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    中国通史で辿る名言・故事探訪(二つの養生の道)

     「二つの養生の道」

                         ◇ 東周王朝 ◇

     《 虎に喰われる人と病に倒れる人 

      田開之(かいし)という養生の道の大家が、周の威公という王族に

     お目見えした。

      そこで、威公は言った。

      「汝の養生の道とやらの要領を、一つ寡人に教えてくれまいか」と。

      すると田開之は、

      「私は、別に養生の道を修めた訳ではありません。

       ただ私の聞くところでは、真の養生家と謂う者は、

       『羊を牧するが如し』、

       其の心がけは、

       『遅れたる者を視て之に鞭打つ』、
       
       という事が肝要だという事です」と説明した。

       だが威公は聞いても訳が分からず問うに、

       「一体、それは如何なる意味か」と。

       田開之は威公が分かるように、諄々と話を続けた。

       「昔、魯の国に単豹(ぜんぴょう)という男がいて、養生の道を究めて

      七十まで長生きしましたが、何時まで経っても彼の顔色は少年の如き

      血色を失わなかったそうです。

       ところが、この人は山中で運悪く飢えた虎に出遭って無残にも其の

      餌食となってしまいました。

       その一方では、

      誠に如才がなく世渡りの巧みな張毅(ちょうき)という者がいました。

       ところがこの男は熱病を病んで、わずか四十足らずであっけなく

      この世を去りました。

       単豹は、其の内を養いて、虎 其の外を喰らい、

       張毅は、其の外を養いて、病 其の内を攻む。


       (=この二人の例を考えて観ますと、

         豹は自分の内を養う事には心を用いましたが、虎という外から

        の禍によって死んだことになります。

         毅はあれこれと自分の外の事情には注意を怠らなかったと言え

        るが、内から起った病は之を防ぐことが出来なかったと言えます。)

       此の二子の者は、皆 其の後(おく)るる者を鞭(むちう)たざりし

      なり。


       (=つまり この二人は、共に自分の後れているものを鞭で

        追い立てることをしなかったという事です。)

       ※ 老荘思想で言う所の養生とは、肉体上の摂政と処世上の保身

        という二面性を有するのである。

                    「荘子 内編・養生訓」、「外篇・達生」

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(塞翁失馬)

     「塞翁失馬(さいおうしつば)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      人の吉・凶(幸・不幸)や禍・福は、恒なきもので定め難いことの例え。

      北方のある国(胡族の国)との国境の近くの城塞付近に、占いに通じた

     老人が住んでいた。

      ところがある日、老人の飼っていた馬が逃げ出してしまった。

      隣人がその事を慰めると、老人は之は幸運の前兆であると言う。

      やがて逃げ出した馬は、胡国の良馬を伴って帰ってきた。

      隣人が今度はそれを祝うと、老人はこの幸いが禍にならないとは限ら

     ないと言う。

      すとと、果たして息子が落馬して、足を折って不具になってしまった。

      隣人が気の毒がって深く同情すると、しかし老人はいずれ福になら

     ないとも限らないと言う。

      それから一年の後、敵が国境を越えて攻め込んできそうになり、国の

     若い者たちは戦いに駆り出され多くの者が命を失った。

      だが老人の息子は足が不自由であったので、兵に駆り出されずに

     済んだのである。

      故に福の禍となり、禍の福となる、化すること究むべからず、深きこと

     計るべからず。
      
                  前漢 劉安撰 「淮南子 人間訓」

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    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(漆身呑炭)

     「漆身呑炭(しっしんどんたん)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      仇討の為に苦心惨憺すること。

      身体に漆を塗りつけ、炭を呑むの意。

      漆を体に塗りつけて癩病患者を装い、炭を呑んで声を変えた刺客予譲

     の故事。

      春秋時代、晋の四卿の勢力争いで、最大の権勢家であった知伯を

     晋陽の戦いで滅ぼした趙襄子(諱は無恤)は、三年に及ぶ晋陽での籠城を

     余儀なくされたので、知伯を怨むこと筆舌を尽くし難いものであった。

      そこでいつしか、知伯の頭蓋骨に漆を塗り酒器にしたと言う噂が巷に流布

     した。

      この噂を耳にして、「士」に目覚めた者がいた。

      この日から、趙襄子を讎と狙うようになった刺客予譲である。

      「嗚呼、男子たる者は己を知る者の為に死し、

      女は己を愛する者の為に容(かた)づくる、
    と謂うではないか。

      知伯は私を知ってくれた。だから私はその仇に報じて死のう。

      たとえ死んでも知伯に報いることが出来れば、私の魂は愧じない

     だろう」と悲憤慷慨した男がいた。

      其の男は、予譲という今は亡き知伯の家臣であった。

      予譲は始めは范氏に、次に中行氏に仕えていたが、認められないまま

     其の下を去り、今度は知伯に仕えた。

      すると知伯は、己の才を認めてくれて、篤く「士」として遇してくれた

     のである。その恩義たるや、忘れ得るものではなかった。

     《 予譲の復讐 》

      趙襄子の晋陽では、先の戦乱で破壊された城郭の改修工事が

     始まった。

      予譲は先ず名を変え、わざと罪を犯して囚人となり、改修工事の労役

     に服するようになった。

      ある日、厠(便所)の壁の塗り替え作業中に、仇に報ずる機会がやって

     来た。

      趙襄子が厠に立ち寄った時、機を見て予譲は立ち上がろうとしたが、

     それよりも先に不審を覚えた趙襄子が尋問しようとした。

      咄嗟に予譲は、隠し持った匕首で迫ろうとしたが、趙襄子の側近の者

     に取り押さえられ、その場で殺害されそうになった。

      だが趙襄子は彼の動機を知るところとなり、

      「彼は義人だ、賢人の志を持っている」と言って、罪を許された。

     《 予譲の変身 》

      その後、予譲は己の存在が人に分からないように、我が身に漆を

     塗って皮膚をかぶれさせ、炭を呑んで喉を潰し、まるで癩患の如く

     聾唖の如く装い、物乞いをしながら機会を俟った。

      そんな予譲の姿に、もはや彼の妻でさえも気付く事は無かったが、

     予譲の親しくしていた一人の友は気付いた。

      その友は言う、

      「君の才を以てすれば、趙襄子に仕えれば優遇され、その内に仇討

     の機会もあろうに」と。

      だが予譲は言う、

      「以て天下後世の人臣となって二心を懐き、以ってその君に仕える者

     を愧じしめん、とするものなり
    」と。

      (=君主を替えてその臣下となるのは、前主に対する忠誠に悖ること

       になるので、自分はそのような者が現れるのを愧じさせんが為で

       ある。)

