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    中国通史で辿る名言・故事探訪(豹 死して皮を留め、)

     「豹 死して皮を留め、人は死して名を留む」

                   五代十国時代

      猛獣の豹は死ぬと美しい皮を遺すが、人の為した業績は死後の名声

     となって久しく残るものである。

    》 後梁の滅亡 《    紀元923年

      後梁の朱全忠が亡くなると、跡を継いだ末帝・友貞と晋王の李存勗

     は覇権をかけて戦いに明け暮れた。

      李存勗は父の李克用の死後、太原で晋王を称えていた。

      ところが後梁では、北部の魏州が晋王に奪われ、更に徳州、

     澶州(せんしゅう)まで奪われるという事態となった。

      後梁は軍容を立て直して、晋の国都である晋陽の攻略を図ったが、

     反撃されて退却の余儀なきに至った。

      紀元923年、晋王・李存勗は黄河に望む要衝の徳勝鎮の両岸に、

     前進基地として南城と北城を構築した。

      負け続けの後梁にも、勇将がいない訳ではなかった。

      金璧(重要な)故事に云う、

      「梁の王彦章(おうげんしょう)、人となり驍勇にして力あり、

     よく裸足にして棘を踏み百歩を行く。

      一鉄槍を持ち馬に騎して馳突(ちとつ)し、奮疾すること飛ぶが如し。

      而して他人よくともにする無し。

      嘗て、人に謂いて曰く、

      「豹死して皮を留め、人は死して名を留む」と。

      迫りくる晋王の圧力に対して、梁王は王彦章を征討司令官に任じた。

      王彦章は、「王鉄槍」という異名をとる梁の猛将であった。

      直ちに徳勝鎮に攻めかかり、南城を攻め取った。そして勢いに任せて

     付近一帯の要塞を落として楊劉に至った。

      しかしここでは晋の守備軍の堅塁に阻まれ、一旦兵を退いた。

      晋の李存勗は、李嗣源(りしげん)に兵を授けて、粱の鄆州

     (うんしゅう)の不備を衝かせた。

      ところが梁王は側近の諫言に乗せられ、王彦章に少ない兵を与えて、

     鄆州奪還の大任を命じたのである。

      晋の李存勗は自らも鄆州救援に向かい、激戦の後 梁軍を敗走させ、

     王彦章を捕縛した。

      李存勗は王彦章の武勇を高く評価していたので、捕縛後 臣従する

     ことを勧めたが、王彦章は固い信念を曲げず、終に陣中で殺されたが、

     その驍勇にして忠義の名を遺すこととなった。

      その後 機は熟したとみた李存勗は、李嗣源を先鋒にして黄河を

     押し渡り、梁の要塞を攻略し、いよいよ胡柳において両軍は激突した。

      ところが梁の戦略はことごとく失敗し、晋は遂に梁の国都・卞京を陥落

     させた。
     
      梁王はこの期に及んでも、まだ兄弟たちが危急に付け込んで反乱を

     企てるのではないかと疑い、遂に一族を皆殺しにしてから、自ら臣下に

     首を刎ねさせた。

                「十八史略 後梁」

     

      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(威をとり覇を定めるは、)

     「威をとり覇を定めるは、この一挙に在らん」

                        五代十国

      覇権は、この一戦によって定まるだろう。

     》 朱全忠の末路 《   紀元912年

       紀元908年、晋王の李克用が死んだ。

       李克用には武勇に優れた存孝という養子がいたが、同じく養子の存信

      の讒言を信じたため、存孝は反旗を翻した。

       李克用はよくこれを鎮圧して、存孝を惜しみつつ死に追い遣った。

       この存孝には、猛将の呼び声も高かった薛阿檀(せつあたん)

      が気脈を通じていたが、こと露見を恐れて自ら命を絶った。

       この事件を機に、晋の威勢はとみに衰え始め、李克用の死後は

      長子の李存勗(そんきょく)が跡を継いだ。

       ところが、この時を狙って梁の朱全忠が大軍を率いて侵攻して来た。

       攻め込まれた晋の要衝・潞州では、主将の李嗣昭(ししょう)は

      徹底的な防御策を採ったが、攻める梁軍は攻城と救援軍阻止の

      二段構えで、これも持久策を採った。

       国都の晋陽にあった李存勗は、全武将を集めて己の胸中を語り、

      秘策を示して檄を飛ばした。

       「朱温(全忠)の憚るは先王のみ。我が新たに立つを聞き、

      以って小童となし、必ず驕怠(きょうたい)の心あらん。

       若し精兵を選び、道を倍してこれに趨(はし)り、その不意に出で

      なば、威をとり覇を定むるは、この一挙に在らん。

       失うべからざるなり」と。

       かくして、精兵は選抜された。

       李存勗は勇躍、晋陽を後にして、潞州の三垂岡(さんすいこう)

