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    中国通史で辿る名言・故事探訪(和光同塵)

     「和光同塵」

                        ◇ 東周王朝 ◇

      智恵の輝きを和らげて隠して、俗世間の人と同調して交わる事。

      ※ 楚の屈原の弾冠振衣に対しての、老子説による批判的援用。

      老子「道徳経第四章」より。

      「道は沖(むな)しきも、これを用いれば或(ま)た盈(み)たず。

      (=道は空虚であって、而もその虚は何かで満たされるという

       ことも無い。)

         ☞ 沖は虚しいこと。盈は満ちたること。

        ※ 虚の働きは尽きる事は無く、虚であるからこそ無限の働き

          が生じるという逆説の論理である。

      淵(えん)として万物の宗(そう)たるに似たり。

      (=それは深淵のようであり、万物の根源であるかのようだ。) 

         ☞ 淵としてとは、深淵の如くの意。

           宗は、分かれた物(者)の本元。

      其の鋭を挫きて其の紛を解き、其の光を和らげて其の塵に同ず。

      (=その鋭い知力は挫いて鈍くしてやり、その紛糾した事象を

       解きほぐすがよい。

        そして輝かしい才智や高名の光は抑えて隠し、孤高な態度は

       取らずに俗世間の中に同化して行くがよい。)

         ☞ 和らぐとは、ここではボカス(暈す)こと。

           塵は俗世間の意。

       ※ 人のややもすると、才智や事象の複雑さを喜ぶという

         現実を否定するものである。

      湛(たん)として存する或るに似たり。

      (=さすれば深淵に似て、奥深くに何かが存在するかの如く

       なろう。)

         ☞ 湛としてとは、水を深くたたえる様。

      吾 誰の子なるかを知らず、帝の先に象(に)たり。」

      (=私は、それが何者の子であるのかは知らないが、万物の

       父たる天帝のさらに其の祖先ではなかろうか。)

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(断金之交)

     「断金之交」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      「金襴の交わり」とも言う。

      友達同士が極めて固い友情で結ばれること。

      二人が結束すれば、金属をも断ち切ることが出来るの意。

      「二人 心を同じくすれば、その利 金を絶つ。

       同心の言は、その香蘭の如し。」

     (=二人が本当に同心一体になれば、その鋭利さは硬い金属をも

      絶つことが出来る。

       また二人が真に心を同じくして言う所の言葉は、誠に香しい蘭の

      香りの如きものがある。)

                    「孔子の言葉として」

                    「易経 繋辞上」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(懐沙の賦)

     「懐沙の賦」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      屈原の「離騒」に収録の辞世の歌。

      懐沙は、自殺するために懐に石を抱くの意。

        道を進みて北に次(やど。宿)る

          ※ 屈原は楚の南方に追放されたので、故郷である楚の都

            である郢は北方に当たった。

        日は昧昧(まいまい。暗い様)として其れ将に暮れんとす

        憂いを舒(の)べ、哀しみを娯(たの。=楽)しまんとして

        之に限るに大故(絶死)を以てす

        死は譲る可(べ)からずと知る

        願わくば愛しむこと勿(な)からん

        (=死は不可避なものとすれば、もはや我が命を惜しむことも

         無い。)

        明らかに君子に告ぐ

        吾、将に以て類(模範)為(な)らんとす。
         
        (=われは、無意味に死ぬのではなく、憂国の志を持し、その節

         を死ぬまで曲げないのだという模範を示すのだ。)

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(羹に懲りて膾を吹く)

     「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      「懲羹吹膾(ちょうこうすいかい)とも言う。

      一度失敗したのに懲りて、度の過ぎた用心をすることの例え。

      以前の熱い吸い物での失敗に懲りて、冷菜の膾まで用心して、

      息を吹きかけて冷まそうとすること。

        ☞ 羹は、肉に野菜を混ぜて作った熱い吸い物。


      屈原 「楚辞 惜誦」

       
         羹に懲りて虀(せい)を吹く

         (=以前の失敗に懲りて、用心深くなった。)

            ☞ は膾(なます)。

         何ぞこの志を変ぜざらんや

         (=祖国の行く末を想う私の信念は、どうしても抑えることが

          出来ない。)

         (きざはし)を釈(す)て天に登らんと欲す

         (=この身は朝廷からは追放され、今まさに死のうとして

          いるのに。)

         なおさきの態(てい)あるなり

         (=それでも猶 棄て去ることの出来ない憂国の用が沸き

          起こるのだ。)

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(弾冠振衣)

     「弾冠振衣」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      吾が身を清く保とうとする者は、我が身が他人に汚されるのを恐れる

     喩え。

      衣服や冠の塵埃を払うの意。

      屈原 曰く、

      「世を挙げて皆濁り、我独り清(す)めり。

      (=世の中はすべて濁っており、私だけが清らかなのだ。)

       衆人皆酔いて、我独り醒(さ)む。

      (=多くの人は皆酔いしれているが、この私だけは酔うことは

       出来ない。)

       是(ここ)を以って放たる」と。

       (=その為に、ここに流されたのだ。)

      漁父(ぎょほ) 曰く、

      「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。

      (=聖人と言われるような人は、物事に深く拘ることをせず、

       世の中の風潮と共に変化してゆくと申します。)

       世人皆濁らば、何ぞ其の泥を濁して、其の波を揚げざる。

       (=世の人が濁っていれば、あなたも何故同じように泥を濁して、

        濁った波を揚げないのですか。)

       衆人皆酔わば、何ぞ其の糟(かす)を餔(くら)らいて、

      其の醨(り)を啜(すす)らざる。

       (=多くの人が酔っておれば、あなたも何故酒粕を食べ、

        その薄酒をすすらないのですか。)

       何故に深く思い高く挙がりて、自ら放たらしむるや」と。

       (=どうして深く思い煩い余りにも高潔な行動をとって、自分から

        追放されるようなことを為さったのですか。)

      屈原 曰く、

      「吾 之を聞けり、

      新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るうと。

      (=髪を洗ったばかりの人は、必ず冠を弾いてその塵を払って

       から被り、体を洗ったばかりの人は、着物を振るって埃をふるい

       落してから着ると。)

      安(いずくん)ぞ能く身の察察を以て、物の汶汶たる者を受けんや。

      (=どうして潔白なこの身に、外界の穢れをまとうことが出来よう

       か。)

          ☞ 察察とは、身の潔白な様。

            汶汶とは、汚らわしい様。

      寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬らるとも、安ぞ能く皓皓の白きを

     以って、世俗の塵埃を蒙らんや」と。

      (=いっそのことなら湘水に行き、身を投げて魚の腹の中に

       葬られようとも、潔白なこの身に世俗の塵や埃を被ることが

       出来ようか。)

     「濯纓濯足(たくえいたくそく)

      時世の清濁に従って、身の処し方を変え、意のままに生きること。

      冠の紐を洗い、足を洗うの意。

      漁父は莞爾(にっこりと)として笑い、

      「滄浪之水清(す)まば、以て吾が纓(えい。冠の紐)を洗うべし、

       滄浪之水濁らば、以って我が足を洗うべし

      と詠いつつ、枻(えい)を鼓して去り、再び言葉を交わす事は

      無かった。

      (=櫂で船端を叩いてそのまま去ってしまい、そして二人の会話

       は終わった。)

