙(砂)丘に戯る。

        酒を以て池となし、肉を懸けて林となす。

        男女を裸にし、その間に相 逐わしめ長夜の飲をなす。

        百姓 怨望す」と。 

                     「史記 殷本紀」

       「炮烙(ほうらく)の刑」  
      
        刑罰の一種で、火あぶり刑。

        燃え盛る炭火の上に、油を塗った銅柱を横に差し渡し、

       その上を刑の執行を受ける者を素足で歩かせ、

       火中に滑落して焼死させる極刑。

        紂王と妲己が、残忍過酷な刑罰の執行を楽しむという、

       将に狂気の沙汰の伝説である。   

                     「韓非子 喩老編」  

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(彭祖之寿)

       「彭祖之寿(ほうそのじゅ)

                        ◇ 殷王朝 ◇

       類まれな長寿の例え。

       堯帝の臣で、五帝の一人・顓頊(せんぎょく)の玄孫で彭祖という

      者がいた。

       その彭祖は殷の末に至って、その年は既に七百余歳になっていたが、

      なお衰えることなく余命を保っていたという。

       彭祖は若い時から、ただ神仙を養い生を治めることを以て事として

      いた。

       彼のその信じ難い長命が、殷の帝王の知るところとなり、

      王は彭祖を大夫に任じた。

       ところが彼は病と称して、政には預からず、

      専ら補導の術を以て王に寄与した。

                      劉向(りゅうきょう) 撰「列仙伝」

        三国時代の次の王朝である「晋」の干宝は「捜神記」を著したが、

        彭祖は殷の大夫で、姓を銭、名を鏗(こう)と言い、

        顓頊帝の孫・陸終氏の真ん中の子であるとし、

        夏から殷にかけて、桂芝を常食として、七百歳 生きたと。

          ※ 桂芝は「霊芝」ともいい、瑞兆の草と見做されていた。

            菌類の一種であり、万年竹、あるいは聖竹といわれたもの。

        「南山之寿」

         終南山(別名が東嶽とも泰山ともいう)は、永久にその姿を

        変えることがないように、その事業が末永く続くこと。

         その意が転じて、人の長寿を祈る言葉となる。

         「南山之寿の如く騫(か)けず崩れず。」

          (=終南山が永久に変わらないように、

            欠けることなく崩れることもない。)

                     「詩経 小雅・天保」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(木は縄に従えば則ち正しく、)

       「木は縄に従えば則ち正しく、

       后(君)は諌めに従えば則ち聖なり。」


                        ◇ 殷(周)王朝 ◇

       材木は縄墨の示すところに従って切られると、齟齬のない正しい切り

      口となるが、

       人君は臣下の諌めの言葉に耳を傾けて、初めて立派な天子として立つ

      ことが出来る。

       ※ 縄墨とは、大工が直線を印するのに用いる大工道具。

         「すみなわ」とも言う。

         その意味は転じて、規則とか法度を意味するようになる。

                   「書経 商書篇・説命(えつめい)上」

        「説苑・建本」では、次のように字句を改めて、

          孔子の言葉として説く。

         「木は墨縄を受ければな直(なお)く、

          人は諌めを受ければ聖となる。」 


     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(燎原の火)

       「燎原(りょうげん)の火」

                         ◇ 商王朝 ◇

       この世の悪が、たちまち蔓延することの例え。

       本来の意味は、野原を焼く火のことである。

       紀元前1300年頃、商王朝では盤庚(ばんこう)が19代帝王

      に即いた。

       盤庚は即位すると、商王朝を開いた湯王の故地である「亳(はく)」

      に遷都する。

       盤庚の世は二十八年とも言われるが、

      衰微していた商王朝の勢力を盛り返し、中興の祖と称される。

       ある日ののこと、帝盤庚曰く、

       「悪の易(やす)きは、火の原に燎(燃)るが如く、

        嚮(向)い邇(近)づくべからず。

        其れ猶 撲滅すべけんや。」


        (=悪のはびこる様は、火が枯野に燃え広がったように勢いが

         盛んで、これに向かい近づくことなどできるものではない。

          況や、これを絶滅することなどできるものではない。)

                        「書経 商書篇・盤庚上」

       20世紀中ごろ、この盤庚或いは22代武丁以後の殷(商)の

       大規模な墳墓が、河南省安陽の小屯村の近くで発掘された。

        その墳墓から、殉死の制、戦車の形骸、さらに高度な青銅器文化が

       実証される。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(人は惟れ旧を求む、)

        「人は惟(こ)れ旧を求む、

       器は旧を求むるに非ず、惟れ新」


                         ◇ 商王朝 ◇

       人間は古い好みのある人ほど懐かしむが、器物は必ずしも

      古い物は求めず、新しい物を求めるのが人情というものである。

       商王朝・中期の賢人として知られる、遅任(ちにん)の言葉と

      して伝わる。
       
                      「書経 商書篇・盤庚上」

       ※ ようやく中華文明が開花しようとしたこの時期に、

        はたして懐旧的骨董趣味があったとは思えないので、

        この人情は素直に言葉通りに受けとってもよさそうですね。

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    中国通史で辿る名・故事探訪(慮らずんば胡ぞ獲ん、)