      の麓に伏兵を配置し、明け方の深い霧に紛れて突入した。

       塹壕を埋め、軍鼓を鳴らして突入する晋兵に梁軍は総崩れとなり、

      包囲を解いて引き揚げた。

       この後、鎮州の王鎔・定州の王処直は、晋王の李存勗を盟主と

      仰いでその傘下に入った。

       その為 梁は鎮州を攻めたが、晋軍と柏郷で戦い惨敗を喫した。

       晋軍は先勝の勢いで以って、さらに軍を幽州に進め、その地で燕王

      を称する劉仁恭を破り制圧した。

       だがこの頃、病がちであった朱全忠は、病状が一挙に悪化した。

       そのような状況下で、朱全忠は己には頼りになる後継者がいないと

      言って愚痴をこぼしたり、次第に怒りっぽくなっていた。

       そして詰まる所、自分の実子(次男)で郢王の朱友珪がいたにも

      拘らず、養子の朱友文に譲位しようとしたので、吾が子に暗殺されて

      しまった。

       ※  朱全忠には、実子で名の知れた者は五名いたが、

         彼の養子(義子)となった者も五名を数え、跡目相続に

         問題を残した。



      
         

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(打草驚蛇)

     「打草驚蛇(だそうきょうだ)

                        唐代

      或る者が罰を受けることによって、それに関与した他の者まで恐れ

     させること。

      或いは軽率に事を行った為に、相手に出方を悟られ、警戒されたり

     逃げられたりすること。

      草叢(くさむら)を打ち払った為に、蛇を驚かすの意。

      所謂 五代十国時代の南唐の御世のことである。

      王魯は地方の長官となってから蓄財に余念がなく、せっせと私腹を

     肥やしていた。

      ところがある時、住民たちが王魯の下に遣ってきて、彼の部下が執拗に

     賄賂を要求するので困窮していると訴え出た。

      すると王魯は、事が事だけに 疚しい我が身の蓄財に思いを致し、

     訴え出た住民に思わず約束はしたものの、大いに危惧したものである。

      「汝、草を打つと雖も、吾 已に蛇を驚かす」

      (=お前は草を打ち払っただけだが、自分は草叢に潜んでいた蛇

       のように驚いてしまったよ。)

     と言って、自分の足元に火が付くことを恐れた。

             唐代 段成式 「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」



      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(傅虎以翼)

     「傅虎以翼(ふこいよく)

                        唐代

      ただでさえ強い者が、益々強くなることの喩え。

      虎に翼を付けて飛べるようにするの意。

      「虎に傅(つけ)るに翼を以ってす」と訓読。

      「傅」は、付ける・守るの意。

     》 朱と李の宿敵同士の対決 《

       朱全忠は汴州(べんしゅう)を手始めに、次に徐州を更には

      兗州(えんしゅう)・鄆州(うんしゅう)をその支配下に収めた。

       やがて宿敵たる李克用の支配地である河北・河東を巡り、再三に

      亘り激突したが、李克用は奸智に優る朱全忠の為に、次第に辺境の

      地へと追い遣られるようになる。

       李克用は粱の朱全忠と和議を進めるため、博学で唐の故事にも明る

      い李襲吉(しゅうきつ)を使者として派遣した。

       ところが、この李襲吉の手になる和議趣意書の出来栄えの余りの

      素晴らしさに、朱全忠は感嘆して激賞して言った、

       「李襲吉を吾に得れば、虎に傅るに翼を以ってす」と。

                       「新五代史 李襲吉」



      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(心頭滅却)

     「心頭滅却」

                         唐代

      超絶した境地にあれば、いかなる困難な状況にあっても、

     苦しみに耐えられるという禅語。

      心頭とは胸の内を云う。


        唐代の杜荀鶴(とじゅんかく) 

          「夏日、悟空上人の院に題す」

        三伏(さんぷく) 門を閉じて一衲(いちのう)を披(ひら)

        (=夏の暑さの厳しい時、山門を閉じて ひと時 僧衣を着る。)

         ☞ 一衲の衲は、衣のこと。ここでは僧衣をいう。

            三伏は、夏の暑さの厳しい期間を云う。

            太陽暦では、概ね7月18日頃から8月17日頃の間。

        兼ねて松竹 房廊に蔭なし

        (=房室や廊下には、木陰となるべき松竹の陰とて無い。)

        いずくんぞ禅 必ずしも山水を須(もち)いん

        (=だが安らかな禅を修業するために、涼をとるのに山水の場所

         を必要とするものではない。)

        心頭を滅却すれば 火も自から涼し

        (=心中の感覚を抑えて無念無想の境地に到れば、 熱い火も

          また涼しく感じられるものである。)