          「滄浪之水」とは、漢水の下流の別称であり、夏水とも

          漢水とも言われ、古くから詠まれてきた「古歌」である。

      ※ 即ち、万事は時世や時勢の清濁に従って、その時々に応じた

        吾が身の出処進退をすべきという意趣である。

                    「古文真宝後集・屈原・漁父の辞」

                    前漢 劉向編「楚辞」   

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(臣を殺さば、是 死薬)

     「臣を殺さば、是 死薬なり」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      王様、この私を殺すならば、之こそ当に死薬となりますぞ。

      ある者から、「不死の薬」が楚王に献上されて来た。

      王の謁者(宮中における賓客の取次役)が取り次いで奥に入って

     来ると、居合わせた中射の士(宮中宿営の士)が問いて曰く、

      「食うべきか」と。

      (=之は食べられますか。)

      謁者曰く、

      「可なり」と。

      (=食べられますよ。)

      中射の士は、因って奪いて之を食らう。

      報告を受けた王は激怒して、彼を殺させようとした。

      中射の士は、人を介して王を説いた。

      「臣、謁者に問う。謁者曰く『喰らうべし』と。

      臣、故に之を食えり。

      是 臣は罪無くして、罪は謁者にあるなり。

      且つ客、不死の薬を献ず。臣、之を食う。

      而して王、臣を殺さば、是 死薬なり。

      王、罪無きの臣を殺して、人の王を欺くを明らかにす」と。

        ☞ ここで「人」とは、不死の薬と言って王に献上した者。

      (=王が注射の士を誅殺すれば、献上されんとした不死の薬は変じて

       死薬となり、薬の献上者は間接的に王を欺いたことになる。)

      王は、即ち誅殺を思い止まったのである。

                   「戦国策 楚策・傾襄王」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(刎頸之交)

     「刎頸之交(ふんけいのまじわり)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      極めて親密な交際の例え。

      例え 首が刎ねられるように事になっても悔いは無いというほどに、

     固い友情に支えられた交際を言う。

      趙の惠文王の時代、「和氏の璧」を全うした藺相如(りんしょうじょ)

     はその功により、上大夫となり、さらにその三年後には

     澠(めんち)地の会盟で趙王の窮地を救った功で上卿に任ぜられた。

        ☞ 澠地の会盟とは、戦勝国の秦と敗戦国の趙との戦後処理

         の和平の会盟。

      時に趙では、名将と言われた廉頗(れんぱ)も上卿であったが、

     遂に藺相如が自分より上席に座ることになったので気分を害した。

      面白くも無い廉頗は、見せしめに藺相如に恥を掻かせてやろうと策を

     講ずるが、その事を知った藺相如は、逃げ回るばかりであった。

      余りの情けなさに、藺家の舎人どもが一緒になって主を諌めて曰く、

      「臣が親戚(家郷の意)を去り君に仕える所以は、唯に君の高義を

     慕えばなり。

      今 君、廉頗と列を同じくし、廉君 悪言を述べれば、君 畏れて

     これに匿れ、恐懼すること殊に甚だし。

      かつ庸人(凡夫)すら猶これを恥ず、況や相将(宰相と将軍)に

     おいてをや。臣ら不肖なれども,請う、辞し去らん」と。

      藺相如は彼らを引き留めて曰く、

      「あなた達を見るに、廉頗将軍と秦王とでは、どちらが

     怖ろしいか」と。

      舎人曰く、
     
      「もちろん秦王です」と。

      相如曰く、

      「それ秦王の威を以ってして、相如これを廷に叱っして、其の群臣を

     辱しむ。

      (=それほど威のある秦王にさえ、この私は秦の朝廷に於いて

       王を叱責し、群がる臣下どもを辱めてやったものだ。)

      相如 駑なり(愚か者)と雖も、独り廉頗将軍を畏れん哉(や)。

      顧みて吾これを念(おも)うに、彊秦(強い秦)の敢えて兵を趙に

     加えざる所以は、唯に吾が両人の在るを以てなり。

      今、両虎 共に闘わば、その勢い共に生きず。

      (=今、二頭のトラが喧嘩すると、その成り行きとしてお互いに無事

       でいられる訳はないのだ。)

      吾 此れを為す所以は、国家の急(危急)を先にして、

     私讐(個人的恨み)を後にするを以ってなり」と。

     「肉袒負荊(にくたんふけい)

      肌脱ぎになって茨を背負い、存分に処罰をして欲しいという、

     春秋戦国時代における君侯大夫らの謝罪の慣行的方法。 

      後にこのことを伝え聞いた廉頗は、大いに恥じて、

      肉袒して荊を負い、賓客に因り藺相如の門に至り、罪を謝して曰く、

      「鄙賤の人(卑しいこの私)、将軍の寛なることの此(ここ)に至るを

     知らざるなり」と。

      遂に相与(あいとも)に驩(よろこ)び、刎頸の交わりを為す。

                    「史記  廉頗・藺相如列伝」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(千人万人の情は、)

     「千人万人の情は、一人(いちにん)の情 是れなり」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      人の人情に変わりはない事。

      千人 万人の心は一人の心と同じであるの意。

      政治を行う者は、千万人の心を察して行わなければならないが、

     それには、己 自身の心に問うてみれば解(わか)ることである。

      自分が寒ければ人も寒かろうし、自分が食べたければ人も食べ

     たかろう。

      このように思い遣りのあるのが、「忠恕(ちゅうじょ)の道」であり、

     また政治の要道でもある。

                   「荀子 不荀篇」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(駑罵十駕)

     「駑罵十駕(どばじゅうが)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      才能の劣った者でも、努力することを怠らなければ、いつかは才能の

     ある者に追いつくことが出来るという喩え。

      鈍い馬の牽く乗り物の十日間の意。

        ☞ 駕は、乗り物・馬が牽く車の意もあるが、ここでは、

             馬に車を付けて、一日に走らせるその行程をいう。

          駑馬は、鈍い馬。

      「麒驥(きき)も一躍に十歩すること能わず、駑馬も十駕するは、

     功 捨てざるに在り。」


      如何なる名馬と雖も、一跳びで十歩進むことは出来ない。

      また如何に鈍い駄馬でも、はるか遠くまで到達する事が出来るのは、

     駈けることを止めないからである。

        ☞ 麒驥の「麒」も「驥」も、共に名馬のこと。

                    「荀子 勧学篇」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(出藍之誉)

     「出藍之誉(しゅつらんのほまれ)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      弟子が技術や能力に於いて上達し、その師を越えることを謂う。

      元となったもの(藍)より、そこから出てきたもの(青)の方が優れている

     の意。

      「藍は之れ藍より取りて、而も藍より青し」からの四字成語。

      (=藍草からできた青い染料の青さは、元の藍草の青色よりも

       美しい。)

      弟子が師より優れていることを云う譬えではあるが、本来的には

     性悪な人間を矯正するには何よりも学問や教育が必要であり、勉学に

     励めば、より高い所へ到達できるという教えである。

      荀子は、「出藍之誉」と同様な意味で、

      「氷は水 之れを為して、水よりも寒し」とも言う。

                    「荀子 観学篇」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(君子は傲ならず、)

     「君子は傲(ごう)ならず、

      隠ならず、瞽(こ)ならず」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      本当の君子たる者は、問われなければ答えないし、問われれば

     其れだけのことに答え、人の顔色や気持ちをよく汲んで応答するもの

     である。

      未だ与(とも)に言うべからずして言う、之をという。

      (=未だ問われもしないのに、勝手に喋る。

       これを喧(やかま)しいという。)