      その内、趙襄子が外出すると聞いた予譲は、其の行路にある橋下で

     待ち受けた。

      ところが趙襄子は、いつもと違って馬の様子がおかしいので探らせる

     と、また変装した予譲が出て来た。

      趙襄子は言う、

      「お前は嘗ては、氾、中行に仕えていたのに、その仇を討とうとせず、

     反って彼らを滅ぼした知伯の臣と為り、今 何故、彼の為にだけ仇を

     討とうとするのか」と。

      予譲は言う、

      「明主は人の美を被わずして、忠臣は名に死すの義あり

     と申します。

       知伯は私の良さを認めて、国士として遇してくれました。ですから

     明主知伯亡き後は、臣たる者は忠義に殉じるばかりです」と。

      趙襄子は最早これまでと、

      「知伯のために尽くした名分はもう十分であろう。私も一度は其方を

     赦したから十分だ。覚悟せよ」と。

      予譲は最後の願いとして、趙襄子から着用する羽織をもらい受け、

     それを仇としてめった切りにしてから自ら命を絶った。

                     「史記 刺客列伝」・「戦国策 趙」



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    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(王 竽を好むに、)

     「王 竽(う)を好むに、子(なんじ)は瑟(しつ)を鼓す」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      人の好みに合わないこと。

      転じて、求める方法の誤っていることの例え。 

        ☞ 竽は笛である「笙(しょう)」の類で、早い時期には三十六管

          あり、後に十九管となる。

           瑟は大琴で、弦は二十五本。

      春秋時代の末期、斉の宣公㉛は、竽の音色を好み、竽と得意とする多く

     の楽人を抱えていた。

      宣公が楽を好むと聞き、其の斉に仕官を求める者がいた。

      瑟を持って、毎日のように斉の都城の宮門に立ったが、何の御沙汰も

     無く、いつしか三年が経った。

      或る旅人がその者に言った、

      「王は竽を好みて、子は瑟を鼓す。

       瑟 巧と雖も、王 好まざるを如何せん」と。

                     唐 韓愈「陳商に答うる書」

    テーマ : 神話伝説逸話
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(沈竈 蛙を生じ、)

     「沈竈(ちんそう) 蛙(かわず)を生じ、

      而も民に反応なし」


                          ◇ 東周王朝 ◇

      君臣間の信じられないような緊密な信頼関係の例え。

      籠城中 水没した竈(かまど)に蛙が生まれるほど長い間 水攻めに

     遭って苦しんでいても、民心は為政者から離反しなかったという意。

      春秋時代末期、晋の四卿の最大勢力の知伯は、驕りから理由も無く、

     韓と魏からその領土の一部を強引に割譲させた。

      そして晋・哀公二年(前455年)、次の矛先は趙に向けられた。

      ところが、趙襄子はその要求を猛然と突っぱねた。

      知伯は、韓と魏を誘い込んで連合軍を編成して、晋陽に拠る趙を攻め

     たてた。

      この晋陽は、先代の趙簡子が賢臣に命じて、最後の砦として築かせた

     堅城である。そして生前、跡継ぎの襄子に、「晋の将来にもしもの事が

     あれば、晋陽に拠れ」と遺言していた。

      連合軍は猛然と攻め込むが、晋陽城は頑強であり、三カ月が経った。

      次に連合軍は完全包囲をして兵糧攻めに出たが、時は経過するも

     籠城軍にそれらしき変化は現れなかった。

      業を煮やした連合軍は、水責めの戦法を採用した。

      晋水の堤防を切り崩し、城内に水を流し込んだが、水嵩は一向に増え

     なかった。

      先代趙簡子の賢臣・董閼于(とうあつう)が水責めに備えて、排水暗渠

     を埋設していたのである。

      晋陽を攻めること三年、連合軍を率いる知伯も、流石に一旦は諦めて

     軍を退こうとした。

      ところが、ここに至り未曽有の大雨が降り出し、さらに一カ月も止むこと

     が無かった。

      さしもの堅城も堪らず、城内は水浸しとなり、更に水嵩が増えたので、

     兵や民はより高い所へ逃げ込み、竈を高く盛り上げて飯を炊く状態と

     なった。

      事態は天災によるものとは言え、現実には知伯による水攻めと同様で

     あったが、城内の状況は、“沈竈、蛙を生じ、而も民に反応なし”、と。

      城内の竈は水没し、長い籠城中に竈に蛙が生じてくるという悲惨な

     状況にも拘らず、塗炭の苦しみに喘ぐ民はよく趙襄子に従い、一人として

     背く者はいなかったという。

      やがて糧食も尽き果て、流石に趙襄子も謀将の張孟談に弱音を吐いた

     が、張孟談は、

      「私のような策士は、滅亡の危機に瀕した国を救うためにいるのです。

     この私を韓・魏の君の下へ遣ってください。策を施してまいります」と。

      秘かに城外へ逃れて、韓と魏の君に面謁した張孟談は、古の故事

     「唇亡歯寒」を引き合いにして両君を納得させ、密約を交わして夜陰に

     乗じて帰城した。

      後日、知伯の一族の参謀・知(智)過は、隠密に行われるべきである

     のに、張孟談の会見を終えた後の堂々たる姿を遠目に見聞することに

     なり、不信を募らせ、知伯に韓と魏は背くことになるかもしれないと予測し

     て進言した。

      だが知伯は自分の思考からして、常識的にはあり得ないことだとして、

     聞き入れなかった。

      進言を顧みなかった知伯に、知過は一族を率いて戦場を離脱した。

      知過 離脱の報に、趙孟談は、してやったりとほくそ笑んだ。

      則ち、知過を追い出す遠謀を施しておいたのである。

                     「韓非子 説難」

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    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(将に之を敗らんと欲せば、)