       ※ 暑さ厳しい夏は、初伏・中伏・末伏の三つの期間に分けられ、

         初伏は夏至の後の第三の庚の日、中伏は第四の庚の日、

        末伏は立秋の後の第一の庚の日を云う。

         「伏」は、火気を恐れて金気を伏蔵するという意味。

       ☆ 杜荀鶴は、晩唐の詩人で書画もよくした杜牧の子。



       


        

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一将 功なりて万骨枯る)

     「一将 功なりて万骨枯る」

                        唐代

      一人の将軍の成功の陰には、万余の兵卒の犠牲を伴うのだという、

     古今東西を問わぬ事の不条理を云う。

      
        唐代 曹松 「己亥(きがい)の歳」

         沢国(たくこく)の江山 戦図(せんと)に入る

         (=水郷地帯の川や山は全て戦場になってしまった。)

           ☞ 沢国とは、湖沼の多い地方の意で、水郷地帯である。

              ここでは、長江や淮河のことで、江淮と併称する。

         生民なんの計あってか 樵蘇(しょうそ)を楽しまん。

         (=人民はもはや日常の暮らしの術を失ってしまった。)

           ☞ 樵蘇とは、木を伐り草を刈るの意で、日常生活を営む

             ことを云う。

         君に憑(よ)る 話(かた)る莫れ封侯の事を

         (=頼むからどうか、誰それが武功を立てて諸侯に栄達した

          などと謂わないで貰いたいものだ。)

           ☞ 憑るとは、頼むとか、寄りかかるの意。

         一将功なりて 万骨枯る。

         (=一人の将軍が戦功を立てるその陰には、虚しく骨となって

          朽ち果てる何万という兵卒のいる事を。)



          

    テーマ : 詩経・漢詩・詩賦等
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(黄巣の乱)

    「黄巣(こうそう)の乱」

                        唐代

      唐朝の第18代・僖宗の御世、朝廷は財政建て直し策として、税収不足

     を「塩税」に求めた。

      何時の場合も、新税で困窮するのは民衆である。当然の結果として、

     その抜け道が出来るものである。即ち「塩の密売」である。

      この塩の密売を仕切っていた王仙芝(おうせんし)が兵を集めて、朝廷

     に反旗を翻した。

      それに呼応して僖宗の咸通十四年(873年)、黄巣が曹州で

     立ち上がった。即ち「黄巣の乱」の発生である。

      この黄巣は騎乗射撃の名手と謳われ、当時任侠の道に身を置いていた。

      そんな彼も、昔は郷里で推挙されて科挙の進士科を受験したことも

     あった。

      後に黄巣は王仙芝と手を組んで、塩の密売に精を出すようになるが、

     やがて時世を睨んで私兵を養うようになった。

      王仙芝や黄巣が立ち上がるや,忽ちにして多くの流民が付和雷同し、

     数カ月にして数万の大軍となった。

      王仙芝に一隊は、南下策を取り数州の城を陥落させたが、申州で朝廷の

     招討軍に大敗を喫し黄梅県で潰滅、その身は斬罪に処せられた。

      一方、黄巣の率いる一隊は、都に向けて西進、さらに南に転じて長江を

     渡り南部を攻め、浙東に至った所で鎮海節度使・高駢(こうべん)に

     破られた。

      それ以後は、広南に移って周辺を荒らし、荊門で敗れた。その後 再度

     長江を渡って北上し、淮水を渡り、遂に洛陽に入城を果たした。

      その後、黄巣軍が西に向かい、長安の守りである潼関を占領するに

     及んで、西都・長安の皇帝は、四川の蜀の成都に蒙塵するを余儀なく

     された。(難を避けるの意)

      朝廷は黄巣軍の朱温(下賜名は全忠)と辺境防備の節度使・李克用を

     懐柔し、彼らに黄巣軍を討伐させて、発生から十年にして、漸く平定する

     ことが出来た。

      李克用は、懿宗の時代に龐勛の乱の鎮圧に功をあげた李昌国の息子で

     ある。

      李克用の軍は、黒装束で身を固めた沙汰族を率いた屈強の軍団であった

     ので、賊徒からは「鴉軍(あぐん)」と恐れられた。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(龐勛(放勛)の乱)

