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    中国通史で辿る名言・故事探訪(曳白)

     「曳白(えいはく)

                        唐代

      目を白黒して呻吟すること。

      紙や筆を手にするも、詩文を作ることが出来ずに虚しく考えるの意。

      曳は引くの意で、白は白眼の略。

      唐の天宝二年(743年)、宰相李林甫は官吏登用の人物銓考を

     苗晋卿(びょうしんけい)と宋遥(そうよう)に任せた。

      この歳、銓考の入選者おそよ六十四人を判定し、張奭(せき)

     を以って第一席とした。

      この張奭は、皇帝の覚え目出度い御史中丞の張倚の子であったが、

     もともと学は無く、之を批判する者が続出した。

      そこで皇帝は改めて、花蕚楼(かがくろう)に臨御して、もう一度 

     お調べになった。

      ところが、張奭は紙を持って、終日 筆が下りなかった。

      人々は言う、

      「張奭、曳白なり」と。

                        「唐書 苗晋卿伝」

     

      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(鬼哭啾啾)

     「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)

                        唐代

      成仏できない霊魂が、声を上げて、しくしくと嘆き悲しむさま。

      転じて、鬼気迫るような恐ろしい気配を言う。

      唐の詩人である杜甫の「兵車行」が出典。


      ♪  杜甫 「兵車行」

       
       車 轔轔(りんりん)  馬 蕭蕭(しょうしょう)

          ☞ 轔轔とは、兵車のガラガラという音。

             蕭蕭とは、馬の寂しげないななき。

       行人(こうじん)の弓箭(きゅうせん) 各々腰に在り。

         (=出征兵士たちは、それぞれ腰に弓矢を帯びている。)

       爺嬢(やじょう) 妻子 走って相送り

          ☞ 爺嬢は、父母の俗称。

             走って相送るとは、隊列を追走しながら共々に

            見送ること。

       塵埃に見えず 咸陽橋。

           ☞ 咸陽橋は、長安の北を流れる渭水に架かる橋。

       衣を牽き足を頓し 道を攔(さえぎ)って哭(な)き 

         (=上着に縋り付き足摺りしながら、行軍の行く手を遮っては、

          大声で泣き。)

       哭声 直ちに上って雲霄(うんしょう)を犯す。

         (=その泣き声はそのまま立ち上がって、雲の大空に

          コダマする。)

       道傍に過ぐる者 行人に問えば

          ☞ 道傍に過ぐる者は、作者の杜甫自身。

       行人但だ云う 「点行 頻(しき)りなり」と。

          ☞ 点灯とは、徴兵の召集令状のようなもの。

       或いは十五より北のかた河を防ぎ

          ☞ 河は、黄河をいう。

       便ち四十に至るも西のかた田を営む。

          ☞ 田を営むとは、屯田兵となるの意。

       去(ゆ)く時 里正 与に頭(かしら)を裹(つつ)み

         (=出征する時には、村の長老が元服の儀式をしてくれた。)

       帰来 頭白くして環(ま)た辺を戍(まも)る。

         (=ようやくにして兵役が解かれた時には、頭も白くなって

          いたが、再び辺境守備に駆り出された。)

       辺底の流血 海水を成すも

         (=国境あたりの流血で、海は真っ赤になっているが、)

       武皇 辺を開く意 未だ已まず。

         (=皇帝の辺境の地に対する領土支配の野心は、、まだまだ

          収まりそうも無い。) 

          ☞ 武皇とは前漢の武帝を言うが、ここでは玄宗皇帝を武帝に

            置き換えての嘆きである。

       君聞かずや 漢家山東の二百州

          ☞ 漢家山東は、唐王朝の事を揶揄しての表現。

       千村万里 荊杞を生ずるを。

         (=多くの村落には、雑木が生い茂っているという事を。)

          ☞ 荊杞の、「荊」はニンジンボク、「杞」はクコ。

            共に荒れ地に生える雑木。

       縦(たと)い健婦の鋤犂(じょり)を把る有るも

         (=元気な女性が鋤と鍬を手にすることがあっても。)

       禾(か)は隴畝(ろうほ)に生じて東西無し。

         (=イネは田圃のあちこちに勝手に生えて、収拾が付かない。)

       況や復た秦兵の苦戦に耐うるをや

         (=今また陝西の派遣軍が苦戦を強いられているらしい。)