     「将に之を敗(やぶ)らんと欲せば、

      必ず姑(しばら)く之を輔(たす)けよ」

                            ◇ 東周王朝 ◇

      敵を撃破しようと思うならば、是非に暫くは之を援けてやるがよい。

      春秋時代の末期、晋の六卿の知伯は、六卿の范氏と中行氏を滅ぼした

     後、数年は其の逸る勢力を温存していた。

      時に晋の公室の力は衰退しており、晋では六卿に代わり知氏、趙氏、

     魏氏、韓氏の四卿時代となった。就中 知氏の力は他を圧倒していた。

        ☞ 知伯は、知襄子と称し、荀瑶とも言う。知氏の宗主である。

          知氏の遠祖は、荀首(知荘子)である。

      そのような状況下、事態を憂いた出公㉝は、斉・魯と密約を交わして、

     何とか旧に戻そうと図ったが、逆に四氏に攻められ、出公十八年

     (前457年)、遂に国を捨てて斉に亡命し、その地で崩じてしまった。

      そこで知氏は、哀公㉞を擁立した。

      その後、知伯は満を持して、韓に使者を送り、その領地の割譲を要求

     してきた。

      韓康子は、知伯の要求を拒絶しようとした。

      だが韓の名将・段規は君を諌めて言った。

      「拒絶してはなりません。あの知伯と言う男は利を好み傲慢で、思い

     上がっております。拒絶すれば、先ず我が国に精強な兵を繰り出すで

     しょう。

      此処は黙って要求を呑み、今後の様子を見るべきです。

      知伯は我が国で味を占めれば調子に乗り、他国にも同様な要求をする

     はずです。

      その国が拒絶すれば、知伯は必ず強行して国を奪おうとするでしょう。

      そうならない為にも、先ずは要求を受け入れておき、国家間の情勢の

     変化を見定める事が先決なのです。

      その内に、本格的な対策も立てられましょう」と。

      韓康子は段規の進言を受け入れ、知伯に一万戸の領邑を割譲した。

      韓で味を占めた知伯は、次に魏の魏桓子に領土の割譲を求めた。

      だが魏桓子も最初は、拒絶しようとしたが、宰相の任章(趙葭)が進言

     した。

      「理由も無く領土を要求すれば、隣の国々も懼れるに違いなく、貪欲で

     飽くことが無ければ、天下の諸侯が懼れるに違いありません。

      この際 君は領土を与えておかれるべきです。その内きっと知伯は驕慢

     になります。

      驕慢になって相手国を軽んじますと、隣の国々は恐れて、互いに歩み

     寄るものでございます。そうなれば親交国同士の同盟が為され、共に

     立ち向かおうとする機運も醸成されれます。知伯の命脈もそう長くは

     ありますまい。

      周書にも

      【将に之を敗らんと欲せば、必ず姑く之を輔けよ。将に之を取らん

     と欲せば、必ず姑く之を与えよ】
    とあります。

      君の為すべきことは、先ずは領土を与えておき、知伯を驕らせること

     です。

      君には天下の諸侯を率いて知氏への対策を立てようとはなさらないで、

     専ら我が国を知氏の標的になるようにされることです」と。

      魏桓子は、「善し」と言って、そこで万戸の邑を知伯に与えた。

      知伯は大喜びして、次に蔡・皐狼の地を趙に要求してきた。

                 「戦国策 魏・桓子」・「韓非子 十過」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(狡兎走狗)

     「狡兎走狗(こうとそうく)

                        ◇ 東周王朝 ◇

      目的が達せられると、それまで功績のあった者も利用価値がなくなり、

     冷たく棄てられることの例え。 

      「狡兎良狗」とも言う。

      すばしこいウサギを捕り尽くしてしまうと、優れた猟犬も不要になる

     という意。

      越で功成り名を遂げた范蠡は、王に辞して、斉に新天地を求めて

     旅立ったが、元の同僚である文種に対して、改めてその身の振り方の

     助言の文を送りつけた。

      文に曰く、

      「飛鳥 尽きて 良弓 藏(しま)わる、狡兎 死して走狗 烹(に)

     らる
    」と言って、文種が出処進退をよくよく考えて、身を誤ることの

     無いように示唆した。

      しかし文種は決断がつかず、病と称して家に引き籠り、ぐずぐずしている

     間に、それが謀反と噂されるようになり、遂に勾践から名剣・属鏤

     (しょくる)を賜った。則ち自決せよとの上意である。
     
                「史記 越王勾践世家」・「史記 淮陰侯」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(人は好きずき)

     「人は好きずき」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      “馬が合うのに之と謂った決まりはない」と言うのは、偶々そうなること

     を言ったものである。

      譬えば、人が異性に対する場合、誰でも美女が良いということは知って

     いるが、さて美女ならば馬が合うという訳のものでもない。

      太古の黄帝の第四妃であった姆母(ぼぼ)は、黄帝のお気に入りの女性で

     あったが、とても醜かったという。

      そのような姆母に対して黄帝は、

      「汝に婦徳を磨かせて忘れまい。婦功を積ませて疎んじまい。醜かろう

     とも、決して気にするに及ばない」と慰め且つ元気付けたという。

      人が美味を好む場合、誰でも美味くて柔らかい物が良いということは

     知っているが、さて美味くて柔らかい物ならば、必ず受けつけるという

     ものでもない。

      周の西伯昌(追諡号は文王)は菖蒲の酢漬けが好物であったが、

     孔子はそれを食べる段になって鼻をしかめて食べ、三年経ってから、

     やっと平気で食べられるようになった。

      腋臭(わきが)が強い人がいて、父母兄弟から妻妾友人に至るまで、

     誰も一緒にいたたまれなかったので、自分でもそれを苦にして、海の畔

     に住んだところ、

      彼の臭いを好む人がいて、昼も夜も付きまとって離れなかった。

      また、陳に醜男がいたが、名を敦洽讎麋(とんこうしゅうび)と謂った。

      その容貌たるや、オデコ顔は平べったく、顔色は赤漆の如く、目は垂れ

     下がり、肘は長く、蟹股であった。

      ところが陳の君は、彼に出逢ってからすっかりお気に入りとなり、朝廷

     では国の政治を任せ、宮中では身の回りの世話をさせた。

      後に、楚が諸侯を会同した時、陳公は病で行くことが出来なかったので、

     彼を使者として派遣した。

      楚王は妙な名前を怪しみながらも、ともかく会ってみたが、その容貌の

     醜悪さと共に物の言い方も醜悪であったので、激怒して大夫連中を呼び

     集めた。

      楚王は言う、

      「陳公がこんな男を使者に出せる者でないことを弁えていないとする

     ならば無知、弁えて使者に立てたとすれば侮辱である。

      侮辱であり無知であるならば、必ず攻めねばなるまい」と。

      楚は遂に軍旅を催うして陳を討ち、三カ月で陳は滅んでしまった。

      ところが陳は滅んでも、その交友は衰えなかったという。

                     「呂氏春秋 孝行覧・遇合」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一を問うて三を得たり)

     「一を問うて三を得たり」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      孔子の弟子・陳亢(ちんこう)は、師の子である伯魚から孔家の家庭教育