       「慮(おもんばか)らずんば胡(なん)ぞ獲(え)ん、

       為さずんば胡ぞ成らん。」


                            ◇ 商王朝 ◇

       思慮を十分練らなければ、決して収穫を得ることはできない。

       また為さなければ、何事も出来るものではない。

       商王朝の初期の名臣・伊尹の太甲王への忠言。

                      「書経 商書篇・太甲下」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(終りを慎むは、)

       「終わりを慎むは、始めに于(お)いてせよ」

                            ◇ 商王朝 ◇

       終わりを全うしようと思うならば、

       始めからよく慎んでいなければならない。

       伊尹は太甲王には、その後も何くれとなく助言したり、

      忠言を呈した。

       その克明な記録は、「書経 商書篇・太甲王(上・下)」にある。 

        「易経 六十四卦・64未済」より

         「狐 その尾を濡らす」

          始めは容易でも、終わりの困難なことの例え。

          また最後の気の緩みで、失敗することをいう。

          「小狐 ほとんど済(渡)らんとして、その尾を濡らす。

           利(よろ)しき攸(所)(無)し。」 


        (=子狐が川を渡る時、その尾を濡らすまいとして、

         尾を巻き上げて川をほとんど渡りきったが、

         やがて疲れが出てきて、尾を垂らして水に濡らしてしまった。

          辛抱が足りなかったといえる。)

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(天は諶とし難く、)

       「天は諶(しん)とし難く、

       命は常 靡(な)し」


                          ◇ 商王朝 ◇

       天命は変わらざる真(定まったものの意)とはいい難く、

       その人の行いによって吉凶を授けるものであるから、

       一旦 降った命と言えども、永久不変のものではない。

         ※ 諶は誠、真実の意。靡はなびくの意もある。

       商王朝の二代・外丙と三代・中壬が亡くなり、

      湯王の早世した大子・太丁の公子である太甲が即位した。

       ところが太甲王は、祖父の湯王の法・施行方針を無視するようになり、

      国政を大いに乱してしまった。

       当初この太甲王を補佐していた湯王の名宰相でもあった伊尹

      (いいん)は、止むを得ない措置として、太甲王を離宮の桐宮に

      放逐した。

       伊尹は国政を摂行し、民政に力を入れ天下の安定に寄与したので、

      諸侯も皆これに従った。

    「習い 性と成る」

       何事も習慣が身に付くと、終にはそれが生まれつきの性質となるもの。

       良い癖をつけるか、それとも悪い癖をつけるかは、

      人の心掛け次第という意を含む。

       それから暫くして、太甲王は己の非とする所に目が覚めて、
      
      伊尹に赦しを願った。
     
       だがこの時は、「王は未だ克(よ)く変ぜず」として、

       伊尹は赦さず、曰く、

       「玆(こ)れ、乃(なんじ)の不義、習い性と成る。

       予(よ) 弗順(ふつじゅん)に狎(な)れしめず」、と。

         (=吾は不義には馴染むことができない。)

       その後、放逐されていた太甲王も真に自分の非を悟り、

      伊尹に善政を執り行う旨 誓ったので、王位に復帰することができた。

       そして、誓言の通り善政を行ったので、太宗と称されるようになった。

                       「書経 商書篇・咸有一徳」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(苟に日に新たに、)

       「苟(まこと)に日(ひ)に新たに、

      日日(ひび)に新たに、又 日に新たなれ。」


                   ◇ 商王朝 ◇         

       今日の行いは昨日よりも新しく良くなり、

       明日の行いは今日よりも新しく良くなるように、

       常に自分自身を磨いて、日々向上するよう努力すべきである。

       商王朝を開いた湯王の自戒の言葉であり、

       日用品の盥(たらい)に、この言葉が刻印してあった。

                      「大学 傳二章」

       「神権国家の商王朝」

        商は、祭政一致の神権国家であった。

        王は自ら祭祀を行い、占いにより神の意志を聞いて政治を執り

       行った。

        この時代 最高神は「天」であり、その他に祖先神が大いなる神で

       あった。

        その他に山川などの自然神や方角による四方神などがあり、

       方(まさ)に原始国家によく見られる「多神教」の支配する社会国家で

       あった。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(塗炭の苦しみ)

       「塗炭(とたん)の苦しみ」

                          ◇ 商王朝 ◇    

       非常な苦しみ、難儀をいう。

       あたかも泥水や炭火の中に陥れられたような、水火の苦難をいう。

       「有夏 昏徳として、民 塗炭に墜つ。」

       (=夏の桀王は、王たる者の保持すべき徳を無くして、

        そのために人民はあたかも、泥水にまみれ燃え盛る炭火の中に

        陥ったような非常な苦しみを味わった。)