       駆らるること犬と鶏(にわとり)とに異ならず。

         (=人民はまるで犬や鶏を追い立てるように、次々と戦場に

          送り込まれてゆく。)

        「長者(長老) 問う有りと雖も、役夫(戦争に駆り出された者)

       敢えて恨みを伸べんや。

        且つ 今冬の冬の如きは、未だ関西(かんぜい)の卒を休めざる

      に、県官 急に租を索(もとむ)るも、租 何(いずこ)より

      出でん。」 

         ☞ 関西とは、函谷関の西をいい、すなわち陝西地方。  

           県官とは、ここでは徴税吏のこと。 



       信(まこと)に知る 男を生むは悪しく

       反って是れ女を生むの好(よ)きを。

       女を産まば猶お比隣に嫁せしむるを得ん  

         ☞ 比隣は隣近所。 

       男を産まば埋没して百草に随う。

        (=男子ならば戦場の土と化し、雑草の仲間入りするだけだ。)

       君 見ずや 靑海の頭(ほとり)

         ☞ 靑海は、現在の四川の成都から遥か北方にある湖。

           その周辺で唐と吐蕃が激戦を繰り広げた。

       古来 白骨 人の収むる無く  

       新鬼は煩冤(はんえん)し 旧鬼は哭し
       
        (=死んで間もない霊魂は、悶え苦しみ、

         古い使者の霊魂は泣き叫び。)

       天曇り 雨湿う時 声の啾啾たり。

        (=大空が曇って雨がショボショボと降る時などは、その霊魂の

         むせび泣く声が、ひしひしと聞こえてくる。)

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(禄山反相有り、)

     「禄山反相(はんそう)有り、

      誅せずんば必ず後 患をなさん」


                         唐代

      安禄山には謀反の相が認められる。今この時に誅罰しなければ、必ず

     後になってから禍となって変えってくるだろう。

     》 梟雄、生死の淵に立つ 《    紀元736年

      玄宗皇帝の開元二十四年、幽州節度使の張守珪は、辺境での攻防戦で

     敗北を喫した部下の安禄山の処分をするに忍びず、且つ自分の責任回避

     を図るべく、安禄山の身柄を長安に送り届けてきた。

      時に宰相の張九齢は、張守珪の措置を非難して、皇帝に進言した。

      「張守珪の軍令もし行われなば、禄山よろしく死を免るべからず」と。

      (=張守珪が節度使として、厳正に軍令を執行したならば、安禄山の

       死刑は免れぬところであった。)

      乃ち今更 彼の詮議の必要は御座いません、との趣意である。

      だが皇帝は、禄山の知勇を惜しんで罪を許そうとした。

      張九齢は不服で、なおも皇帝を諫言した。

      「禄山反相有り。誅せずんば必ず後 患をなさん」と。

      張九齢には、安禄山が将来 梟雄となることを予知していた

     のであろう。

      しかし皇帝は、結局 張九齢の諫言を聞き入れなかった。 

      そして同年、後に宰相張九齢は解任となり、代わって朔方節度使の

     牛仙客(ぎゅうせんかく)が就任した。
        

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(蹲鴟を悪鳥となす)

     「蹲鴟(そんし)を悪鳥となす」

                        唐代

      無学な者を謗る喩え。

      蹲(うずくま)った鴟(とび。=鳶)を悪鳥となすの意。 

      蹲鴟の姿形が大芋に似ているところから、当時 蹲鴟は大芋の異称

     となっていた。

      張九齢は、蕭炅(しょうけい)が無学であることを知っていた。

      そこでお互いに謔(戯)れ合った。

      ある日、張九齢は蕭炅に「芋」を贈り、言伝の書面には「蹲鴟」と、

     書いて送った。

      これに対して、蕭炅は書で答えて言った。

     “ 「芋」の御寄贈、有り難う。

       ただ蹲鴟 未だ至らず。

       さりながら、我が家は、怪 多し。

       亦この「悪鳥」を見るを願わず” 、と。

      張九齢、この書面を客に示したが、満座の客は大笑いした。

                       唐の 朱揆 「諧謔録」



       

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(邯鄲の夢)