     の実情を聞き出す。

      陳亢は陳の人。字は子元、或いは子禽。

      孔伯魚は孔子の唯一の男の子。諱は鯉。

      陳亢、伯魚に問うて曰く、

      (し)も亦 異聞あるか。

      (=子であるあなたは、御尊父から何か特別な教えを受けたことが

       ありますか。)

      対えて曰く、

      未だし。嘗て独り立つ。鯉 趨(はし)って庭を過ぐ。

      (=別に何もありません。嘗て父が独りで立っていた時、私は趨走

       (小走り)して 庭を過ぎりました。)

      曰く、”詩を学びたるや”

      (=父は私を捉えて、「詩(経)を勉強したか」と申しました。)
      
      対えて曰く、”未だし。”

      ”詩を学ばざれば以って言うなし。”
      
      (=詩を勉強しなければ、事理に昏く人に対してもよく応対できないよ。)

      鯉 退(しりぞ)きて詩を学べり。

      他日 また独り立つ。鯉 趨って庭を過ぐ。

      曰く、”礼を学びたるや。”

      対えて曰く、”未だし。”

      ”礼を学ばざれば以って立つなし。”

      (=礼を学ばなければ、よく自分の身を立てることが出来ないよ。)

      鯉 退きて礼を学べり。斯の二者を聞けり。

      陳亢 退いて喜んで曰く、

      一を問いて三を得たり。

      詩を聞き、礼を聞き 又 君子の其の子を遠ざけるを聞けり。


                     「論語 季氏篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(原憲の貧)

     「原憲の貧」

                       ◇ 東周王朝 ◇

      清貧の例え。

      孔子の弟子の原憲の故事。

      原憲は魯の人。字は子思。前515年の生まれ、没年は不詳。

      師の孔子が魯の司寇となった際、孔子は彼を自邑の家宰とする。

      原憲、魯に居る。

      環堵(かんと)の室、葺くに生草を以てし、蓬戸(ほうこ)(まった)

     
    からず、桑以って枢(くるる)と為し、而して甕牗(おうゆう)の二室は

     褐以って塞ぎとなす。

      上は漏れ下は湿るも、匡座して弦歌す。


      (=その家は狭く、屋根は草で葺き、蓬で編んだ開閉戸はがたがた、

       戸のクルル(枢軸)は桑の枝を曲げて作ったものであった。

        二つあった部屋には、壁に割れ甕をはめ込んで作った窓があったが、

       ぼろ布をかけて蔽いとしていた。

        そのような訳で、屋根からは雨漏りがし、床は湿気ていたが、

       原憲は意に介することも無く、正座しては琴を弾き歌うという生活

       をしていた。

         ☞ 環堵とは、四方(環)が垣に囲まれた小さくて狭い屋敷や家。

           方一尺の垣は「板」といい、五板を堵という。

           周尺で、一尺は22.5cm。

       ある日のこと、相弟子の子貢が原憲の家を訪れた。

       子貢は紺色の下着に白絹の上着を着ており、肥えた馬の牽く馬車に

      乗っていた。

       だが馬車が大きくて路地に入らなかったので、そこからは歩いてやって

      来た。

       原憲は樹の皮で作った冠を被り、そそくさと草履を引っ掛けて、

      藜(あかざ)の杖をついて門まで出迎えた。

       子貢は彼の暮らしの様子を見て、同情して言った。

       「噫嘻(ああ) 先生 何ぞ病(つか)れたるや」と。

       原憲 之に応じて曰く、

       「原憲 之を聞けり。

       財無き 之を貧といい、学んで行う能わざる 之を病(つか)れると

      謂う、と。


       今 憲は貧なり。病るるに非ざるなり」と。

       (=財の無いのが貧、道を学んで実行できないのが病(つかれ)で

        ある。

        今の私は確かに貧ではあるが、あなたの言われる病(つかれ)では

       ない。)

       子貢 逡巡(たじろいで)して愧(は)ずる色あり。

       原憲笑いて曰く、

       「夫れ世に希(もと)めて行い、比周して友たり、学は以って人の為に

      し、教えは以って己の為にし、仁義は之を慝(よこしま)にし、輿馬を

      これ飾るは憲は為すに忍びざるなり」と。

       (=名声を求めて行動したり、おもねり合って友と為ったり、人への

       見栄のために学んだり、自分の利の為に人に教えたり、仁義を

       掲げるも歪めて行い、車馬を飾り立てるというようなことは、私には

       できない相談です。)

                    「荘子 雑篇・譲王」

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(白圭三復)

     「白圭三復(はくけいさんぷく)

                         ◇ 東周王朝 ◇


      言葉をよく慎むこと。

      孔子の弟子・南容の故事。

      南容 白圭を三復す。

      孔子の弟子の南容は、言葉をよく慎んだ人で、「白圭の詩」を毎日 

     何度も繰り返して誦んだ。

        ☞ 三復の三は、回数の多いことの意。

          白圭は諸侯などが持つ、角のある玉のこと。

      孔子 其の兄の子を以て之に妻(めあ)(=わ)す。

      このように言語をよく慎むならば、治まった世の中では廃てられることは

     なく、また乱れた世には禍を免れるからとて、孔子は彼の真摯な心がけを

     愛でて、兄の娘を娶せた。

      ☆ 「詩経 大雅・抑」

         白圭の玷(か)けたるは 猶 磨く可(べ)きなり。

         (こ)の言の玷けたるは 為(おさ)む可からざるなり。

         白圭の欠けたのは、尚も磨いて直すことが出来る。

         だが言葉の過ちは、それを繕い正すことは出来ない。
     
     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(曾子殺彘)

     「曾子殺彘(そうしさつてい)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      一時の方便で、空約束をしてはならないことの戒めの例え。