         ☞ 傲の本来の字義は、おごる・あなどる。

      与に言うべくして言わざる。之をという。

      (=問われて言うべき時に、沈黙する。

      これを隠すという。)

      顔色(がんしょく)を見ずして言う、之をという。

      (=相手の顔色を見て可否を判断すべきであるのに、滔々と喋くる、

       これを盲目という。)

      故に君子は傲ならず、隠ならず、瞽ならず。

      謹んで其の身に順(したが)う。

                    「荀子 観学篇」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(荀子性悪説)

     「荀子の性悪説」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      荀子は儒者ではあるが、正統派儒学者の孟子とはその思想を異に

     する。

      孟子は「性善説」に立ち、人間は本来 その性は善であると為すが、

      荀子は「性悪説」を唱えて、人の性は悪なり、其の善なるは偽りなりと

     為す。

      人間には、生まれつき、利によって左右される一面がある。

      この面がそのまま成長してゆくと、謙譲の精神が失われて、争いごとに

     引き込まれ易くなると。

      従って、為政者の「法による指導」が必要となり、それによる「礼と義

     による教化」が必要だとする。

      この礼と義は、正統儒学の道徳的且つ内面的な規範ではなく、外面的

     な規範としてのものだとする。


       荀子

        諱は況。字は卿。筍卿とも孫卿とも称せられる。

        その生没年は、はっきりしないが、前313年~238年とも。

        斉の襄王に仕えて祭酒(稷下の学者村の)となり、後には楚の

       春申君(戦国四君として著名)に招聘され、蘭陵の令となる。

       春申君の死後、任地で隠棲する。

      
      ※ 荀子のやや脱儒学的思想は、荀子が楚の地で隠棲してから

       の弟子である韓非子や李斯が、法家思想に転ずる原初的な

       影響を与える。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(完璧)

     「完璧(かんぺき)

                         ◇ 戦国時代 ◇

     「完璧帰趙」とも謂う。 

      完全無欠で、非の打ち所も無い仕事ぶりや品物。

      璧を完(全)うして趙に帰るの意で、原義は借りた物を大事に持ち帰る

     ことを意味した。

        ☞ 璧は「玉」のことで、形状は円形で平たく、その中央部に

         丸い穴があるが、その直径は外周部の幅よりは小さい。

      趙の惠文王⑧は、昔 楚の卞和(べんか)が見つけたという

     「和氏(かし)の璧」という名玉を手に入れた。

      するとその噂を耳にした超大国・秦の昭王(昭襄王)㉘が使者を送って

     来て、和氏の璧と秦の城邑十五と交換したいと申し入れて来た。

      後世 この理由により、和氏の璧は別名〈連城の壁〉とも言われる

     ようになる。

      だがその申し入れは秦の勝手な横暴であり、只(ただ)で巻き上げようと

     いう魂胆であることは見え透いていた。

     》 趙の重臣会議 《

      趙王は重臣を招集して対策を練るが、容易にまとまらず、その使者の

     人選も難航した。

      その時 宦官の長である穆賢(ぼくけん)が、自分の食客である
     
     藺相如(りんしょうじょ)を推薦した。

      趙王は早速、藺相如を召して意見を質したところ、

      「相手は強大な秦のことです、言うことを聞かない訳にはいかない

     でしょう」と対えた。

      王はさらに、

      「使者とするなら、誰か適任者がいるのか」と下問した。

      藺相如は対えて、

      「他に適任者がいないのなら、自分が参りましょう」と言ってから、

      己の信念を語った。

      「城、趙に入らば璧を秦に留めん。

       城、入らずんば、臣 請う璧を完うして趙に帰らん」と。

      (=約束通り秦が城を趙に譲れば、和氏の璧は秦に置いておきましょう。

       だが約束の城が趙のものとならなければ、私が壁をそのまま趙に

       持ち帰りましょう。)

      かくして秦に赴いた藺相如は、王宮で秦王に見えた。

      相如が、恭しく壁を秦王に奉じると、秦王は喜色満面になり、側に侍って

     いた宮女や側近にも披見させた。

      その内側近たちは皆 万歳を叫ぶ始末となり、王は王で 交換条件に

     は一言も言及しようとはしなかった。

      そこで相如は、城を償う意志無きものと判断して、進み出て言った、

      「壁に瑕(きず)あり、請う 王に指示せん」と言って、王から壁を取り

     戻した。

      璧を手にした相如は、そのまま後ろに下がり柱を背にして立ち上がって

     叫んだ。

      「趙では、初め大王の交換要求に接して、

      《秦は貪にして、その彊(つよ)きを恃(たの)み、空言を以って

     璧を求む。

      城を償うこと恐らく得べからざらん》との評に傾きました。

      ですが臣は布衣(ふい。庶民)の交わりすら猶 相欺かず 況や大国をや。

       かつ一璧の故を以って彊秦の驩(かん)に逆らうは不可なり、と進言

      いたしました。

         ☞ 強い秦の機嫌を損なうの意。 

       かくして、趙王は斎戒すること五日、臣をして壁を奉じ、拝して書を

      御前に贈らせたのでございます。

       ところが、大王、臣を列観(臣下の列席)に見、礼節 甚だ驕り、璧を

      見るや之を美人に手渡し、以って臣を愚弄なさいました。

       臣は故に、大王に城邑譲渡の意志無きものと拝見し奉り、璧を取り

      戻しました。

       大王、必ず臣を急(殺害)にせんと欲せば、臣の頭 今、壁と共に柱に

      砕けん」 と恫喝した。

       相如の形相は当に、壁を持って柱に叩きつけんとの玉砕決死の勢い

      であった。

       相如は秦王の安直な妥協策を信ぜず、遂に秦王をして趙王と同じ

      斎戒沐浴をして、九賓(最高の儀礼)を廷に設けさせた。

       そしてその間に、藺相如は秦王には城邑譲渡の意志は無しと判じて、

      密に彼の従者を変装させて、和氏の璧を懐かせて間道伝いに趙に

      帰した。

       秦王は予定通りの儀式を終えて、改めて宮廷で九賓の礼を以て藺相如

      を引見した。

                   「史記 廉頗・藺相如列伝」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(車魚の嘆)

     「車魚之嘆(しゃぎょのたん)

                       ◇ 戦国時代 ◇

      「長鋏よ帰らんか」とも言う。

      食客(居候)が、待遇の悪いのを改善してもらおうと態度で示しての嘆き。

      一つ望が叶えば、また更にその上を望むことを謂う。

     》 斉の孟嘗君(田文)余禄 《

      斉では湣王が殺害された後、襄王が即位した。

      その頃 孟嘗君は自邑の薛で独立して、諸侯の一人となっていたが、

     斉の国都・臨淄に住んでいた。

      孟嘗君は食客三千人を抱え、「名声諸侯に聞こゆ」と謂われたが、その

     食客の中には風変わりな者も少なくなかった。

      その内また一人、尾羽打ち枯らした風来坊が転がり込んできた。

      其の名を馮讙(ふうかん)という。

        ※ 「戦国策 斉・閔王」では、馮諼(ふうけん)という。 

      馮讙は孟嘗君に見(まみ)えた。

      孟嘗君曰く、

      「先生は遠い所からお訪ねくださいましたが、何をか私に教えて下さるの

     ですか」と。

      馮讙は、

      「君が士を好まれると聞き、貧しい身を君に寄せました」と。

      孟嘗君は、とりあえず彼を一般用宿舎である<伝舎>に留めた。

      十日が経ち、馮讙は剣(剣の柄)を叩きながら詠った。

      「長鋏(ちょうきょう)よ帰らんか、食うに魚なし。」

         ☞ 長鋏とは、剣のこと。

      (=剣よ帰ろうか。食膳には、魚が並んでいない。)