     「邯鄲(かんたん)之夢」

                         唐代

      「黄梁之夢」、「一炊の夢」、「邯鄲夢枕」ともいう。

      いずれも、人の世の栄枯盛衰は一時の夢に過ぎないという、人生の儚い

     ことの喩え。

      唐の開元七年、道士呂翁が神仙の術を得て、邯鄲に遊んだ。

      呂翁が旅舎に憩おうとした時、少年の盧生(ろせい)に出会った。

      盧生は短褐(丈が短い粗末な着物)を着て、青駒に乗り呂翁と談笑

     した。

      盧生は其の衣服が破れているのを恥じ、そして嘆いて言った。

      「大丈夫、世に生まれて諧(かな。=適)わず、困すること是の如し」

     と。

      翁曰く、

      「子(なんじ)、談諧(だんかい)まさに適して、その困を歎ずるとは

     何ぞや」と。

        ☞ 適してとは、冗談交じりの話を上手くして、ということ。

          談諧の「諧」は、和らぐの意で、談諧は冗談交じりの話。

      盧生は言う、

      「吾 常に学に志す、自ら思うに、青紫(官位)拾うべしと。

      今 既に壮を過ぎて、なお畎畝(けんほ。畑仕事)に励む、

     困に非ずして何ぞや」と。

      そして喋り終ると、目が虚ろになって眠たそうであった。

      時に当に宿の主人は、黍(きび。黄梁の一種)を蒸そうとしていた。

      翁は、乃ち袋の中から枕を取り出して、盧生に語りながら貸し与えて

     言った。

      「子、吾が枕に枕せば、当に子をして、

      栄適 志の如くならしむべし」、と。

      ※ 栄耀栄華が意のままになるだろう。

      盧生は夢の中で、清河の崔氏の娘を嫁にもらい、進士に挙げられて、

     尉から監察御史に遷り、さらに累進して同中書門下平章事(宰相職)と

     なった。

      だがその内権力争いに巻き込まれて、讒を受け獄に下された。

      それも数年にして冤罪と判明し、再び中書令となり燕国公に

     封ぜられた。

      盧生には五人の子が出来、孫は十人。後に八十歳を超えて病没した。

      というような夢を見て、欠伸をしながら盧生は目が覚めた。

      それより先、宿屋の主人は黄梁を蒸して飯を作っていたが、盧生が目を

     覚ました時には、まだ蒸しあがっていなかった。

      呂翁は笑いながら言った、

      「人の世の事は、またこの如し」と。

      盧生は言った、

      「それ寵辱(恩寵と屈辱)の道、窮達(窮乏と栄達)の運、得喪の理、

     死生の情、尽く是を知る。

      これは先生が吾の欲を窒(塞)いでくださったのだ。 

      敢えて教えを受けないでおれましょうか」と。

      再拝して、呂翁の元を去った。

                 唐の李泌 「沈中記」より


    テーマ : 神話伝説逸話
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(我 痩せたりと謂えども、)

     「我 痩せたりと謂えども、天下肥ゆ」

                        唐代

      唐の開元二十一年(733年)、韓休が同平章事(宰相)となった。

      韓休はその性格、正直且つ峻厳で、上にも直言して憚らぬ人物

     であった。

      そんな韓休をよく知る玄宗皇帝は、遊興の度を少しでも過ぎれば、

     側近の者を前にして、自問自答したものである。

      “韓休、知るや否や”、と。

      その言葉が口から出るや否や、韓休から諫言の書が届く、といった

     塩梅であったという。

      ある時 側近が謂う、

      「韓休が宰相になってからというもの、

      陛下 殊に以前より 御痩せになられました」 と。

      玄宗は詠嘆して言った。

      「我 痩せたりと謂えども、天下肥えたり」と。

                        「十八史略 唐」

        

      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春眠暁を覚えず)

     「春眠暁を覚えず」

                         唐代

      春の眠りの心地よさに、夜の明けるのも知らず、うつら ゝ する様を

     言う。

      唐の詩人 孟浩然 「春暁詩」より。

         
         春眠 暁を覚えず

         処処(しょしょ) 啼鳥を聞く。

        (=春の眠りの心地よさに夜の明けるのも知らず、うつら ゝ 

          していると、あちらからもこちらからも小鳥の鳴く声が

          聞こえてくる。) 

         夜来 風雨の聲

         花 落つることを知らず多少(いくばく)ぞ。

        (=さては昨夜、風と雨の音が聞こえていたが、

         花はどれほど散ってしまっただろうか。)

       ※ 唐の孟浩然は、王維と共に「幽静派」の詩人と称される。

         その詩の特徴は、静・幽・清・淡という言葉で表現され、その

        対象は小さく、且つ奥深い。 



           