        ☞ 彘(てい)は、訓読みでは「ぶた」。

      曾子は妻が子に一時の方便で、豚肉を食べさせると空約束したことを

     憂いて、妻に代わって約束を果たすため、貧しい中、豚を入手して捌いて

     食べさせた。

      曾子は当時優れた学者として知られていたが、家は貧しかった。

      その為 毎日の食事も至って粗末であり、滅多に肉を食することも

     無かった。

      だが子供は時には、肉を食べたいとねだることもあった。

      ある日、妻が市場に出かけるのに、子供がどうしても一緒に行くと

     言ってまつわりつき、泣き出してしまった。

      妻はほんの一時の方便で、
      
      「帰ってきたら豚を捌いて食べさせてあげるから、留守番をして

     いなさい」と言って、出かけた。

      その後、妻が帰ってきた時、曾子は豚を捌く準備をしていた。

      妻は言う、

      「あのように言ったのは、一時の戯れで言ったに過ぎないのに」と。

      それに対して曾子は言う、

      「戯れの言葉だと知らない子供に、滅多なことを言うものではない。

     子供はそれを約束と思ったはずだ。

      子供は父母の言葉を聞きながら、学び育つものだ。

      約束を違えるようなことが重なれば、そのうち子供は母親を信じなく

     なり、それでは教育も出来なくなるではないか」と、妻を諭した。

      かくして曾子は彘(いのこ)を捌き、妻はそれを料理して食膳に出した。

      子供が大喜びしたことは言うまでもない。

      韓非子は言う、

      「曾子、子供との約を守りて散財するは、無駄に非ず。

      曾子殺彘こそは、君主たる者の心得の一つなり」と。

               「韓非子 君子の心得三十三カ条の内の一つ」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(任重くして道遠し)

     「任重くして道遠し」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      仁の実践という重荷を背負えば、その往くべき道の先は遠い。

      曾(曽)子曰く、

      士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。

      学に志すほどの者は、度量が広く意志が堅固でなければならない。

      任重くして道遠し。仁以って己の任と為す。亦重からずや。

      善行を兼ね行う仁という荷物を負えば重く、その往くべき道は遠いので

     ある。

      益してやその仁を己の負うべき荷物としているのであるから、荷が軽か

     ろうはずがない。

      死して後已む、亦遠からずや。

      何事も死んで、始めて終わると言える。

      故に死ぬまでは、己の為すべきことに精進しなければならないから、

     道が近かろうはずがない。

                     「論語 泰伯編」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(三豕渉河)

     「三豕渉河(さんししょうが)

                        ◇ 東周王朝 ◇

      文字を誤写、また誤読することの例え。

      己亥(つちのとい)を三豕と読み違えたもの。

      三頭の豚が黄河を渡るの原意。

      春秋時代、孔門の子夏が衛に立ち寄った時のこと、ある人が晋の史官

     の歴史記録を読んでいた。

      「晋師 秦を伐(う)ち、三豕(さんし。三頭の豚) 河を渉る」と。

      子夏はその読み間違いを指摘し、

      「晋師 秦を伐ち、己亥(きがい。つちのとい) 河を渉る」と

     いうのだ、と。

      三豕ではなく、己亥の間違いであろう。

      己亥の己はの数字に、亥はの字に誤って読まれがちなのだ、と

      説明してやった。

      ところが、ある人は子夏の指摘を信用せず、

      「それでは直接 晋の史官に聞いてみよう」と言って去ったが、果たして

     得た答えは、「己亥」であった。

      ここに於いて、衛では子夏の事を「聖人」と呼ぶようになった。

                    「孔子家語 弟子解」

     ※ 「呂氏春秋 六覧・察」では、「三豕渡河」という。


     ☆ 三豕渉河と同様の成語に、「魯魚之誤」がよく使われる。

       魯は、「魚」と字形がよく似通っているので、しばしば間違われた

      という。

       この「魯魚」と三豕渉河の由来となる「亥豕(がいし)」を併せて

      「魯魚亥豕」ともいう。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(朽木糞檣)

     「朽木糞檣(きゅうぼくふんしょう)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      役に立たない物や手の施しようのない物の例え。

      朽ちた木とぼろ土の壁の塀には、彫刻も上塗りも出来ないの意。

      宰予 昼寝(い)ぬ。

      宰予がある日のこと、朝寝坊をした。

      ※ 学を志す者は、寸暇を惜しんで学ぶべきであるのに、朝寝坊する

       とは、以っての外であるという思いが孔子の頭を過ぎったのであろう

       か。

        猶 昼とは、日の出から日没までを言い、ここでは朝と解することも

       できるが、昼寝だと解する説もある。

        宰予は、通称は宰我という。予は諱。字は子我。魯の人。

        弁舌に優れる。実利主義に走り、徳義が薄く、孔子を悩ませる。

      子曰く、

        朽木は彫る可からず。糞土の檣(しょう)は杇(ぬ)る可からず。

      予に於いて何ぞ誅(せ)めん。

      朽ちた木には彫刻を施すことは出来ない。ぼろぼろに劣化した土塀

     には上塗りすることは出来ない。

      ※ 暗に宰予はそれらと同様で、怠け者であり、もはや教えを施す

       素地は無いのかという思いを懐いて。

      如何に責めても道に進ませることは出来ないので、もう咎めたりは

     しないぞ。

       子曰く、

      始め吾、人に於けるや、その言を聞いて其の行いを信ぜり。

      今 吾、人に於けるや其の言を聞いて其の行いを観る。

      予に於いてか是を改む。

      昔は私も、人に対してその言う所を聞くと、其の行う所も其の通りだと

     信じて疑わなかったものだが、今や、人に対して其の言う所を聞いても、

     直ちに其の行う所を信じないで、必ず其の行う所を見てから信ずるように

     なった。

     ※ 宰我で失敗したので、人に対する態度まで改めたのだ、との

      孔子の反省の弁。

                     「論語 公冶長篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(過ぎたるは猶、)

     「過ぎたるは猶、及ばざるが如し」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      何事も過ぎたことも間違いなら、及ばないことも同じく間違いである。

      道は中庸にこそ在るのだ。

      ※ 中庸とは、中正とも言い、行き過ぎや不足の無いこと。

      子貢問う、

      師と商とは孰(いず)れか賢(まさ)れる。

      子張と子夏とでは、道を修める上においては、どちらが優って

     おりましょうか。

       ☞ 子夏  

           孔門の四科の文学科の人。衛の人。卜商(ぼくしょう)とも。

           生没年は不祥。 子夏は字であり、通り名でもある。

           孔子の学統を後世に伝える。

         子張  

           顓孫師(せんそんし)。通り名は子張。陳の人。

           道の本を務めないで末を務め、必要以上に難事を志向した。

      子曰く、

      師は過ぎたり。商は及ばず。

      曰く、

      然らば則ち、師 愈(すぐ)るか。

      ※ 子貢は、過ぎたのは及ばないのに優っていると思ったので、

       問い返して、そうしますと、師の方が優っておりますか、と。
     
      子曰く、

      過ぎたるは猶、及ばざるが如し。

      ※ 賢者の過ぎたのは、愚者の及ばないのに比して、優れている

       ように見えるものだが、という含みを持たせて、

      過ぎたるも亦 中庸を失っているということでは、及ばざると同じこと

     なのだ。

                     「論語 先進篇」  

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(升堂入室)

