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    中国通史で辿る名言・故事探訪(定策国老門生天子)

     「定策国老門生天子」

                        唐代

      文宗⑭の御代から昭宗⑲までの間は、宦官は天子の擁立・廃位の権を

     一手に握り、当に国老(国家の元老)の如き存在であった。

      その為 世人は、宦官のことを「定策国老」と尊称し、逆に擁立された

     其の天子を「門生天子」と卑称して、世の中の矛盾を風刺し揶揄した。

      ※ ここで言う定策とは、官吏登用試験の「科挙」の試験官のことで

       あり、門生とは、その受験生という意となる。

         宦官は本来は内廷に在って、天子の私用を務める卑しい身分の者

        であり、科挙の試験官をも務めたことがあるという意味ではない。

         尚 宋代に至り、科挙の最終試験に「殿試」が科されるように

        なってから、科挙の合格者は士大夫として天子の門下生と称せ

        られるようになるが、これを「天子門生」という。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(般若湯)

     「般若湯」

                        唐代

      僧家で用いる「酒」の異称。

      僧は、元々 酒肉(酒色とも)を禁じられていた。

      それでも密かに酒を飲む僧はいたが、流石に酒と言って呼ぶ事を忌み

     嫌い、代わって「般若経」を読む僧の酒、即ち湯茶だという意味で、

     「般若湯」と呼び習わした。

      僧は酒を般若湯と言うが、その説を知る者は少なし。

      私は偶然、「釋氏会典」という書物を読んで、そこでその説を得た。

      唐の穆宗の御代、一人の旅の僧がある寺に来て、浄人を呼んで酒を

     買わせた。

         ☞ 浄人とは、游行僧などを世話する寺の召使い。

      ところが寺僧が、その事を知る所となり、寺僧はこれを怒り、酒甕を

     奪って栢(はく。=柏)の樹に打ち付けた。

      その甕は粉々に砕け、その酒は固まって樹に付いて緑玉の如く、これを

     ゆすっても落ちなかったという。

      旅の僧は言った、

      「私はいつも般若湯を持っていて、こいつを一杯 傾けてから経を読む

     のじゃ」と。

              宋代の張邦基 失われた逸話の撰 

               「墨荘漫録」より


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    中国通史で辿る名言・故事探訪(銀盃羽化)

     「銀盃羽化」

                        唐代

      盗難に遭うことの喩え。

      銀の杯に羽が生えて、飛び去るの意。

      唐の時代、柳公権は著名な能筆家であった。とりわけ彼の楷書は秀逸で

     あり、「楷書の四大家」と称された。

      そのような彼の書が欲しくて、貴族や富豪連中は多額の費えを以って、

     彼の書を手に入れようと競った。

      柳公権の使用人の中には不心得者がいて、屋敷内で銀杯が無くなる

     という盗難事件があった。

      銀杯は箱の中に収められていたのだが、銀杯だけが無くなり、箱の外側

     は紐で結ばれたままであった。

      ところが、柳公権は、

      「銀杯化して羽となる」と言って、

      盗んだ使用人を責めようとはしなかった。

                        「新唐書 柳公権」



      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(心正筆正)

     「心正筆正」

                         唐代

      心正しければ筆正し、と訓読。

      心が確りと正しい状態であれば、筆で書く文字も自ずから確りした

     ものとなるものである。

      第12代穆宗(820年~824)の時代、名書家として知られた

     柳公権が、或る日のこと 穆宗に書の上達法を訊ねられた。

      柳公権は、いとも簡明に対えて、

      「用筆は心に在り。心正しければ筆正し」と。

      柳公権の応答には、当時 放縦に流れていた皇帝を諌めるという意図

     もあったが、皇帝もそれと気付いて、思わず居住まいを正したという。

      先代の憲宗(805年~820)は、その晩年 不老長寿の妙薬と

     された金丹を愛用するようになり、中毒症状を呈するようになり精神に

     異常を来した。

      そして大した理由もなく、側近を殺生したりしたので、身に危険を

     感じた宦官の陳弘等により弑殺された。

      憲宗の死は、薬物中毒死と発表され、大子の恆(三男)が

     即位した。

      これが穆宗である。

      だが穆宗も、在位四年にして崩じたが父の憲宗と同じく仙薬(金丹)

     に親しみ中毒死した。

       

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(黔驢の技)