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    テーマ : 詩経・漢詩・詩賦等
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(石豪吏)

     「石豪吏(せきごうり)

                        唐代

      税の取り立ての厳しい役人。

      また人情味の乏しい役人を云う。

      石豪村の役人の意。 

      唐の詩聖と称された杜甫が、石豪村に投宿した夜のことである。

      村の役人が村民を徴兵するのに、壮丁を駆り立ても人数が足らず、

     更に老弱な者まで追い立てて補充しようとする厳しい現実を目の当たり

     にした。

                       杜甫 「石豪吏」 より。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(千秋楽)

     「千秋楽(せんしゅうがく)


                        唐代

      唐の建国以来、天子の誕生日は「千秋節」として祝賀されてきたが、

     「開元の治」を実現した玄宗皇帝を称えて、玄宗の誕生日には

     国を挙げて祝うようになった。

      その日に演奏された音楽が、「千秋楽(せんしゅうがく)」である。

      ※ 「千秋節」は、玄宗皇帝の天宝七年(784年)から、

       「天長節」と改称される。

         その命名の由来は、老子道徳経第七章の、

         「天は長く、地は久し」による。

         天には永遠の生命があり、地には悠久の生命があると、

        説くところによる。 

         また健康や長寿を祝うのに、「万歳」という言葉があるが、昔は

        私人、王侯、天子といずれにも用いられた言葉であった。

         ところが、唐朝以後は主に天子のみに用いられるようになった。

        

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(伴食宰相)

     「伴食宰相」

                        唐代

      高位大官の地位にありながら、実力がそれに伴わない人物のこと。

      玄宗皇帝の時代、宰相などの高官は、毎日 専決処理・討議の前後に、

     それぞれが会食する事が慣例となっていた。

      開元三年(紀元714年)、盧懐慎(ろかいしん)が吏部尚書

     兼黄門監(宰相)となった。

      彼は清廉な人柄であり、何事も質素を旨としていた。

      俸禄なども執着せず親戚や旧知の者にくれて遣るので、彼の住まいは、

     風雨にも耐え難いようなあばら家で、妻子も時に飢えと寒さに苦しんだと

     いう。

      彼と同じく宰相を務めていた姚崇が、ある日 十日ほど休暇を取り帰省

     した。

      その間に採決すべき案件が山積みし、盧懐慎は四苦八苦した。

      決済が思うように捗らず、盧懐慎は玄宗皇帝に在りのままに謝罪した。

      皇帝曰く、

      「朕は天下の事を姚崇に委ねている。

       卿はただ坐って、雅俗(風雅と卑俗)を慎めばよいぞ」と。

      その内 帰省から帰ってきた姚崇は、瞬く間にすべてを処理して

     しまった。

      盧懐慎は、己の才能がとても姚崇には及ばぬと知り、以来 何事に

     つけても姚崇を先に立て、自分はそれに従った。

      時の人は盧懐慎の事を、「伴食宰相」と呼んだ。

                         「十八史略 唐」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(開元の治)

     「開元の治」

                        唐代

      唐の六代・玄宗皇帝による開元元年から二十九年における善政をいう。

      五代・睿宗の三男である李隆基は、紀元712年 睿宗の長子・李成器

     の就位辞退により皇太子となった。

      次いで、睿宗から譲位を受けて帝位に即いた。

      玄宗皇帝は晩年になってからは、政治に倦み、佞臣を重用したり、また

     楊貴妃との淫楽遊興に耽るようになり、当に亡国の危機を招来するように

     なったが、老いる以前までは稀に見る名君として称えられた。 

      名君と言われる所以は、弱体化した兵農一致の府兵制を募兵制度に

     改革したり、税制や賦役の改正、綱紀粛清の断行などが挙げられる。

      またその期間中には、賢宰相と言われた姚崇(ようすう)、宋璟、

     韓休らを任用して、世に謂う 「開元の治」と言われる善政を敷く。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(南山は移すべくも、)