     「升堂入室」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      学問や芸術の道、また其の他の技術等の奥義を極めること。

      先ず入門に始まり、升堂し、最後に入室する。

      子曰く、
      
      由(ゆう)の瑟(しつ)、奚(なん)ぞ丘の門に於いてするを為さん。

      子路が大琴を弾くのに、(その程度の技量で以って)どうして私の邸宅内

     で弾くことが出来ようか。

      ※ 孔子はごく軽い気持ちで励ます意もあって、少し揶揄して言った

       のである。

      門人、子路を敬せず。

      すると、同門の連中は子路を尊敬しなくなった。

      子曰く、

      由や堂に升(のぼ)れり、未だ室に入(い)らず。

      孔子はその有様を見て、慌てて言い直した。

      子路は表座敷には昇るが、未だ奥座敷には至っていないだけなのだ。

        ☞ 古に於いては、堂は廟堂のことであり、そこは賓客を接遇し、

         礼楽を行う表座敷である。

          室は、それより奥にある奥座敷。

                     「論語 先進篇」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(非礼に対する四則)

     「非礼に対する四則」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      儒学を学ぶ者の服膺(ふくよう)すべき四つの徳目。

      顔淵、仁を問う。

        ※ 仁とは、心の全徳であり天の与えた正しい道を言う。

      子曰く、

      己を克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日(いちじつ)も己を

     克めて礼に復れば天下 仁に帰(ゆる)す。


      仁は人の心に等しく備わっているものであるから、誠に能く一日でも

     己を慎み礼に立ち返れば、天下の人も皆 吾を許すほどとなろう。

      仁たるや、その効果は早く大きいものなのだ。

      仁を為すこと己に由る。人に由らんや。

      そのような仁を行うのは、己自身の修業に由ることであり、他人の関係

     するものではない。

      顔淵曰く、

      その目(修業の箇条)を請い問う。


      子曰く、

      礼に非ざれば見ること勿れ。
      
      礼に非ざれば聞くこと勿れ。

      礼に非ざれば言うこと勿れ。

      礼に非ざれば動くこと(行動に移す)勿れ。


      顔淵曰く、

      回、不敏と雖も、請う斯の語を事とせん。

      私 回は、愚か者でありますが、教訓を肝に銘じて己の任と致します。

                     「論語 顔淵篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(箪食瓢飲)

     「箪食瓢飲(たんしひょういん)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      清貧に甘んずることの例え。

      わりごに盛った飯と瓢(ひさご)に入れた飲み物のことで、

     わずかな飲食物のこと。

        ☞ 箪食とは、竹製の籠(わりご)に詰めたご飯。
     
          食の字は、食べ物の意の時は、「し」と読む。

          瓢飲は、瓢箪を半分にしてできた容器(瓢)に入れた飲み物。

      孔子の顔淵の人物を評した言葉。

      子曰く、

      賢なるかな、回や。一箪の食(し)、一瓢に飲、陋巷(ろうこう)

     在り。


      偉いものだな、回は。

      竹籠のわずかなご飯と瓢の水だけという、そんな粗末な食事に過ぎず、

     しかも路地裏のあばら屋住まいである。
      
      人はその憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。

      他の人なら貧しさに堪えられない所だ。

      だが回はそれを口にすることも無く、心は至って平静で、

     己の信ずる道を究める事を楽しみにして、改めようともしない。

      賢なるかな回や。 

      そこが、また回の偉い所だ。

                     「論語 雍也篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(聞一知十)

     「聞一知十(ぶんいちちじゅう)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      才智の極めて優れていることの例え。

      物事の一端を聞くだけで、すぐに其の全体を悟り理解するの意。 

      顔淵は、孔子の最も評価の高く且つ期待もされた弟子であった。

      顔淵の諱は、回。三十一歳で早逝し、余命幾ばくも無い孔子を嘆かせる。

      子、子貢に謂って曰く

      (=汝)と回(顔回)とは孰(いず)れか兪(まさ)れる。
     
      お前は自分の学び得た所を顔回と比べてみて、どちらが優れていると

     思うか。

      対えて曰く、

      (子貢の諱)や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞いて十を知る。

      賜や一を聞いて以って二を知る。


      私は、どうして英邁賢知の顔回を望みましょうか。学に到達できる高さ

     が違います。顔回は、一を聞けば十を知りますが、

      この私は、一を聞いて二を知るに過ぎません。

      子曰く、
     
      如(し)かず。吾、女(なんじ)に如かざるを与さん。


      お前の言う通り、お前は顔回には及ばない。しかし、お前が自分自身を

     よく自覚しているので、顔回に及ばないと謂った事は許そう。

      ※ 孔子は、子貢が顔回の才をよく知り、自分の才の顔回に及ばない

       事を自覚はするが、それでいて猶 人並よりは優れていると自信の

       ほどを吐露したので、子貢が及ばずながら今後もそれにめげず学に

       励む機縁を認めたので、顔淵に及ばないと言った事を許したのである。

                    「論語 公冶長篇」

      ◆ 中国では古来から、同輩に対して、その名(諱)を呼ぶことは禁忌で

       あった。

        子貢が、「回や」と顔淵の諱を呼称するのは不自然であるが、年齢的

       には子貢が顔淵より数歳、或いは一歳だけ年上であったとも言われる

       からであろうか。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(泰山梁木)

     「泰山梁木(たいざんりょうぼく)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      偉大な人物の死を形容する言葉。

      中国の諸山の中でもその中心と仰がれる聖なる泰山が崩れ落ちたり、

     家屋の骨格を成す最も大事な梁の木が折れ砕けるの意。

      孔子が自分の死を予期して言った言葉。 

      孔子の教えに最も忠実であり、その性質が剛毅果敢な子路は、衛国・

     出公の大夫・孔悝(こうかい)に行政官として仕えていた。

      孔子も、子路を頼りにし且つ大いに期待もしていた。

      ところが衛では内乱が生じ、出公擁護派の大夫孔悝が先の大子で出公

     の父・蒯聵らに自邸に於いて監禁されていた。

      子路は急遽 駆けつけて、主人の孔悝を救出しようと奮闘して慙死した。

      彼の死体は新たに即位した荘公(蒯聵)の命により、塩漬けにされると

     いう痛ましい事態となった。

      孔子は以後、家中の塩を尽く捨ててしまい、一切口にすることを止めて

     しまい、そのまま病床に就いてしまった。

      その後、孔子の病床に子貢が見舞いにやって来たが、孔子は、子貢に

     己の気持を伝えて、嘆きつつ、暗い面持ちで詠った。

         泰山 頽(くず)れんか

         梁柱 壊(くだ)けんか

         哲人 萎(おとろ)えんか

      それから七日の後、魯・哀公十六年(前479年)、二月己丑(十一日)、

     孔子は七十三歳の生涯を終えた。

      既にして、孔子は自らの死を予期していたと謂われる所以である。

      ※ 哲人とは、道理に明らかで見識の優れた人である。ここでは、国家の

       重責を担ったこともある孔子自身のことである。

        萎は、本来は病むの意であるが、ここでは病死を予期した意と

       解される。

        猶 哀公十六年二月己丑については、四月己丑説もある。

                     「史記 孔子世家、仲尼弟子列伝」 

     ☆ 「礼記 壇弓上」

        “泰山 其れ頽(くず)れんか。梁木 其れ壊(くだ)けんか。”