      それを伝え聞いた孟嘗君は、彼を伝舎から食事に魚の付く中級宿舎の<

     幸舎
    >に移した。

      また五日経ち、馮讙は詠う。

      「長鋏よ帰らんか、出づるに輿(こし。車)なし。」

      孟嘗君は今度も、何も言わずに彼を上級宿舎の<代舎>に移し、

     専用の車を与えた。

      更に五日後、馮讙は詠った。

      「長鋏よ帰らんか、以って家を為すなし。」

      さすがに孟嘗君もむっとして、その願いを無視した。

      それから一年が経ったが、その男は何一つ進言することも無かった。

      孟嘗君はその多くの食客を養うためには、領地からの上りだけでは養い

     かねるので、金融(金貸し)にも手を付けていたが、近頃はその貸付金が

     焦げ付いていた。

      そこで貸金の取立人として馮讙に白羽の矢を立てたが、馮讙と同じ食客

     の推薦によるものであった。

     》 小を捨てて大を採る馮讙 《

      孟嘗君の宰邑・薛にやって来た馮讙は、金を借りた全員に出頭命令を

     出し、先ずは取れる者から十万銭の利息を取り立てた。

      そして次にその金で、酒を醸し肥牛を買った。

      ※ 当時の贅沢を表現する決まり文句である。

      そして債務者全員を大宴会場に集め、その席で、利息を払えた者には

     改めて返済期限を定め、払えなかった者に対しては、その証文をすべて

     焼き払ってしまった。

      その後に、全員で大酒宴となった。

      その事を知った孟嘗君は、彼を急ぎ呼び戻して詰問した。

      馮讙は対えて曰く、

      「酒と肉は、債務者全員を集めるために必要でした。そして支払い能力

     ある者には、支払期限を約束させましたが、能力の無い者から無理矢理

     取り立てれば、夜逃げされるのが関の山です。

      その結果、領主は利を貪り、領民は債務を守らぬとの風評が立ち、上下

     ともに汚名を残すだけとなります。

      有名無実の債権と引き換えに、領民にあなたの恩義を売りつけ、仁君の

     名を高めてきましたが、何処か不都合でもございますか」と。

      孟嘗君は、この処置にいたく感動した。

                     「史記 孟嘗君列伝」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(火牛之計)

     「火牛之計」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      敵の油断を衝く夜間の奇襲の謀(戦法)をいう。

      戦国時代、斉の田単の用いた計略。

      千余頭の牛の角に刀剣を括りつけて、尾には油を注いだ葦を結び付け

     て置き、一斉に火を放って牛を怒らせて敵陣に突入させ、その後から兵を

     繰り出して戦う戦法。

     》 斉の反攻開始 《   前279年

      斉では今や、即墨と莒を残して風前の灯火となっていたが、即墨に

     立て籠もる田単は謀略を以って燕に仕掛けた。

     「反間之計」

      敵の間者(諜報・スパイ)を逆利用して、我が方の用をさせる軍事謀略

     を言う。

      燕では楽毅の後盾であった昭王が死に、惠王㊶が即位した。

      ところで、この惠王が大子の頃から、楽毅とは橇が合わない仲であった。

      其の事を知った田単は、斉国内に潜入して間諜活動をしていた燕国の

     間者に、惠王が楽毅を疑うようなデマを流し続けた。

      果たして惠王はまんまとその謀略に引っかかり、楽毅を更迭して、帰還

     命令を発した。

      楽毅は止むを得ず、身の危険を覚えて趙に亡命した。

      楽毅はその後、惠王に次のような文言の書を送った。

      「君子は交わりを絶つも、悪声を出ださず。

       忠臣は国を去るも、其の名を潔くせず。」

      (=絶交した後も、君子たる者は相手の悪口を言ったりはしないもの。

       また忠臣は己の名を正当化するような言動はしないものである。)

      かくして田単は最大の難敵を排したことになるが、さらに包囲されている

     即墨で味方の士気を高めるための反間を放った。

      即ち燕軍には、城外の先祖の墓地を暴けば、籠城兵の士気は喪失

     するだろうとのデマを流してそれを実行させたが、豈に計らんや、悔し

     がった籠城の将兵や住民は闘争心を高めていった。

     「安堵」

      心配事が無くなって、安心すること。

      この垣を安ずるという意で、住居を荒らさない事を言う。 

        ☞ 堵は住居の垣。

      田単はさらなる反間の計の仕上げとして、即墨の富豪たちに拠出させた

     千金(多くの金の意)で以て、敵将に贈賄作戦を展開して敵の油断を引き

     出そうとした。

      即墨の富豪たちは敵将に献金して曰く、

      「即墨が落ちるのは時間の問題です。我々は恭順しますので、どうか

     我々の堵を安じて頂きますように」と懇願した。

     》 即墨の戦い 《

      頃は良しと見た田単は、城内の千余頭の牛を集め、それらに五色の文様

     を描いた絹布をかぶせ、角に刀剣を縛り付け、尻尾に油を注いだ葦の束を

     括りつけた。

      その準備か完了するや、牛の尻尾の葦の束に火をつけ、城門を一斉に

     開いて、牛を追い立て、その後から精兵五千が敵陣に突入した。

      城内でも、これに応じて一斉に喚声を上げ、老人も子供も手に手に銅器

     を持ち打ち鳴らした。 

      燕軍は全く度肝を抜かれて、一斉に潰走し始めた。

      勢いに乗った斉軍は、その後たちまち奪われた城を次々と奪い返して、

     遂に斉国を再建した。

                    「史記 田単列伝」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(田単 即墨を死守) 

     「斉の田単、即墨を死守」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      燕の斉に対する報復戦で、燕の名将・楽毅は斉の七十余城を攻略した

     が、即墨と莒の両城は攻めきれなかった。

      この両城の内、即墨を守り通したのは田単である。

      湣王が国都・臨淄を逃れて莒に身を退いた時、王族の流れを汲むが

     下級役人をしていた田単は、多くの一族を引き連れて逸早く国都の東に

     ある安平に逃れた。

      そして安平に着くや、直ちに一族の者たちに命じて、馬車の車軸を鉄材

     で補強させた。

      やがて日を置かずして、安平にも燕軍が攻め寄せてきたので、避難者の

     多くは家財道具を満載した馬車で移動しようとしたが、道々 車同士が

     ぶっつかり合って車軸が折れたり曲がったりして、まごついている間に捕え

     られてしまった。

      だが田単の一族は、馬車を補強して置いたので、この災難から逃れる

     ことが出来、さらに東の地の即墨に入城した。

      その内、即墨では燕軍の来襲から城を守るため、城中の人 相ともに

     田単を城将に推任して曰く、

      「安平の戦いに、田単の宗人は鉄籠を以って全きを得たり。

     兵に習う」、と。

      すなわち人々は皆、田単の冷静沈着さを「車軸の一件」で知っており、

     軍略にも長けていると確信していたのである。

      その後、即墨では燕との攻防戦が繰り広げられたが、田単の指揮

     宜しきを得て燕の猛攻に抗することが出来た。

                   「史記 田単列伝」

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(倚門之望)

