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    中国通史で辿る名言・故事探訪(同工異曲)

     「同工異曲」

                        宋代

      ほんの少しの差異はあるが、大体は同じであること。

      詩文を作る作法は同じであって、だだ作品の趣きが違うことを云う。

      唐代の大儒で高級官僚であった韓愈(かんゆ)の「進学の解」が出典。

      本来の意味は音曲を演奏する人の技量に差はないが、その調子には

     違いがあることを云った。

      この「進学の解」は、門地の無い徒手空拳の韓愈が、官界での栄達を

     求めて如何に努力しても報われない己の不遇を脱すべく、時の権勢家の

     推薦を求めての自己宣伝だとも言われる。

      その文章の構成は、韓愈が国子監学生に語りかけ、学生がそれに応答

     して韓愈の人となりやその偉大な学業を称えるという形式を取っている。

      以下は進学の解より引用。

      「醲郁(じょういく)に沈浸し、英を含み華を咀(か)み、文章を作為

     して、其の書 家に満つ。

      (=美酒に酔いしれて、美しい花を口に含んでは噛むようにして、

       優れた詩文を創作なさり、その書たるや家に溢れんばかりです。)

        ※ 英華は花を意味するが、転じて、詩文等の優れていることを

         云う。

      上は姚姒(ようじ)の渾渾(こんこん)として涯(はて)無き、

      周誥殷盤(しゅうこういんばん)の佶屈聱牙(きつくつごうが)なる、

      春秋の謹厳なる、左氏の浮誇なる、易の奇にして法(ほう)ある、

      詩の正にして葩(は)なるに規(のっと)り、

      (=先生の文章たるや、古くは神話時代の舜帝・禹王のように

       奥深くて知り難く、書経のように読み難く分かりにくい戒告文、

        春秋の厳格な文、春秋春秋左氏伝(春秋の注釈書)の飾り

       立てた文、易経の風変りではあるが規則性のある文、

        詩経の道理に適い華やかな詩句に習われ、)

      下は荘騒、太史の録する所、

      子雲・相如(しょうじょ)の工を同じうし,曲を異にするに

     逮(およ)ぶ。

      (=下っては、荘子《南華真人とも言われ、「荘子」の著あり》と

       離騷《屈原の楚辞》、司馬遷の史記、揚雄や司馬相如、

       彼らの作法は同じながら趣きの異なった辞賦となっている。)

      先生の文に於ける、其の内に閎(こう)にして、其の外を

     肆(ほしいまま)にすと謂うべし。」

      (=先生の文章にあっては、その内容は広く豊かであり、

       その形式も思いのままで束縛がないと言うべきものである。)

                      韓愈 「進学の解」

      ※ 韓愈は正五品上の官位にありながら、閑職の国子監博士の

       再任を繰り返して、十年余も不遇を囲っていた。

        後日 この「進学の解」が時の宰相の目に留まり、ようやく

       国子監博士から刑部省の比歩郎中(局長級)兼国史俢撰官に

       栄転す。 



     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一網打尽)