         ※ 有夏の有は、国家や部族名に添える接頭語。

           昏徳とは、徳に昏(くら)いこと。

        湯王は夏の桀王を南巣山に追放したが、その行為を大いに恥じ

       入った。

        そして、輔相の仲虺に言った、

        「後世に至って主君を追放する者が、予の行為を口実にせぬかと

       恐る」と。

        そこで、仲虺は湯王のために「誥(こう)」を作った。

        「有夏 昏徳にして、民 塗炭に墜つ。

        そこで天は、王に勇気と英知を与えなさって、

        その模範となって万国を正して、

        禹が平定なされた天下を、継承されたわけです。

        されば王は、その法典に則り、天命に従われたのです。

        夏の王は罪を犯していながら、上帝を欺き偽って、

        王命を民に施行していました。

        ところが上帝は、その命令を是認されなかったので、

        商が天命を受けて、衆民の生活を明らかにしたのです。

        王業を完遂なさるには、滅びなければならぬ国を押し倒し、

        永らえるべき国を安定させるようになさることです。

        さすれば、王国は自ずと栄えるでしょう。

        その上に、王がその徳を日ごとに清新に発揮なされるならば、

        万国は懐き従います。

        だが、王が自分から事は満足だと思し召すならば、

        その九族も離れ去るでしょう。」

        「問いを好めば、則ち裕なり。」

        仲虺は続けて言う、

        「私は聞いております、

        【問いを好めば、則ち裕(ゆたか)なり。自ら用うれば則ち小なり】

        と。 

         (=他人の言を用いれば万事に豊かになるが、

           自分だけの考えで行う者は、

           見識も狭く大事を成し遂げることはできない。)
         
         嗚呼、その終わりを慎んで全うするには、

         その初めの時のようにしなければなりません。

         礼を履み行っている者を立て、

         愚かで暴虐な者を排除し、

         慎んで天道を尊んで従われるならば、

         いつまでも天命を保つことができましょう。」

                      「書経 商書篇・仲虺之誥」  

           ※ 「誥」とは、本来は天子が臣下に告げる言葉をいい、

             臣下が天子に捧げる言葉は、「謨」という。  

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(天 玄鳥に命じ、)

       「天 玄鳥に命じ、降って商を生む」

                         ◇ 商王朝 ◇

       天の神が、「商」の遠祖である契(せつ)を世に降す時に、

       玄鳥(燕)の瑞兆があったという伝説神話。

       商王朝の始祖とされる契(せつ)の母親は、

      五帝の一人である帝嚳(ていこく)の次妃・簡狄(かんてき)である。

       簡狄が或るとき、水浴に行き、玄鳥が卵を産み落とすのを見て、

      その卵を飲んだところ、妊娠して契を産んだという。

       その契から降って、十四代目に天乙(てんいつ。または履とも)が

      出て、商王朝を開いた。天乙の諡号は湯王である。

       ※ この商は、後に「」とも称される

        ようになる。

         「竹書紀年」によれば、商(殷)王朝は、四百九十六年続き、

         漢末の劉謹「山統暦」は、六百二十九年続いたと記す。

         国都は最初は「亳」に置かれたが、幾度も遷都した。

         成立期は、紀元前1550年頃とも、1600年ともいう。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(湯網)

       「湯網(とうもう)

                          ◇ 夏王朝 ◇

       緩やかな処罰をいう。

       後に商(殷)王朝を開いた、湯王(子天乙)の敷いた網の故事から。

         ※ 湯王、その姓は子、諱は天乙(てんいつ)また履とも。

       子天乙(してんいつ)が或る時、呪文を唱えて捕獲網を四面に張る者

      を見た。

       その呪文曰く、

       「天下四方より、皆 吾が網に入れ」、と。

       (=天から落ちてくるもの、地から出てくるもの、四方から来るもの、

        皆 吾が網にかかれ。)

        これを聞いた子天乙は言った、

       「これではすべての物を捕り尽くしてしまうではないか。

       桀王のような暴君でなければ、誰がこのようなことをしようぞ」、

       と言って、三面の網を取り払い、一面を残して命じた。

        「左せんと欲さば左せよ、右せんと欲さば右せよ。

        上に昇らんと欲さば上に昇れ、下に降らんと欲さば下に降れ。

        命を用いずんば(わが命に背く者だけ)、

        乃ち吾が網に入れ」と。

        後に、この話を聞いた諸侯は感じ入り、

        曰く、「湯の徳、禽獣に至る」と。

                      「史記 殷本紀」

         「呂氏春秋 十二紀・孟冬紀 異用」

           人、四面を置くも未だ必ずしも鳥を得ず。

           湯 その三面を去り、その一面を置きて、

          以てその四十国を網せり。

           ただに鳥を網するのみ非ざるなり。 

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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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