     「倚門之望(いもんのぼう)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      子の帰りを待ちわびる母親の情愛の例え。

      家の門に寄りかかって、遠くを見やるの意。

        ☞ 倚は、身を寄りかかる。

     》 燕の報復なる 《   前284年

      燕の昭王の期待を一身に受けた楽毅は、昭王と共に以来 苦楽の

     二十八年、漸くその機は熟した。

      楽毅は自ら使者となり、趙・魏・楚・韓を歴訪して、五ヶ国軍事同盟を

     結ぶことに成功した。

      かくして前284年に、楽毅を総司令官とする対斉攻略軍が発向した。

      名将楽毅率いる連合軍は、たちまち斉攻略の多大な成果を挙げた。

      だがここで各国は、それぞれの国内事情もあって、連合軍を解いて、

     それぞれ帰国した。

      ところが楽毅直属の燕軍は、猶も斉国内に留まり執拗に各地を転戦して、

     遂に斉の国都・臨淄(りんし)を攻略し、戦利品を次々と本国の燕へ送り

     続けた。

      そしてさらに戦線を拡大して、即墨と莒(きょ)の両城を残して、斉の

     七十余城を攻略した。

      ※ 戦国四君と謳われた斉の孟嘗君は、魏に亡命中であったが、

        燕による斉の臨淄攻撃に加担して、湣王の死後は自邑の薛(せつ)

        で独立した。

     》斉の王孫賈、莒城を死守《 

      斉が瀕死の事態となった時、今度は楚が将軍・淖歯(とうし)を斉救援

     の為に派遣した。

      だが淖歯は、救援にこと寄せて逆に、莒城に拠る閔王(史記では湣王)

     を殺害し、斉から奪った地を燕と分割しようとする挙に出た。

      時に、斉には王孫賈という士がいたが、閔王が臨淄から莒に逃れた時、

     途中で王一行にはぐれてしまい、已む無く独りで実家に帰った。

      ところが、その理由を知った彼の母親は、我が子を叱咤して言った。

      「汝 朝に出でて晩に来たれば、すなわち吾、門に倚(よ)りて望む。

       汝、暮れに出でて還らざれば、すなわち吾、閭(りょ)に倚りて望む。

       (=お前が朝、家を出て晩に帰れば、わたしは「坊門」に寄りかかって、

        お前の帰りを待ってきたものです。

         またお前が晩に出かけて、なかなか帰って来ないと、「閭門」まで

       行き、お前の帰りを待ってきたものです。)

          ※ 防門と閭問

            閭門とは、防禦壁に囲まれた邑里(聚落)の出入り口となる

           門をいう。

            坊門とは、聚落内に設けられた幾つかの区画された防

           (居住区)の出入り口となる簡単な門をいう。

       それと謂うのも、お前が勤めを立派に果たしてくれることを願っての

      ことなのです。

       それなのに、今度は王様が危難に遭われている時に、はぐれてしまって

      仕方が無かったと言う。恥を知るなら、家に帰れないはずだよ」と。

       母親に諌められて大いに発奮した王孫賈は、直ちに義勇の士を募る

      ために市場に出かけた。

       そして義勇の若者を集めて決死の部隊を編成し、隙を見出して莒の

      楚軍に切り込みをかけ、見事に敵将の淖歯を倒し、今は亡き湣王の

      遺児・法章を探し出して、莒城で王位に即けた。

       この法章が、襄王⑦である。

                    「戦国策 斉・閔王」

     

    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(雀、隼を生む)

     「雀、隼(はやぶさ)を生む」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      小さな鳥が大きな鳥を生むということで、是を「瑞兆」とする例え。

      小さな雀が、大きな猛鳥の隼を生むの意。

     》 宋の滅亡 《   前286年

      宋の偃王(えんおう」)㉜の御代(前329年~前286年)、雀が城の

     隅で隼を生んだ。

      偃王が、之を役人に占わせたところ、

      【小国の宋が、必ず天下の覇者になるという瑞兆である】との

     ことであった。

      王は大層喜び、ついに滕(とう)を攻め、薛(せつ)を討ち、だんだん

     自信を強めていった。

      そして一日も早く覇者になろうとして、天を射、地を鞭ち、剰え社稷の

     御神体を焼き払い、「天下の鬼神を威服した」ぞと吹聴した。

      そんな王に諫言する長老や臣下を罵倒し、意味も無く勇気を鼓舞し、

     意味のない殺戮を繰り返し、民を驚倒した。

      かくして宋王は、諸侯からも「桀宋(けつそう)」とあだ名される

     暴君振りであった。

        ☞ 古代の夏王朝最後の王である桀王は、悪逆非道の暴君

         振りで王朝を滅ぼしたが、宋の偃王にその桀王の名を冠して

         「桀宋」と呼んだのである。

      斉はそのような宋の情勢を耳にして、宋を滅ぼすべく、魏・楚と連合して

     宋を攻め、遂に併呑した。

                    「戦国策 宋・衛・中山」

     

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(尚論尚友)

     「尚論尚友(しょうろんしょうゆう)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      古の人のことを論評したり、古の賢人を友とすること。

        ☞ 尚は、昔とか古(いにしえ)。

      孟子、萬章()ばんしょうに謂いて曰く、

      「一郷の善士(優れた人物)は、斯(すなわ)ち一郷の善士を友とす。

       一国の善士は、斯ち一国の善士を友とす。

       天下の善士は、斯ち天下の善士を友とす。

       天下の善士を友とするを以って、未だ足らずと為すや、

      また古之人を尚論す。


       その詩を頌(しょう)し、その書を読むも、その人を知らずして

      可ならんや。

       (=その詩を暗誦したり、その書を読んだとしても、その人のことを

        知らなくては分かったとは言えない。)

       是れを以って、その世を論ず。

       (=その故に、その時代のことを論じるのだ。)

       是れ尚友なり。

       (=すなわち、これが古人の友達というものなのだ。)

                     「孟子 萬章下」

    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(自暴自棄)

     「自暴自棄」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      自分で自分の身を害(そこ)ない、捨て鉢になる事。

      いずれも人の善なる本性に立ち戻らず、捨て鉢になって自身を滅ぼして

     しまうことを言う。

      孟子曰く、
      
      自から暴(そこな)う者は与(とも)に言いうこと有るべからず。

      (=自分で自分を害うような者は、善い話が出来ないので、共に語る

       ことは出来ない。)

      自ら棄(す)つる者は与に為すこと有るべからず。

      (=自分で自分を投げ捨てるような者は、善い結果が得られないので、

       共に行動することは出来ない。)

      言、礼儀を非(そし)る、之を自暴と謂う。

      (=礼儀を壊すような言葉を口にする、これを自暴という。)

      吾が身、仁に居りて義に由ること能わざる、これを自棄と謂う。

      (=己自身は仁によって立ちながら、義によって行うことが出来ない

       というのを、自棄というのだ。)

      仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。

      (=仁とは、人の住み心地の良い家のことである。

        義とは、人の歩むべき大道である。) 

      安宅を曠(むな)しくして居らず。正路を舎(す)てて由らず。

     哀しい哉。 

      (=住み心地の良い家を空家にして住まず、大道を捨て置いて省みない

       とは、なんと可哀そうな人であろうか。)