     「龐勛(ほうくん)の乱」

                        唐代

      唐朝末期 朝廷の力や権威が衰亡する中、雲南地方の南詔国が自立の

     動きを見せ始めた。

      その動きに備えるべく朝廷では、正規兵ではなく、逃亡兵の匪賊化した

     集団、所謂 「驕兵(きょうへい)」の罪を許して、三年の期限付きで

     辺境防備に配置した。

      彼らの一部の八百人は桂州に駐屯して任務に就いたが、三年の期限が

     過ぎ六年になっても、交代の気配が無かったので、朝廷に嘆願した。

      ところが、任期を一年延長するとの命があり、遂に彼らは

     (868年)七月に行動を起こした。

      桂州地区の観察使の交代時期を狙い、新任の観察使の着任していない

     頃合を見計らって、地区の上級将校を殺害し、糧食判官を盟主に祭り

     上げた。明主の名を龐勛(放勛)という。

      いよいよ彼らは武器や糧食を略取して、北帰行を開始した。

      その間に朝廷からの懐柔もあったが反って不信感を増し、その内 

     蜂起軍団は徐州に至った。

      そして彭城を攻める段になると、多くの昔の仲間や虐げられた民衆が

     加わり、また一部の豪族の支援を受けるようになり組織は益々肥大化

     した。

      事ここに至り、龐勛は朝廷に挑戦状を贈り付けた。

      「伏して聖慈を乞い復た旌節(せいせつ)を賜らん。、

       然らずんば、戈(か)を揮い戟(げき)を曳いて、

       闕(けつ)に到らんこと遅きに非ず」と。

         ☞ 旌節とは、節度使の任命時に天子から下賜される旌旗。

            闕とは、宮城の門。

       龐勛は不遜にも、天子を恫喝したのである。

       そして十月には、遂に彭城を陥落させ徐州を其の支配下に収めた。

       ところが反乱軍には、朝廷顚覆の意図は無く、龐勛などは己を徐州の

      節度使に任命されたいと上奏する体たらくであった。

       朝廷では、右金吾将軍の康承訓らを司令官に任じ、討伐の動員令を

      下した。

       時に康承訓は、勇猛を以って鳴る少数民族の沙汰族や吐谷渾、韃靼

      などを動員させることを進言して許された。

       泗州の攻防戦は熾烈を極めたが、朝廷では龐勛に節度使任命に一縷

      の希望を持たせ、その戦意を削ごうと謀り、討伐軍の軍勢を整える時間

      稼ぎをした。

       討伐軍は遂に宋州に大軍を集結した。

       朝廷に真意を知った龐勛は、大急ぎで軍備の増強を図ったが、もはや

      義軍を呼び集める余裕はなく、そこで強制連行して兵をかき集めた。

       だがこのやり方は、これまで協力してきた富豪や商人の心を失う

      結果となる。

       富豪らにしてみれば、一度は朝廷に反逆して来たので、降伏する

      にしても見返りの手柄を要した。

       一方 討伐軍司令官の康承訓らも投降を積極的に受け入れる方針

      を立てていたので、戦闘を交えることなくして徐州軍を壊滅へと追い

      込んだ。

       翌年九月、龐勛は追われて、二万の逃亡兵と共に卞河(べんが)

      を渡ったが、そこで沙汰族の兵に追撃されて濟(済)水を渡ろうとした

      が、今度は曽ては彼に属していた豪族・李袞(りこん)に妨げられ、

      追撃して来た討伐軍に攻められ、投降した千人を除いて全滅した。

       この龐勛の乱は、次に起こる「黄巣の乱」の序曲である。

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(唐の名医孫思邈)

     「唐の伝説の名医、孫思邈(そんしばく)

                       唐代

      唐の時代に、その生没年も分からなければ、その医術の師も分からず、

     治療実績もないという不思議な伝説的名医がいた。

      その名を孫思邈と云う。

      その生年については、紀元541年説、紀元682年説もある。

      その実像は闇に包まれているが、彼が著した薬学書は、中国薬学史上

     において不朽の名著となっている。

      その著書名は、「千金要方」とそれを補充する「千金翼方」という。

      それらの書は、唐宋時代になってから頻繁に利用されるようになった。

      後世 孫思邈は、医神として「薬王廟」に祀られるが、「薬上真人」と

     して尊崇された。

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(天衣無縫)

     「天衣無縫(てんいむほう)

                        唐代

      人柄が純真で、飾り気の無い自由奔放な言動を云う。

      天女の衣には、縫い目が無いの意。

      もともと詩文や書画の作品で、技巧の跡が無くごく自然に仕上がった

     ものを云った。

      夏の盛りの頃、郭翰(かくかん)と云う男が、暑いので部屋から庭に

     出て涼を取りながら寝ていると、天の一角から何者かが舞い降りて来た。

      さては何者かと近づいて見ると、この世の者とも思えぬ美しい女で

     あった。

      郭翰は余りの事に唖然と見とれていたが、その内、

      「あなたは何方ですか」と訊ねた。

      女は言う、

      「私は天上から参りました織女でございます」と。

      郭翰がその傍らに寄って行くと、其の衣類はいとも軽やかで、

     柔らかく、それに縫い目というものが全く無かった。

      彼がその訳を訊くと、織女は当たり前といった顔をして、

      「私たちの着る天衣というものには、もともと針や糸などは

     使わないので、縫い目というものは無いのです」と言った。

               唐代の王惲(おううん)の撰 「霊怪録」

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru

    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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