     「一網打尽」

                        宋代

      原義は、一つの網を打って、かかった中の魚を獲り尽くすという意味。

      転じては、一味徒党の類を一度に捕え尽くすこと。

      北宋の時代、悪人どもを一挙に捕まえたという、王拱辰の鬱憤を

     晴らした喜びの雄叫びの声である。

      宰相杜衍(とえん)らの徹底した政治改革の最中のことである。

      杜衍の婿・蘇舜欽が進奏院(朝廷の公文書担当部局)の監察官

     の地位にありながら、公金を私的に流用するという事件が起こった。

      事件とは、蘇舜欽が官品の古紙を払い下げて得た公金を流用

     して、神を祀るという名目で以って改革派の宴会を開いたという

     ものであった。

      かねてから政治改革を断行しようとする宰相・杜衍(とえん)らの

     厳しさに耐えきれず、彼らを心好からず思っていた保守派の御史台

     (官吏の不正監察)副長官の王拱辰は、ここぞとばかりにこの事件の

     徹底究明に乗り出した。

      そして遂に事件として裁判に持ち込み、杜衍派の数人を検挙して処罰

     したのである。

      かくして宰相杜衍は、就任してわずかに七十日で罷免されることに

     なった。

      得意満面となった王拱辰は、呂夷簡らの保守派重鎮の居並ぶ前

     で声高らかに言い放った。

      「吾、一網に打ち去り尽くせり」と。

                         「十八史略 宋・仁宗」

       蘇舜欽は、文人詩人としても著名であり、失脚後は蘇州で隠棲

        したが、欧陽脩と共に「欧蘇」と併称された。



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    中国通史で辿る名言・故事探訪(君子は道を同じくするを以って朋を為し、)

     「君子は道を同じくするを以って朋を為し、

      小人(しょうじん)は利を同じくするを以って朋を為す。」

                        宋代

      君子という者は、道を同じくする者を集めてそこに朋党を作るもの

     だが、小人なる者は、利益を同じくする者たちを集めてそこに朋党を

     作ろうとする。

      同じ朋党でも、君子と小人によっては、その意味は違うのである。

     》 党人の争い 《

       若手の士大夫と確執のあった宰相の呂夷簡(字は坦父)が辞任

      を申し出た。

       仁宗はこの機会に政治の建て直しを図るべく、欧陽脩らを諫院の

      諫官に任じ、韓琦と氾仲淹の二人を枢密院の副長官に、

      夏竦(かしょう)をその長官に任じた。

       ところが諫官の欧陽脩らは、夏竦を手厳しく批判して辞任させて

      しまった。

       そしてその後任には、杜衍(とえん。字は世昌)が任命された。

       だが夏竦は、仲間内と語らって反撃に転じ、杜衍らを指して「党人」

      呼ばわりして誹謗し弾劾しようとした。

       そこで欧陽脩は反駁(はんばく)する為に、「朋党論」を著して

      仁宗に提出した。

       朋党論に記すところは、

       「君子は道を同じくするを以って朋を無し、小人は利を同じくする

      を以って朋を為す。

       君子身を修むば、すなわち道を同じゅうして相益し、

       国に事(つか)うれば、すなわち心を同じゅうして共に済(すく)

      う。

       終始一の如し。これ君子の朋なり。

       君たる者、唯 当に小人の偽朋を退けて、君子の真朋を進むべし。

       即ち、天下治まらん。」

                         「宋名臣言行録 欧陽脩」



       

      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(先憂後楽) 

     「先憂後楽」

                         宋代

      いつ何処にいようとも、常に天下の平安を心掛けていること。

      士大夫という者は、天下のことについては世間の人に先じて憂い、

     遅れて楽しむ者である。

      後に意味は転じ、先に苦労すれば、後で楽が出来るという意味

     となる。

      ※ 士大夫とは、宋の時代にあっては、科挙出身の高級官僚

        をいう。

      仁宗は大いに士大夫を用い、彼らの活躍によって「慶暦の治」

     と呼ばれる善政の世を実現した(紀元989年~1052年)。

      宋代に於いて、士大夫の魁(さきがけ)となった人が氾仲淹

     (はんちゅうえん)である。字は希文・諡は文正公。

      氾仲淹は、文武両道に秀でており、西夏の経略でも活躍し、

     劣勢であった宋軍を何とか膠着状態に持ち込み、西夏との間で

     和平にこぎつけた。

      後に朝廷に返り咲いて副宰相となり、綱紀粛正を盛り込んだ

     国政改革案を奏上したが、保守官僚の妨害にあって再び左遷させ

     られた。

      氾仲淹の晩年の慶暦4年(1044年)、知人の滕子京

     (とうしけい)が岳州巴陵郡の太守に左遷されたが、任地に於いて

     数々の治績を挙げた。

      その内の一つに、嘗ては威容を誇っていた建造物で今や見捨て

     られていた多くの物が、滕子京の采配で復興されるようになった事

     が挙げられる。

      その復興の一つに、著名な「岳陽楼」の修復があった。

      滕子京は、修復なった岳陽楼に掲げる文を氾仲淹に依頼した。

      依頼を受けた氾仲淹は、為政者としての政治姿勢を自分の真情を

     込めて書き送った。

      「物を以って喜ばず、己を以って悲しまず。

      (=仁者という者は、富貴権勢或いは美しい風物にん接しても、

       別に喜ぶことはしないものである。

        又どんな逆境に置かれても、それが為に別に悲しむという事

       も無い。)