     「黔驢(けんろ)の技」

                        唐代

      技量の拙劣なことの喩えで、自分の技量の拙劣さを知らず恥をかく

     こと。

      黔州(現在の貴州省)のロバ(驢)の技量というほどの意。

      その昔、黔州には驢がいなかった。

      ところが物好きな男がいて、舟に乗せて驢を運び込み、これを山の麓に

     放った。

      麓に生息していた虎は之を見て、むくむくとした大きな代物なので、

     之は神か見做した。

      他日 この驢が一鳴きした。

      虎は大いに驚き、当に自分を噛もうとしているのだと思った。

      やがて虎はその鳴き声にも馴れてきて、少し近寄り、また益々馴れて、

     触ったり突いたりするようになった。

      驢は怒りを我慢できなくなり、虎を蹄(ひづめ)で蹴ってしまった。

      虎はそこで喜んで、

      「技は之を止めるのみ」と憶測した。

      そこで驢馬に飛び掛かって大いに噛み、その喉を食いちぎり、その肉を

     食い尽くして、そして去った。

                         柳宗元 「三戒 黔之驢」

      

      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(十年一剣を磨く)

     「十年一剣を磨く」

                        唐代

      「十年一剣を磨く、霜刃未だ曽(かつ)て試みず」

      長い間 武芸を練って戦いの日を待っていること。

      十年かかって一つの剣を磨いてきたが、この霜のように白く凛とした

     剣刃をいつかは試そうと思って来たのに、未だ試してはいないのだ。

      この剣客の心意気は、多年学問を研鑽して来て、未だ之を世に問う

     ことが出来ないでいる人の気持ちにも相通じるものがあると言える。

                 「古文真宝 賈島・剣客」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(推敲)

     「推敲」

                         唐代

      詩文の字句を熟考して練ること。  

      後には詩文を作る時、文字の一字一句をよく練り直す事を云う。

      賈島は詩作に熱中すると、周囲には全く気を配らなくなった。

      ある時、ロバに乗って長安を訪れる途中、ふと詩が頭に浮かんで詩作に

     熱中した。

      そして、ようやく五言律詩が出来上がった。

      その詩題は、「李疑の幽居に題す」という。

           閑居 隣竝(りんぺい)少なく    

           草径 荒園に入る。

             ☞ 隣竝は隣家。草径は草の生い茂った道。

           鳥は宿る池中の樹   

           僧は敲(たた)く月下の門。

             ☞ ここで僧とは賈島自身であり、彼はこの時は

               出家の身であった。

           橋を過ぎて野色(やしょく)を分かち   

           石を移して雲根を動かす。

             ☞ 野色とは野原のこと。

                雲根は山、また山の岩や石のこと。

           暫(ようや)く去って環(また) 此(ここ)に来る    

           幽期 言に負(そむ)かず。

             ☞ 幽期とは、心 密かな約束ごと。 

       ところが賈島は四句目の、

       「僧は推す月下の門」を「僧は敲く月下の門」にした方が良いのでは

      ないかと迷っていた。

       迷った賈島は、「推す」、「敲く」と繰り返して口ずさみながら、

      その内 貴人の行列に突き進んでしまった。

       この行列こそ、首都長安の京兆尹(首都行政区の長官の一人)を

      務めていた韓愈その人であった。

       付き人により韓愈の前に突き出された賈島は、韓愈にその間の事情を

      説明した。

       すると韓愈は、

       「それは、敲くの方が良い」と助言した。

       そこで賈島は改めて、「敲く」を選んだ。

       この故事から、「推敲」という言葉が生まれたのである。

                      「唐詩紀事 賈島」 

      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(伯楽と千里の馬)

     「世に伯楽 有りて、然る後に千里の馬 有り」

                        唐代

      この世には先ず伯楽が現れて、それから千里の馬が現れるものである。

       ※ 伯楽とは、その名は孫陽と言い、馬の良否をよく見分けた伝説的

        な人物である。

                 「古文真宝 韓退之の雑説」より。

      続いて、 

      「千里の馬は常に有れども、伯楽は常に有らず。

       故に名馬有りと雖も、唯 奴隷人の手に辱められ、

       槽櫪の間に駢死(べんし)し、千里を以って称せられざるなり。」


      (=ところで千里の馬は何時でも存在するが、伯楽は何時でもいる訳

       ではない。

        だから名馬がいたとしても、馬の扱い方を知らない奴隷などの手

       で無闇に叩かれるなどして虐待侮辱され、

        秣桶と厩の踏板の中で、他の駄馬と並んで与に淋しく死に、

       一日に千里を走るという評判は立たないのである。)

          ☞  槽櫪の「槽」は、牛馬のかいば桶。

              「櫪」も、かいば桶の意があるが、

              ここでは厩の根太・踏板をいい、転じて馬小屋。

                

       

       

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(弱肉強食)