     「南山は移すべくも、

       判(さば)きは揺るがすべからず」


                         唐代

      一旦 下した判決は、如何なる理由があろうとも変更することは出来

     ない。

      喩えてみれば、中国の五嶽(岳)の一つである南山を動かすことが

     出来ても、裁判によって下された判決は動かすことは出来ないの意。

      法曹界に身を置く者の、法理念を厳守するという確たる信念を謂う。

      また、法に携わる者としての意志の強固さを謂う。

         ※ 南山は、終南山のことで、泰山或いは東嶽ともいう。

      李元紘(げんこう)が、雍州の司戸参軍(しとさんぐん。司法官)と

     なった。

      時に天下は、睿宗⑤の妹で則天武后の実子でもある太平公主が

     李隆基(後の玄宗皇帝)の帝位改変に協力した功で、隠然たる勢力を

     保持していた。

      多くの官僚は、彼女の言動を非常に恐れていた。

      そのような状況下で、或る日 人民が碾磑(てんがい。石臼)の所有

     を巡って、太平公主の息のかかった者と争い、遂に裁判となった。

      この裁判において、李元紘は人民に勝訴の判決を下し、碾磑を返還せし

     めた。

      李元紘の上司である長史(長官)の竇懐貞(とうかいてい)は、

     大いに驚き、裁判のなされた現地に赴き、これを改めさせようとした。

      だが李元紘は、既にして判決書の後に、

      「喩え終南山は移すべくも、判(さば)きは揺るがすべからず」

     と大書した。

                        「唐書 李元紘伝」


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    中国通史で辿る名言・故事探訪(自家薬籠)

     「自家薬籠」

                         唐代

      「薬籠中の物」ともいう。

      既に手中にあって、何時でも利用できて役にたつ物や人のこと。

      また完全に身に付いた技術を言うこともある。

      自家の薬箱の中にある常備薬の意。

      狄仁傑は則天武后に重用され、後には国老とまで称されるように

     なった。

      そんな彼の下には、多くの人材が集まったが、その湯な人材の中に

     元行沖(げんこうちゅう)という有能の士がいた。

      ある日のこと、元行沖が狄仁傑に会った時、

      「明公(相手を呼ぶ時の尊称)の門、珍味(有能の士)多し。

      請う、薬物の末に備わらん」、と。

      (=いざという時に備えて、この私を薬の一端にでもお加え下さい。)

      狄仁傑曰く、

      「吾が薬籠中の物、何ぞ一日もなかるべけんや。」

      (=君は既に、吾の薬箱の中の物となっている。

        今の自分にとっては、一日 居なくても困るほどの重要な人物

       なのですぞ。)

                     「旧唐書 元行沖伝」    

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(卿を用いるは、)

     「卿(けい)を用いるは、師徳の薦むるところなり」

                        唐代

      貴方を任用したのは、婁師徳(ろうしとく)が推薦したからなのだよ。

      婁師徳は温厚誠実で、人から理不尽な目に遭わされても、それを

     怨んだり取りあったりするようなことはしなかった。

      彼の弟もまた朝廷で重用されたが、代州の刺史に任命された時、

     弟に言って聞かせた。

      「我々兄弟はそろって出世し、重んぜられたているが、これは人から

     嫉まれる元ともなるといえる。

      だからもし人から唾を吐きかけられたら、拭ったりせず、笑って之を

     受けよ」、と。

      この婁師徳は、機会ある毎に狄仁傑を武后に推挙していたので、

     武后は狄仁傑を重用するようになった。

      ところが、その内 狄仁傑は、事ごとに婁師徳を謗るようになって

     いた。

      ある時、武后は狄仁傑に言ったものである。

      「朕が其方を重用しているのは、師徳が其方を推挙したから

     なのですよ」と。

      それを聞いて狄仁傑は、御前を下がてから、大いに恐縮し嘆息したの

     である。

                        「十八史略 唐」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(望雲之情)

     「望雲之情」

                        唐代

      子の父母を想う心情。また、他郷に在って故郷の父母を想う心情。

      雲を望んで起こる心情の意。

      狄仁傑(てきじんけつ)は唐の高宗の御代、閻立本(えんりっぽん)