        「泰山梁木」なる成語は、この礼記による。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(暴虎馮河)

     「暴虎馮河(ぼうこひょうが)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      無謀な勇気・向こう見ずの例え。 

      虎を手撃ちにしたり、黄河を徒(かち)で渡るの意。

        ☞ 暴は、素手で撃つこと。

          馮は、河川を舟に乗らずに徒歩で渡ること。

        敢えて虎を暴(てうち)にせず、敢えて河を馮(かちわたり)せず

        人 その一を知って、其の他を知る無し

        戦戦兢兢として、

        深き淵に臨むが如く、薄き氷(ひ)を履(ふ)むが如し

                     「詩経 小雅・小旻」


      「易経 蹇象(けんしょう)」

        険を見て能く止まるは、知なるかな。

        前に危険があると見たなら、行くことを思い止まる。

        その態度が、人間の知というべきものである。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(池魚之殃)

     「池魚之殃(ちぎょのわざわい)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      意外な所に禍が及ぶことの例えで、側杖(巻き添え)を喰うこと。

      後には意味は転じて、「火災」のことを謂う。

      池の魚が災害に遭うの意。

      春秋時代、宋の桓司馬(司馬の桓魋⦅かんたい⦆)という者は、世にも

     稀な宝珠を有していたが、或る日 罪を得て出奔した。

      宋王は以前から、その宝珠を欲していたので、人を繰り出してその所在

     を追及させた。

      すると、捜索に従事した者から情報が入ってきた。

      その者の曰く、

      「(司馬桓魋が)之を池中に投ぜり」と。

      是(ここ)に於いて池を竭(つく)して之を求むるに、得る無し。

      (=そこで、池の水をことごとく浚って探したが、見つけることは

       出来なかった。)

      魚、焉(ここ)に死す。

      (=そのため、池の魚はその禍を蒙って、渇死してしまった。) 

                    「呂氏春秋 孝行覧・必己」 

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(淵中の魚を知るは不祥なり)

     「淵中の魚を知る者は不祥なり」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      深い企てのある人の心中を見通すのは、不吉である。

      川や池の深淵にいる魚の動きを察知すること、すなわち何かを企図

     している人の胸中を知ろうとするのは、縁起の良いことではない。

      
     》 斉の田常、反す 《

      斉・簡公四年(前481年)春、田氏一族は宗族の田常(田成子)を中心に

     謀議を謀り、先手を取って簡公㉙の執政・監止を殺し、簡公を捕えた。

      そして六月五日、田常は簡公を弑殺し、その弟・驁(ごう)を擁立した。

      これが平公㉚である。

        ※ 田常は前漢以後の通称で、田恒が本来の氏名である。

          前漢の司馬遷「史記」では、前漢の文帝の諱が「恒」であった

         ので、春秋時代に遡ると雖も、田恒の「恒」は、避諱して「常」に

         当てる。

      隰斯弥(しつしび)が、斉の権勢家の田成子に見えた。

      田成子は隰斯弥を伴って、物見台に登り四方を眺めた。三方向はすべて

     視野が広がっていたが、南の眺めだけは隰斯弥の家の樹木が之を塞いで

     いた。

      時に田成子は、その事を隰斯弥に何も言わなかった。

      隰斯弥は、後に家に帰ってから、早速 家人に命じて家の樹木を伐らせ

     ようとした。

      だが隰斯弥は何を思ったか、斧が樹木を割り裂くこと数創にして中止

     させた。

      家宰が、「何故そう急にお気が変わりましたか」と尋ねた。

      隰斯弥曰く、

      「古に諺有り、【淵中の魚を知る者は不祥なり】と。

      夫れ田成子は当に大事有らんとす。而して我、之に微を知るを示さば、

     我 必ず危うからん。

      木を伐らざるも未だ罪 非ざるなり。

      人の言わざる所を知るは、其の罪 大なり」と。

      乃ち伐らず。

      (=そもそも田成子は当に大事を為そうとしている。そんな時に、私が

       彼に対して、極めて小さなことでも見通すことが出来る男だと言うこと

       を知らせたら、この身は危うくなろう。

        木を伐らなくても罪にはならないが、人の口に出さないことを悟って

        しまうのは罪が大きいと言える。故に伐らないのだ。)

                     「韓非子 説林上」


        

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(道聴塗説)

     「道聴塗説(どうちょうとせつ)

                         ◇ 東周王朝 ◇

      聞いたことを受け売りして説くこと。

      道先で聞いた良い説話を、十分に斟酌することをせず、未だ身にも付い

     ていないのに、知った被りをして直ぐに路上で他人に解くこと。

      浅はかな者を戒める例え。

        ☞ 塗説とは、人に聞いたことを直ぐ路上で説くこと。

          塗は道、道路の意。

      子曰く

      道に聞き塗(みち)に説くは、徳を之れ棄(す)つるなり。

      君子は昔の聖賢の言行を知って、之を学ぼうとして大いに徳を養うもの

     である。

      だから、先に道で聞いた良い話を心に留めて、自分の修養の糧と

     しないで、すぐ後に道で出逢った他人に、理解不十分なまま受け売りで

     説くようなことをすれば、自らその徳を棄ててしまうことになる。

                     「論語 陽貨篇」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(風樹之嘆)

     「風樹之嘆」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      父母が早く亡くなった為に、孝行を尽くすことが出来ないことを悔やみ