                    「孟子 離婁上」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(月に一鶏を攘みて、)

      「月に一鶏を(ぬす)みて、

      以って来年を待ち、然る後 已む」


                        ◇ 戦国時代 ◇

      悪事と知っていても、容易に改められないこと。

      先ずは月に一羽だけ鶏を盗むことにして、来年からは盗みを已めよう

     の意。

      孟子曰く、

      「今、日に其の隣の鶏を攘む者有り。」

      (=今現在 毎日、隣の鶏を一羽 盗んでいる者がいた。)

      或る人、之に告げて曰く

      「是は君子の道に非ざるなり」と。

      曰く、

      「請う、之を損ぜん。

       (=それでは、其れを減らすようにしましょう。)

       月に一羽 攘むを以て来年を待たん、然る後 已む」と。

       (=これからは毎月一羽 盗むことにして、来年になったら早速

        止めましょう。)

      「如(も)し、其れ義に非ざることを知らば、速やかに已まんのみ。

     何ぞ来年を待たん」と。

      (=だが、もし其れが義でないと分かったならば、速やかに已める

       べきである。どうして来年を待つ必要があろうか。)

       ※ だんだんその数を減らすとか、来年を待って已めるなどと

        云うのは、単なる詭弁に過ぎず、逃げ口上である。 

                    「孟子 滕文公下」

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(尽く書を信ずれば、)

     「尽(ことごと)く書を信ずれば、

      則ち書 無きに如(し)かず」


                         ◇ 戦国時代 ◇

      書経に書いてある事を唯 盲目的に受け入れるくらいなら、書経などは

     無いに越したことはない。

        ☞ 「書経」という呼び方は、北宋時代より後の事であり、

          古代においては 単に「書」と呼び、前漢時代に「挟書の律」が

          解禁となってからは、「尚書(しょうしょ)」と呼ばれた。
      
      次いで曰う、

      吾、武成に於いて二三策(にさんさく)を取りて而して已む。

      (=儒学の必須の経典である書(書経)と雖も、書かれている事がすべて

       正しいという訳ではないので、疑問を持つ思考や批判精神も大切だ

       という学問習熟上の心得というか自戒を説いたもの。

        孟子は、書の中の「武成篇」と雖も、ほんの二、三行を取り入れる

       だけであった、と。)

      仁人は天下に敵なし、至仁(しじん)を以って

     至不仁(しふじん)を伐つ、


     而 何(いかん)ぞそれ血の杵(きね)を流さんや。

      (=仁者は天下に於いて、敵する者などはいないはずである。

        仁者であるはずの周の武王が、不仁者である殷の紂王を征伐し、

       あまつさえこの武成篇にあるように血を流すようなことがあったの

       だろか、と疑問を呈している。)

        ☞ 「武成」は、書の中の一つの篇名である。

          だが現在の武成篇は、後世の偽作であろうと謂われている。

          血の杵とは、血塗られた盾。

                     「孟子 盡心下」

     

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    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(俯仰、天地に愧じず)

     「俯仰(ふぎょう)、天地に愧(は)じず」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      公明正大な事の例え。

      心に疚しい所が無ければ、仰いでは天の神に、俯しては地の神に

     恥じ入ることも無いの意。

      孟子曰く、

      「君子に三楽あり。而して天下に王たるは与(あず)かり存せず。

      (=君子には三つの楽しみがある。だが天下の王となることなどは、

       その三つの内には入らない。)

      父母 俱(とも)に存(いま)し、兄弟故(こと)無きは、一つの楽しみ

     なり。

      (=父母がともに健在で、兄弟にも取り立てて事故が無いのは、これも

       楽しみの一つである。)

      仰いで天に愧じず、俯して人に怍(は)じざるは、二つの楽しみなり。

      (=心に疚(やま)しい所が無く、上を向いては天に、下に俯(うつむ)い

       ては地に、恥じることのないのは、人生の楽しみの一つである。)

      天下の英才を得て、之を教育するのは、三つの楽しみなり。

      (=天下の秀才を集めて、之を教育するのは、人生の楽しみの一つ

       である。)

                     「孟子 盡心上」

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(人 皆、人に忍びざるの心有り 、)

     「人 皆、人に忍びざるの心有り」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      人間には誰しも、見るに忍びない、するに忍びないという思い遣りの心

     がある。

      孟子は言う、之を「忠恕(ちゅうじょ)の心」と言うが、治国の根本

     なのである。 

      先王、人に忍びざるの心有りて、斯(すなわ)ち 

     人に忍びざるの政(まつりごと)あり。

      (=昔の優れた王には、民の悲しみに同情する心があったので、

       そのようなお気持ちで政治を為されたものです。)

      人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、

     天下を治ること、之を掌上に運(めぐ)らすべし。


      (=君王が民に同情して、労わりの政治を行うならば、天下国家を治める

       ことなどは、わが手(掌)の上で操るようにた易いものです。)

      人 皆、人に忍びざるの心有りと謂う所以(ゆえん)の者は、

     今 人 乍(にわか)に孺子(じゅし)の将に井(せい)に入らんとするを

     見れば、皆、怵惕(じゅつてき)、惻隠(そくいん)の心有り。

      (=今、突然に幼い子供が井戸の中に墜ちこもうとするのを見れば、

       人は皆、懼れ慌てたり、哀れみ悼む気持ちが生じよう。) 

      交わりを孺子の父母に内(い)れんとする所以にも非ず、

     誉を郷党・朋友に要(もと)むる所以にも非ず。

      (=幼子の父母と交友があるからでもない、里の人々や親しい友からの

       称賛を得ようとするからでもない。)

      その声を悪(にく)みて、然るに非ざるなり。

      (=後になって冷酷非情な人との評判が立つのを恐れての事では

       ないのだ。)

                     「孟子 公孫丑上」

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    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(危於累卵)

     「危於累卵(きおるいらん)