     「弱肉強食」

                         唐代

      「弱の肉は、強の食となる」

      弱者が、強者の餌食となること。

      つまり強大な者が、弱小なる者を侵し虐げること。

           唐の韓退之の著 

           「浮屠(ふと)文暢(ぶんちょう)師を送る序」より。

               ☞ 浮屠とは、仏陀とか僧侶。

         「夫れ獣は深く居して簡にして出づ。

          物を懼れ之の為 己害す也。

          猶且つ脱げざらんか。

          弱の肉は、強の食となる。」



        


       

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一視同仁)

     「一視同仁(いっしどうじん)

                         唐代

      人によって差別することなく、すべての人を同じ様に慈しみ、また待遇

     すること。

      政治家にして大儒たる韓愈の生涯を通じての、為政上の心得であった、

     と謂われる。

      「一視にして同仁に、近きに篤くして遠きを挙ぐるなり。」

      聖人とは、相手がどんな人でも一切差別せずに平等に扱い、且つ愛する

     ものである。

      従って、人として最も聰(聡)明で優れた徳のある聖人は、近い者には

     篤くするし、また遠い人であっても残さずに取り上げて任用するので

     ある。


         「古文真宝後集 韓退之・原人」より

      「天は日月(じつげつ)星辰の主なり。地は草木山川の主なり。

       人は夷荻(いてき)禽獣の主なり。

       主にして之を暴(そこな)ふは、其の主たるの道を得ざるなり。

       是の故に聖人は一視して同仁に、近きに篤くして遠きを挙ぐる

      なり。」  

       ※ 自国民を愛するのは当然のこととして、同様に人の道 即ち仁愛

        を、夷狄に及ぼし、さらに禽獣に及ぼすのが、それらの人に属する

        ものの主たる道であり、またその君主たる聖人の仁道でもあると

        言える。

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(元和の治)

     「元和の治」

                        唐代

      「建武の中興」とも言う。

      憲宗と次代の武宗の時代は、「唐の中興の時代」と云われて、平和で

     国運隆盛と云われているが、その実情は、徳宗の時代の建中二年

     (781年)に再び吐蕃に甘粛地方を侵奪され奪回もならず、国家財政は

     逼迫していたと云われる。

      人民の税負担は重く、その生活は決して楽ではなかった。

      中興と云われても、それは栄光と比例するものではなかったのである。

      白居易は憲宗の初期に仕えて、大いに風諭詩(遠回しに諭すような詩)

     の創作活動をし、その考え方を実践して御政道の一新を訴えようとした

     が、ある重用人物の暗殺の真相解明を求める進言が睨まれることとなり

     左遷の憂き目を見ることとなる。

      この時代の人民の生活描写を白居易は、「重賦」で、また冷酷無情な

     徴兵の厳しい現実を「新豊の臂を折りし翁」で謳った。

        「重賦」

          夜深くして烟火尽き

          霰雪白くして粉粉たり。

            ☞ 烟火は煙と火で、暖のこと。

               霰雪は、アラレと雪。 

          幼き者は形 蔽(おお)わず

          老いたる者は体に温(あたた)かなる無し。

           ☞ 形蔽わずとは、体を蔽う着物がないこと。

          悲喘(ひぜん)と寒気と

          併せて鼻中に入り辛(つら)し。

           ☞ 悲喘は、悲しみにむせる咳をいう。

    テーマ : 詩経・漢詩・詩賦等
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(市井の巷)

     「市井の巷(ちまた)

                        唐代

      井戸の周囲には自ずと人が集まるようになって、市(物流市場)が

     出るようになるが、そしていつしか形成された街中を云う。

      城郭都市にあっては、郭内で商人街が井形に区画整理されたことを

     以って、市井だとする見解もある。

     《 百万都市長安 》

       唐の11代皇帝憲宗の時代(紀元805年~820年)、都の長安は

      人口百万を優に超えていたと言われる。

       その城郭規模は、南北約9キロ・東西約10キロあったと言われる。

       皇城を内城とすれば、長安城は外城として東西十四条に区画整理

      され、主要街路の道幅は百二十メートル、他は七十五メートルから

      四十メートルあったと云われる。

       皇城に南面する東西の位置には、東市と西市が設けられ、それぞれ

      二坊を合せた広さの敷地が割り当てられた。

       その広さは破格の一キロ四方もあったという。

       この長安の人口百万の根拠は、八世紀中葉の岑参(しんじん)の詩に

      「長安城中百万」とあることや、或いは少し時代も下った中唐の韓愈

      の詩にある「長安百万家」に拠ると言われ、過大な憶測評価だ

      との批判もあった。

       ところがその後、長安の東・西の市の商家数や人口が綿密に研究

      されるようになり、長安の総戸数は三十万戸であるとの結果に基づい

      て、百万という人口は、ほぼ間違い無しと言う事になった。 

       ※ 岑参は盛唐の詩人であり、嘉州の刺史を務める。

          その詩は、辺境の風物を謳ったものが多く、「辺塞詩人」と

         呼ばれた。

      