     嘆くこと。

      孝行をしたい時には親は亡し、という人生の思い通りに行かないことの

     「心の嘆き」である。 

      樹木が動かずに静かにしたいと思っても、枝葉が風に揺れ動いて

     ままならないと言う、樹木が嘆くの意。

      孔子が天下を巡遊していた時、道端で哭して甚だ悲しそうな声を

     聴いた。

      孔子は言った、

      「駆けよ、駆けよ、前方に賢者がいる」と。

      褐(粗布の着衣)を被り、鎌を持って哭していたのは、皐魚(こうぎょ)と

     謂う者で、孔子は車を横へよけて話をした。

      孔子は言った、

      「あなたは喪がある訳でもないのに、どうしてそんなに悲しそうに哭して

     いるのか」と。

      その男の語るに、

      「私は三つの過ちを犯しました。

       若い時から学問を好み諸国を経めぐり、ようやくにして故郷に帰って

      みると、既に親は病でこの世を去っておりました。

       次に、私は志が高尚であるため、主君に上手く仕えることが出来ず、

      仕方なく出奔してしまいました。

       三つには、深い交わりを結んだ友がいましたが、些細な事から袂を

      分かってしまったことです」と。

       そして、その心境を詩に託して詠った。

       
          樹 静かならんと欲すれども、風 止まず。

          子 養わんと欲すれども、親 待たず。

          往(い)いて来たらざるものは歳なり。

          再び見るを得ざる者は親なり。 


       詠い終るや、「私はこの言葉の通りにしたい」と言って、

       立ったままで枯れ死んでしまった。

                    「韓詩外伝 九・風樹之嘆」 

    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(学びて思い、)

     「学びて思い、思いて学ぶ」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      子曰く、

      学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)

     し。
     

      事を学んでも、自分でその理屈を思索して深めようとしなければ、

     理解は得られない。

        ☞ 事を学ぶとは、広く先人の経験などを学ぶことを言う。

          罔とは、くらい・愚かの意。

      また狭い自分の知識で考えるだけで、事について深く学ばなければ、

     偏った知識となり、独断に陥って身を誤ることにもなりかねない。

        ☞ 殆とは、危うい・あやふやの意。

                    「論語 為政篇」

       「論語 衛霊公篇」

         子曰く、

        之を如何、之を如何と曰(い)わざる者は、

         吾 之を如何ともする末(な)きのみ。

         事を行うに際して、「之をどうすればよいか」と熟慮判断しない

        で、妄りに我意に任せて行う者は、私も之をどうすることも出来ない

        のだ。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(温故知新)

     「温故知新」

                         ◇ 東周王朝 ◇

      もと学んだことを時には調べ直したり、考え直したりして、新たな道理や

     知識を深めること。

      子曰く、

      故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以って師となるべし。

      昔 学んだ古いことを思索したり、時に復習して新たに道理や知識を

     深めることが出来るようになれば、学んだところの事が我が骨肉となり、

     あらゆる事象の変化にも対応できるようになり、人の師となることが

     出来る。

      唯に聞いたり学んだことを覚えているだけでは、知る所に限りがある

     から、人の師となって、人の求めに応ずることはできない。

        ☞ 故(ふる)きとは、昔 学んだことをいう。

          温(たず)ねるとは、時に復習するの意。

       温故の「温」を「あたた」めて、と読む説もある。

       「故事は今を知る所以なり」とも謂う。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(益者三友、)

     「益者三友、損者三友」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      自分に益のある者には、三種の友があり、

      また自分に損のある者には、三種の友がある。

      故に友を作るのには、よく慎まなければならない。

      孔子曰く、

      益者(えきしゃ)三友、損者(そんしゃ)三友

      直(ちょく)を友とし、諒(りょう)を友とし、多聞(たぶん)を友と

     するは、益なり。


      直言して隠すことの無い者を友とすれば、己の過ちを聞くことが出来る。

      誠実で表裏の無い者を友とすれば、己も影響されて誠に進むことが

     出来る。

      能く 古今に通じた者を友とすれば、己の知識が深まる。

      このような友は、我に益のある者である。

      便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)

     友とするは、損なり。


      媚び諂って気に入られようとする者を友とすれば、己の真の過ちを聞く

     ことが出来ない。

      諂うだけで誠実さの無い者を友とすれば、己の誠を失うに至る。

      口先が上手で誠実さが無い者を友とすれば、己の知識は日に疎くなる。

      このような友は、我に損のある者である。

        ☞ 便辟とは、媚び諂うこと。また、媚び諂って気に入られようと

         する人のこと。

          善柔とは、諂うだけで誠実さの無いこと。またそのような人。

          便佞とは、口先が上手くて誠実さが無いこと

                    「論語 季氏篇」


     ★ この論語・季氏篇は、「斉論」ではないかとの疑惑が呈されている。

       その理由とする所は、筆記の文体にある。

       論語の初句は、「子曰く、」に始まるが、この季氏篇では、「

      孔子曰く
    、」に始まる、と。

       また、(益者・損者)三友・(益者・損者)三楽・君子に侍するに三愆

      (さんえん)・(君子に)三戒、三畏などと、同数を列記する筆法は

      他の篇とは趣が異なる、と。

    ※ 「斉論」とは、斉国に伝わっていた「論語」をいう。

        一般的に「論語」と言えば、孔子の生国である魯の「魯論」である。

        この魯論は全二十篇であるが、斉論は魯論より二篇多く、

       全二十二篇ある。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(不惑)

     「不惑」

                       ◇ 東周王朝 ◇

      人も四十歳になる頃には、事物の道理の明と暗を知り、如何なる事態に

     出遭っても疑い惑うということは無い。

      子曰く、

      吾 十有五にして学に志す

      「志学」の年齢

      十五歳は、古にあっての人格完成の学を志す年齢。

      ※ 学とは、明徳を明らかに、民に親しみ、至善に止むという、所謂 

       徳目を修める人格形成の学問である。

      三十にして立つ

      「而立」の年齢。

      節操を堅く守って、欲望や誘惑にも一切 動じないこと。

      四十にして惑わず

      「不惑」の年齢。

      もはや物事の道理の理(ことわり)を知る年齢なので、如何なる事態に

     遭遇しても、疑惑は覚えない。

      五十にして天命を知る 

      「知命」の年齢。
     
      天が万物に与えた道理、その本源を知る。

      六十にして耳従う

      「耳順」の年齢。

      人の言を聞けば、自ずとその理を知ることが出来る。
      
      七十にして、心の欲する所に従えども、矩を踰えず

      「従心」・「不矩踰(ふきゆ)の年齢。

      心の思うままに行動しても、もはや礼儀や規則に悖るような事は無い。

      ※ 言動が常に道に適っていることを言う。

                     「論語 為政篇」

       

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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