                         ◇ 戦国時代 ◇

     「累卵より危うし」と訓読する。

     「累卵之危」とも言う。

      極めて不安定で危険な事の例え。

      積み重ねた卵は崩れやすいが、それよりもなお危うい状況にある

     という意。

        ☞ 累卵とは、積み重ねた卵。

     》 趙の武霊王の餓死事件 《

      趙では、武霊王の長子である章が大子となっていたが、武霊王の愛妾

     が次子となる何を産んだ。

      何が長ずるに及んで、武霊王は愛妾の懇願もあって、大子の章を

     廃して、次子の何を大子に冊立した。

      そして間もなく武霊王は大子何に譲位して、自らは主父(しゅほ)と

     名乗り、外征に専念した。

      主父は惠文王(何)には忠臣の肥義を就け、章には田不礼と云う者を

     付けた。

      長子の章は傲慢なところがあり、その付け人の田不礼も亦た傲慢で

     貪欲な所があった。

      この二人の事をよく知る重臣の李兌(りだ)は、この二人の王位簒奪の

     陰謀を察知して、宰相・肥義に対してこの二人には十分注意して、この際

     潔く身を退くのが身の為であると勧めた。

      李兌の忠告に応えて、肥義は先王から現王の輔佐を引き受けたから

     には、その信頼を裏切ることは出来ないとして、断った。

      李兌は、その一方では主父の叔父・公子成にも、内紛に備えるように

     進言していた。

      主父が砂丘の離宮で休養していた時、二人の我が子を呼び寄せた。

      その時 主父は、長子の章にはいずれ分封しようと思っていたが、章は

     宿舎に帰着するや、何を思ったか主父の名を騙り、自らの在所に惠文王

     を呼び寄せようとした。

      之に不審に思った肥義は、先ず自らが先に章の在所に入ったところ、

     田不礼の手の者により殺害された。

      後に続いていた惠文王は、在所の騒動に異変を察して、警護を固めて

     仮宮に帰還した。

      章の手の者は急ぎ仮宮を囲んだが、攻めあぐねた。

      その内 騒動の報せを受けた国都にいた公子成と李兌は急ぎ兵を

     率いて駆けつけ、章の反徒を鎮圧したが、章は主父の離宮に逃げ込んで

     しまった。

      ところが、主父は章を匿って、離宮の門を閉鎖してしまった。

      譲位したとはいえ、主父は事実上の君主である。

      離宮に攻め込む訳には行かず苦悩したが、その内 重傷を負っていた

     章は息絶えたと謂う。

      ようやく決心の付いた公子成は、離宮に向かて叫んだ、

      「人に遅れて出てきた者は、賊と見做して一族皆殺しだ」と。

      すると離宮から先を争って主父の臣下が出てきたが、主父は独り

     取り残されてしまった。

      主父は運良く事態の好転を待つのみと、覚悟を決めて閉じこもった。

      だがその後、誰一人として主父の救出に動く者は無く、やがて離宮の

     食も尽き果てて、一代の俊英も餓死を余儀なくされた。

      かくして惠文王の時代となったが、政治は公子成と李兌が取り仕切った。

                     「史記 趙世家」

     》 説客・蘇子 《

      蘇子はある者から、趙の権勢家の李兌に遊説するよう求められた。

      李兌に見えた蘇子に、李兌 曰く、

      「先生、鬼の言(霊魂 則ち冥界の話)を以て我を見ば、則ち可なり。

      若し人の事(この世の話)を以ってせば、兌(李兌)、尽くこれを

     知れり」と。 

      蘇子対えて曰く、

      「臣 固より鬼の言を以て君に見えんとす。人の言を以てするに

     非ざるなり」と。

      李兌は、蘇子に見えることを許した。

      蘇子曰く、

      「今日 臣の来るや暮れて郭門に後(おく)れ、席を藉(か)るに得る所

     無し。人の田中に寄宿す。

       (=今日 私は城門に暮れてから着いたので、仮の宿を取る所も無く、

       他人の田んぼの中で野宿しました。)

      傍らに大叢(広大な草むら)有り。

      夜半 土梗(土の人形)、木梗(木の人形)と闘いて曰く、

      『汝は我に如かず(=及ばない)。我は乃ち土なり。

       我をして疾風淋雨(突風)や長雨に逢わしめば、壊阻して乃ち土に

      復帰せん。

       今 汝は木の根に非ずんば、則ち木の枝ならんのみ。

       (=今のお前は、木の根か枝に過ぎん。)

       汝 疾風淋雨に逢わば、漂いて漳河に入り、東に流れ海に至りて、

      氾濫して止める所無けん
    』と。

      臣 窃(ひそ)かに以為(おもえ)らく、『土梗 勝れり』と。

      今 君、主父を殺して之を属す(族滅させる)。

      君の天下に立つや、累卵より危うし。

      君 臣の計を聴かば則ち生きん。臣の計を聴かずんば則ち死せん」と。

      李兌は言う、

      「先生 先ずは宿舎にお入りください。

       そして明日またお会い下さい」と。

      かくして蘇子が退出すると、李兌の舎人(側近)が李兌に言った。

      「臣 窃かに君と蘇公と談ずるを見るに、

       その弁も君に過ぎず、その博も君に過ぎたり。

       (=彼の弁舌も博識も君に勝っている。)

      君 能く蘇公の計を聴かんか」と。

      李兌曰く、「能わず(それは出来ない)」と。

      舎人曰く、

      「君 若し能わずんば、願わくば君 堅く両耳を塞ぎて、その談を聞く

     無かれ」と。

      翌日 再び蘇子は李兌に見え、終日話し込んでから退出した。

      舎人は蘇子を見送ったが、蘇子はその舎人に質問した。

      「昨日は我が談、粗(大雑把)にしえ而も動き(心が)、今日は 精(精微)

     にして而も君 動かざるは何ぞや」と。

      舎人 説明して曰く、

      「君(李兌)には、先生の説く雄大且つ高遠な謀事を実行する度量が

     無いので、我が君には、

      『明日は堅く両耳を塞ぎて談を聞く無かれ』と、

     言っておいたのです」と。

      そして蘇子には、この度の御足労に対して、篤く御礼出来るように

     運動します、と約束した。

                    「戦国策 趙」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(鶏鳴狗盗)

     「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      どのようにつまらない事であっても、何がしかの役に立つこともある

     という喩え。

      鶏の鳴き声をまねて人を欺いたり、狗のようにこっそりと盗みを働く

     ような卑しい技能、またそのような者を言う。

         ☞ 鶏鳴は、鶏が夜明け前に鳴くこと、或いはその鳴き声。

           狗盗は、狗のようにこそこそと盗みを働く事。

      孟嘗君は斉の歴代君侯に仕えるが、孟嘗君が君侯を凌ぐ人気を有す

     る為、しばしば閑職に追いやられる。

      その為に以前は隣国の魏の宰相に招かれたこともあったが、今回 

     斉・湣王(⑥)三年(前298年)には、秦から宰相として迎えられよう

     とした。

      孟嘗君は多くの食客を引き連れて秦に赴いた。

      ところが孟嘗君が秦に着いてから、斉の王族である自分が秦の宰相に

     なるのを快からず思っている者が多いことに気付いた。

      また秦の昭襄王㉘も招請はしたものの、流石に秦の王族の反対を押し

     切れず、孟嘗君の宰相起用は断念するようになった。

      しかしこのまま不信感と恨みを懐かせたまま、斉へ帰国させては無事に

     事が済まないと考えた昭襄王は、孟嘗君を抑留して置き、亡き者にしよう

     と考えていた。

      食客の力でその情報を得た孟嘗君は、この際 昭襄王の愛妾の力を

     借りようと、訪れてその協力を依頼した。

      すると愛妾はその謝礼として、狐白裘(こはくきゅう)を要求した。

        ☞ 狐白裘とは、狐の腋の下の僅かな純白毛を材にした皮衣。

          極めて高価な物で、高貴の嗜好品であった。

      だが狐白裘は既に招聘の礼物として、先に昭襄王に献上しており、

     二着とは無かったのである。

      この途方に暮れた孟嘗君を救ったのが、狗の様をして屋敷に忍び込む

     泥棒の名人「狗盗」である。

      昭㐮王の宝物庫に忍び込み、見事に狐白裘を盗み出してきた。

      かくして漸くにして帰国の許可が出ると、孟嘗君一行は、昭襄王の気が

     変わらない内にと、国境の函谷関へ急行した。

      しかし函谷関に到着するも、時は未だ深夜である。

      函谷関の門が開くのは、明け方になって、一番鶏が鳴く時である。

      だが、これを待っていては、既に発せられた追跡隊に捕捉されてしまう。

      この危急を救ったのは、動物の鳴き声の巧みな、特に鶏の鳴き声の名人、

     「狗盗」である。

      名人の鶏鳴が一鳴きすると、たちまち鶏が一斉に鳴き始めた。

      不審に思いつつも関所番は、起きだして開門した。

      かくして、一行は無事に脱出できたのである。

                「史記 孟嘗君列伝」・「十八史略・戦国」
              

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(鷸蚌の争い)