    テーマ : あれこれ
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(月下氷人)

     「月下氷人」

                        唐代

      月下老人(翁)と氷人の合成語。

      結婚の仲立ちをする人。

      縁結びの神が転じて、媒酌人のことをいう。

      

     《 月下老人 》

      唐の御代のこと、青年韋固は、まだ若く妻を娶っていなかった。

      彼は科挙の受験を目指して旅の途中、宋城に宿り老人に出会った。

      老人は袋に寄りかかって座り、月明かりの下で難しい書を調べていた。

      韋固が、「何かお調べですか」と問うと、

      老人は、「天下の婚姻のことだよ」と答えた。

      更に韋固が、袋の中の赤縄を問うと、

      「これは夫婦の足を繋ぐものだ。敵同士だろうが、異邦人同士

     だろうが、この赤い縄が一度 夫婦の足を繋ぐと、いつかは必ず結ばれる

     運命にある。

      君の細君は、この先に住んでいる野菜売りの陳ばあさんの娘だよ。」

      と言って、隻眼の老婆が連れていた三歳くらいの幼女を指さした。

      韋固は老人に愚弄されたと思って怒りを覚えたが、いつの間にか老人の

     姿は眼前から消えていた。

      韋固は召使の者に、幼女を殺すように命じておいたが、幼女は眉間を

     切られただけで難を逃れることが出来た。

      それから十四年が経って、韋固は相州の軍事の参与となった。

      州刺史の王泰には、いつも眉間のあたりに造花を挿していた美しい女

     がいたが、韋固に娶せようとした。

      娘の歳は十六,七歳であったが、韋固が彼女に花の事を尋ねると、

      「私は州刺史の養女なのです。実の父は宋城在任中に死にましたが、

     乳母が野菜を売って私を養ってくれたのです。

      ところが私が幼い時に、道端で野菜を売っていた乳母の傍らにいて、

     いきなり誰かに襲撃されて出来た傷痕なのです。」

      と、自らの生い立ちを韋固に打ち明けた。

      事ここに至り、韋固も在りし日の事を在りのままに話して、二人の

     結びつきはいよいよ固いものとなった。

                    「続幽怪録 定婚店」

     《 氷人 》

       晋の御世のこと、索紞(さくたん。字は叔徹)は占いを良くした。

       或る日のこと、令狐策という者が索紞のもとにやって来て、

      自分が見たという不思議な夢の占いを求めた。

       索紞は占った。

       「氷上は陽、氷下は陰で、陰陽の事です。

        あなたが氷上に在って、氷下の人と語り合ったのは、陽と陰が語り

       合った訳であり、媒酌の事です。

        あなたは人のために媒酌をして、氷が融ける頃に、その婚姻は成立

       するでしょう」と。

        その後、索紞の予言どおり、たまたま太守の田豹が息子の為に、

       張公徴の娘を嫁に迎えようとしていたが、太守に頼まれた令狐策の

       媒酌で、仲春になってから婚姻は成立した。

                          「晋書 芸術伝・索紞」

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(寸草の心)

     「寸草の心」

                        唐代

      父母の恩に報いようとする子供心をいう。

      寸草は、小さな草の意で子供の喩え。

     
       中唐の詩人 孟郊(号は東野)  「游子吟」

         慈母手中の線(いと)

         游子 身上の衣

           他郷に遊ぶこの身にまとう衣服は、慈愛深い母の手に

           なるもの。

         行(こう)に臨んで密密に縫い

         意(こころ)に恐る遅々として帰らんことを。

            私の旅立ちに備えて、縫い目も細やかに仕立ててくれた

           ものだが、その内心では何かの都合で息子の帰りが遅く

           なるのではないかと心配してくださる。

         誰か言う寸草の心

         三春の暉(ひかり)に報い得んと。

            一体誰が言えただろうか、小さな草の如き私の心が、

           三月(みつき)の春の陽射(日差し)のような母の愛に

           恩返しができるだろうなどと。

          ※  三春は、ここでは1年のうちの春の三月をいう。

             この春の三月で、草や木々は大きく成長し、その恩沢は

             計り知れないのである。

             旧暦では、孟春(1月)・仲春(2月)・季春(3月)

            のことをいう。

             現代では、初春・中春・晩春という。
                 
      

    テーマ : 詩経・漢詩・詩賦等
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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