      廟堂の高きに居りては、即ち其の民を憂い、

      江湖の遠きに処(お)りては、即ちその君を憂う。

      (=役人として朝廷で高位高官の職にある時には、常に民草

       の事を心配し、逆に江東地方の僻遠地に左遷された時には、

       我が君の事を心配するのである。)

      是れ進むも亦た憂い、退くも亦た憂う。

      (=栄進すればするでそれを憂い、左遷させられればされるで、

       また同じく憂う。)

      然らば即ち何れの時にして楽しまんや。

      それ士は、

      天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ、

      と曰わんか。」

                 元代の黄堅編 「古文真宝 岳陽楼の記」 

      ※ この岳陽楼の額文の言葉から、「先憂後楽」の成語が

        生まれる。

        岳陽楼は、中国文学史上 最も著名な場所でもある。

        岳陽楼は、現在の湖南省岳陽市の古城壁の西門上にある

       三層の楼門で、洞庭湖を一望できる位置にあるという。

      

      

      

      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(忍の一字は衆妙の門)

     「忍の一字は衆妙の門」

                        宋代

      忍という一字は、天地万物の深遠な真理の生れ出る門であるとの意。

      富弼(ふひつ)は日頃から、その子弟に教えて曰く、

      「忍の一字は衆妙の門なり。

      若し清倹(清らかで慎ましいの意)の他に、さらに忍の一字を加え

     れば、何事か弁ぜざらん(どんな事でもうまく処理するだろう)」と。

      彼の若かりし頃、彼のその信条を詬罵(こうば。罵り辱める)する

     者がいたが、彼は佯(いつわ)りて聞かざる真似をした。

      ところが、或る人が親切心から其の者の言葉を伝えたが富弼は、

      「恐らく是れ 他人を罵りしならん」と言って、取り合わなかった。

      だが或る人は引き下がらずに、

      「否、明らかに公(あなた)の名を呼べり」と忠告した。

      富弼 曰く、

      「天下 豈(あ)に名を同じくする者 無からんや」と。

      (=この世に名を同じくする者がいないという事も無いだろう。)

      罵りし者は、後日 かくまで耐え忍ぶ富弼の有り様を聞き知る

     所となり、大いに恥じ入ったという。

                       薛応編 「宋元通鑑」

       
      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(事を処するには、心あるべからず)

     「事を処するには、心あるべからず」

                        宋代

      物事を処置していくには、其れが正しいのか正しくないのか、

     という事だけを考えるべきであって、そこに利害得失や栄誉・

     不名誉などという他事に心を煩わしてはならない。

      常々、己に言い聞かせていた北宋の士大夫・韓琦の言葉で

     ある。

      「事を処するには心あるべからず。

      大事を為すは胆に在り」、と。

                   北宋の朱熹 「名臣言行録・韓琦」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪 (蟹を撤す) 

     「蟹を撤す」

                       宋代

      天子が食膳に出た蟹を食べないで、下げさせる(撤去させる)の意。 

      奢侈を戒める言葉。

      ある時、仁宗の食膳に初物の蟹が出た。

      蟹は全部で三十八杯あった。

      仁宗は左右の者に問うて曰く、

      「費やした銭は幾何(いくばく)ぞ」と。

      対えて曰く、

      「二万八千でございます」と。

      仁宗曰く、

      「一度 箸を下せば、二万八千費やすなり。朕は忍ばず」と、

     遂に命じて下げさせ、食することは無かった。

                   丘瓊山(きゅうけいざん)「故事成語考」



       
      

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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