     「鷸蚌(いっぽう)之争い」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      「漁夫之利」とも言う。

      利を前にして両者が争っている間に、第三者が労せずして

     その利益を横取りする喩え。

      鷸は水鳥で、嘴の長い「シギ」。蚌は「ドブ貝」。

      時に戦国時代、趙が東の隣国の燕を伐とうとした。

      説客の蘇代は、燕の昭王㊵の意を受けて、趙の惠文王⑧に

     見えた。

      蘇代は語って言う、

      「今日私がこちらに来る途中、易水を通り過ぎましたが、

     ドブ貝が貝殻から出て身を曝しておりました。

      するとその時、シギがその肉を啄(ついば)みました。

      対してドブ貝は、その貝殻を合わせて、その嘴を挟みつけました。

      シギが言いました、

      『今日も雨が降らず、明日も雨が降らなかったら、君は死んで

     しまうぞ』と。

      ドブ貝は応じて言いました、

      『今日も出られず、明日も出られなかったら、君は死んでしまうぞ』と。

      そして両方とも、互いに相手を離そうとしませんでした。

      そこへ漁夫が来て、両方とも捕えてしまいました。

      今、趙は燕を伐とうとし、燕は趙と相久しく凌ぎ合って、お互いの

     国の民は疲弊しております。

      私は強い秦が漁夫となることを恐れます」と、趙王を説いた。

      趙の惠文王は、「善し」と言って、燕を伐つことを取り止めた。

                     「戦国策 燕・昭王」

      ※ 戦国策が「漁夫の利」の出典である。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(堯も亦た及ばざる所あらん)

     「堯も亦た及ばざる所あらん」

                         ◇ 戦国時代 ◇

      人や物のそれぞれの長所・短所の扱いを過てば、聖天子の堯

     と云えども功業を挙げる事は出来ない。

      斉の孟嘗君(田文)の舎人(食客)であったが、孟嘗君の気に入らぬ

     者が一人いた。

      孟嘗君は予てから彼を追い出したいと思っていたが、名士・魯連

     は諌めた。

      「小猿も大猿も木から離れて水に入れば、魚や鼈(べつ。スッポン)

     には適いません。

      険阻な山道を通るには、いかな名馬でも狐や狸に適いません。

      その昔 斉の桓公から、奪われた魯の旧地の返還を約束させた

     魯の曹沫も、その匕首を捨て、鍬を持たせて農夫と共に田畑で

     働かせたなら、農夫にも適わないでしょう。

      故に物 その長ずる所を舎(お)いて、

      其の短なる所を之(もち)うれば、

     堯も亦た及ばざる所あらん。


      今、人を使って能わざれば之を不肖(ふしょう。愚か)と言い、

      人を教えて能わざれば之を拙(せつ。つたない)と言い、

      拙ならば之を辞めさせ、不肖ならば之を捨て去る。

      だが追われた者たちがおとなしく引き下がらず、舞い戻って来て、

     怨みに報いるに傷害を以てするようなことにでもなれば、当に世の

     戒めの魁(さきがけ)ともなるのではありますまいか」と。

                     「戦国策 斉・閔(湣)王」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(玄孫の孫は何とする)

     「玄孫の孫は何とする」

                         ◇ 戦国時代 ◇ 

      やしゃごの孫は、何と謂うのですか。

      斉の大立者・静郭君(氏名は田嬰)は、多くの妻妾を抱えて多くの子

     をなしていた。

      その一人の側室に、田文という子がいた。

      その生まれた年月が、当時は縁起が良くないと言われた五月五日

     であった。

      その為、父に養育を拒否されていたが、母親は静郭君の言いつけに

     背いて、我が子を密かに育てていた。

      其の後、我が子が年頃になったので、静郭君に父子の対面を請うた。

      静郭君は母親を𠮟りつけたが、伴われてきた田文は、すかさず父に

     詰問した。

      「私の成長をどうして喜ばれないのですか」と。

      静郭君は言う、

      「五月五日に生まれた子は、成長してその身が戸口に達すると、

     親を殺すことになると謂われておるのだ」と。

      田文は言う、

      「ではお聞きしますが、人はその運命を授かるのは天からでしょうか、

     それとも戸口からでしょうか。

      若し天から授かるのであれば、父上の心配は無用です。

      若し戸口からなら、私の背丈が戸口に届かぬ内に改築して、

     私の背が届かぬ高さにすればよいではありませんか」と。

      静郭君はさすがに返す言葉が無く、改めて其の才知を認め、

     我が子と認めて手元に置くことにした。

      それから幾年か経って、父の機嫌が良い時に、田文は尋ねた。

      「父上は、子の子をどう呼ばれますか」と。

      「孫だな。」

      それでは、「孫の孫は」と。

      「玄孫だ。」 

      更に聞く、「玄孫の孫は」と。

      「それ以上は分からん。」

      それから田文は、それ見よとばかりに、

      「父上は既に三代の王に仕えて、宰相を務められました。然るに

     その間 斉の国土は少しも広くならないのに、父上の家は富み栄えて

     財を蓄える一方です。

      それにしても父上の門下には、一人の賢者も見当たりません。

      父上は後世の子孫の呼び名さえ分からないのに財を蓄え、

      今 現在の国家に役立てることをしないのですか。

       私は不思議でなりません
    」と。

      静郭君は、これほどの事を言う我が子に脅威さえ覚えたが、

     その才覚を信じて、我が家の采配を一切任せるようになった。

      即ち総領権を委譲した。

      この田文こそ、その宰邑の薛(せつ)で、食客数千人を抱えて、

     戦国四君の出頭人と称せられるようになる孟嘗君(もうしょうくん)

     という傑物である。 

                     「史記 孟嘗君列伝」

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(刻舟求剣)

     「刻舟求剣(こくしゅうきゅうけん)

                         ◇ 戦国時代 ◇

      「舟に刻(きざ)みて剣を求む」と訓読。

      事態が変化していることに気付かず、旧態依然たる方法で物事を

     解決しようとする愚かさの例え。

      楚人の江を渉(わた)る者有り。其の剣を舟中より水に墜(おと)す。

      (=楚の人で長江の渡し舟に乗った男がいた。

       その途中 舟上から川の中に自分の剣を落としてしまった。)

      にわかに其の舟に刻んで曰く、

      (=その男は、にわかに落した場所の目印を小刀で舷(ふなばた)に

       刻み付けておき、言ったものである。)

      「是れ吾が剣の従い墜つる所なり」と。

      (=この場所に私の剣が落ちたのだ。)

      ※ そもそも、その船がその落した場所から移動していることを

       失念していたのであろう。

      舟を止め、その刻する所の処より水に入りて之を求む。

      (=舟が向こう岸に着いた時、男は刻み付けておいた舷の目印に

       見当を立てて、水中に入り剣を探し求めた。)

      舟 已(すで)に行くも剣 行かず。

      (=舟は既に引き返したが、剣は舟に付いては行かなかった。)

      剣を求むるに此(か)くの若(ごと)くんば、亦た惑わざらんか。

      (=このような剣の求め方は、固陋以外の何者でも無い。)

                    「呂氏春秋 慎大覧・察今」

    テーマ : 慣用句・ことわざ・四字熟語辞典
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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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