     の推挙を受けて、并州(へいしゅう)の法曹参軍に抜擢されて任地の

     并州にいたが、彼の親は河陽に住んでいた。

      或る日のこと、彼が太行山に登った時、一流れの白雲が河陽の上空

     に漂っていた。

      そこで彼は、左右のお付きの者に、

      「我が親は、あの雲の下に居られるのだ」と言い、

      しばし、その雲を望んでは嘆いたが、そのうち雲が再び移動したので、

     その場を去ることが出来たと云う。

                         「旧唐書 狄仁傑伝」

      ※ 狄仁傑は、并州太原の出自。祖父は尚書左丞、

        父は汴州(べんしゅう)参軍に任じた。

         高宗の時代、自らは科挙の明経に合格し、汴州参軍に任じた。

         その後 度支郎中となり、高宗からは、“真の大夫なり“と

        称えられた。

         中宗、睿宗の時代には、その気骨をいかんなく発揮し、しばしば

        左遷の憂き目にも遭った。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(張公 酒を喫して、)

     「張公 酒を喫して、李老 酔う」

                        唐代

      無実の疑いを受けることの喩え。

      張公が酒を飲んで、李老が酔っぱらうの意。

      唐の郭朏(かくひ)は才知も学もあり、軽妙洒脱であった。

      そんな彼が、夜 外出して酩酊したところ、人の誣(しい)る所と

     なった。

      そのために、彼は太守に呼び出され、詰問を受けることになった。

      郭朏は笑いながら流行の謡言を引用して、太守の詰問に応えた。

      「張公 酒を喫して、李老 酔うとは、朏(郭朏) 是なり」と。

      太守はそこで、郭朏にその賦を作らせてみた。

      郭朏は言う、

      「事には測るべからざるあり、人は当に(未然に)防ぐべし。

      何ぞ張公が之を飲みて、乃ち李老が之 酔わんや。

      清河の丈人(老人の意) 方(まさ)に杯盤(酒肴)の楽しみを

     肆(ほしいまま)にし、隴西の公子(郭朏のこと) 俄に酩酊の

     愆(あやま)ちに遭う」と。

      太守は、笑ってこれを釈した。

             宋 陳正敏 「遯斉閒覧(とんせいけいらん) 44」

           

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(中国の三大女傑 2)

     「中国の三大女傑 その二 則天武后」

                        唐・周時代

      則天武后 その姓は武、名は照。

      唐王朝二代の皇帝・太宗の後宮に入るが、太宗の死後は尼寺に入る。

      後、三代皇帝・高宗の王皇后の招きで後宮に召され、高宗の寵愛を

     受けるようになり、身分も「妃」に昇格した。

      その後 武妃は次第に権謀術数を発揮するようになり、高宗の寵愛を

     さらに深め、その内 高宗の愛妾・蕭妃(しょうひ)を蹴落とし、遂には

     何と恩ある王皇后まで裏切り、廃后に追い込んだ。

      代わって655年、武妃は皇后に冊立された。

      冊立後は蕭妃も廃され、王廃后は殺害されてしまった。

      その上、高宗が微賤の妾に産ませて、大子に立てていた忠を殺害し、

     自分の産んだ弘を大子に立てた。

      ところが太子・弘が、武后の心を逆撫でするような事件があり、

     太子・弘は殺害され、次に次子・賢が太子に立てられたが、これ亦 

     武后の信任する方士が殺害され、太子が関与したという嫌疑で廃嫡と

     なった。

      そして次に、次の子・哲が大子に立てられた。

      やがて病身の高宗に代わり、万機を決するに至り、683年 高宗の

     崩御の後には、太子・哲を帝位に就けた。これが中宗である。

      だがその内 これも廃して、その弟の旦を即位させた。

      こfれが睿宗である。

      ところが、690年 遂にこの睿宗も廃して、自ら帝位に就いた。

      即ち 則天武后の誕生である。

      中国の長い歴史の中で女性が皇帝の位まで上ったのは、この則天武后

     のみである。

      その政治的手腕は、“巧慧(こうけい)にして権数多し“、と評される。

      反対派の動向に目を光らす為に、「密告の門」を開いて、密告を奨励

     した。

      そのような状況下で、武后の意を受けた酷薄な検察官僚が猛威を揮う。

      だがその内 或る限界に達すると彼らを見限り、次には大規模な人材

     登用の道を開いた。即ち科挙の積極的運用を図った。

      彼女によって玉石混淆の中から、次代を担うべき錚々たる人材が現れて

     くる。

      総じて彼女の治世は、朝廷内でこそ嵐が吹きまくったが、国内は概ね

     平穏に推移し、人々は平和な暮らしをしたと言われる。

      705年1月、諸般の事情から帝位を大子顕に譲り、大往生した。

      死後は、則天大聖皇の諡号が与えられた。  

    テーマ : 中国古典・名言
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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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