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    中国通史で辿る故事・名言探訪(法の行われざるは)

     「法の行われざるは、人 力(つと)めざればなり。


      人を論ぜずして法を議して、何の益かあらん」。


                         明代

      法即ち政治が良く機能しないのは 執行する官僚どもがその務め

     を十分に果たさないからである。

      その原因たるや法の不備にあるのではなく、其れを運用する官僚

     の怠慢にあるのであって、その対策を練らずして法を議しても何の

     益にもならない。

      明王朝の第14代万暦(ばんれき)帝の御世(1572~1620)、

     張居正は万暦帝の皇太子時代の師傅であったので、万暦帝の尊敬

     と信頼は篤いものがあった。

      万暦帝が即位すると同時に内閣の首輔(主席執政官)となり、政治

     全般を任された。

      張居正は疲弊した国家財政や人事の改革を断行するに際して、官吏

     の綱紀粛正とともに余剰の官吏や冗費の削減策を先ず打ち出した。

      その施政方針ともいえるものを次の如く説いた。

      「法の行われざるは、人 力(つと。=勉)めざればなり。

      人を論ぜずして法を議して、何の益かあらん」と。

      そして改革の基本方針を打ち出した。

         その一

       国家財政及び宮廷財政の支出抑制

         その二

       軍隊維持のための土地(屯田)や国境の防衛拠点での財政支出

      に対する朝廷の管理強化。

         その三

       官僚の既得権益の改廃 及び官僚予備軍としての生員の定員

      の削減。

          ※ 生員とは、地方の国立学校での学生をいう。

         その四

       中央官庁での財政管理権の強化。

       特に全県・州に対する「税量」の徴収・収納状況の報告の

      義務付け。 

         その五

       税量の慢性的滞納の解消と規定通りの徴収。

       税量の滞納については、規定額と現実の徴収額との差に大きな

      開きがあった。

       かくして張居正は先ず、規定額確認の為に全国規模の帳簿

      として、「万暦会計録」を新たに作成し実施した。

       万暦六年(1578年)、土地と帳簿との対応を確認するため、

      全国規模での土地測量を、所謂 「張居正の丈量」を不退転の

      覚悟で断行した。

       その結果、全国土の耕地面積は確定とは言えないまでも、約3割

      ほど増加したとも謂われる。

       更に全国規模としての税法、すなわち『 一条鞭法』を簡素化し

      て効率化を図り、銀貨流通の普及に対応させ、且つ大土地所有者

      の租税及び徭役の不正を防止した。

       このような改革を通じて、張居正登場以前には年間 百万両とも

      言われた財政赤字を解消することに成功した。

       張居正が万暦十年(1582年)六月に亡くなるまでは、国庫の

      余剰金は三百九十万両の黒字を計上するまでになり、北京防衛

      軍に支給する兵糧備蓄米も十年分 備蓄できたと謂われる。






       
      

          
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(心中の賊を破るは難し)

      山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。

                       明代

      精神修養の難しさを諭した王陽明(守仁)の言葉。

      心中の賊とは、陽明学で言う「天理(良知)」を存して私欲・邪欲

     の病魔を去ること、

      即ち常に己を省みて(省察) 私欲を退治する(克治)という意。 

      明の時代 江西省と雲南省では、省境の山中に多くの野盗が

     棲みつき、数十年に亘り跋扈していた。

      官軍も手の施しようもないほど猛威を揮っていたが、王陽明が

     四十七歳の時 征討軍司令官任命の勅命が下った。

      その時 王陽明は病に侵されていたので辞退しようとしたが許され

     なかった。

      王陽明の征討作戦は、それまでの官軍が「夷を以て夷を制する」

     という消極策を採り、山岳地帯の敵対する蛮族を征討軍に編入して

     いたのを中止し、王陽明は改めて民兵を募り、独自の方法で征討軍を

     編制し訓練を施した。

      即ち臨機応変に対処し、迅速果敢に兵を投入できるようにした

     のである。

      表題の言葉は、その征討中の陣営から門人の薛(せつ)尚謙に

     与えた書簡の中の言葉である。

      王陽明はその一方では、彼ら蛮族の心情に理解を示し、説諭文を

     下しては投降を勧めるという両面作戦を展開した。

      そして征討完了後は、民政の安定に大いに尽力した。

      その後 帰還命令が出ないまま、独断で帰郷を図ったがその帰途

     病が重くなり江西の南安付近の船中で没した。

      省察克治は、王陽明の学問を進める上での根本ともいえる工夫

     である。

      陽明は言う、

      「初学の時は心猿意馬 其の心定まらず。故に静坐して思慮を息む

     べく教ゆるも可なり。

      既にして心意にやや定まるも、懸空に静守して槁木死灰のごとくば

     無用の人となる。

        ※  槁木死灰とは、枯れた木と火の気のなくなった灰。

            肉体は枯木のようであり、心は冷たい灰のようで、

           全く生気のない様の喩え。

                        荘子「荘子・斉物論」

      この時は十分に省察し克治せしむべし。盗賊を徹底的に掃除廓清

     する如くせねばならぬ。

         ☞ 廓清とは、不正を一切なくすること。

            郭は城郭、即ち世の中と解して。 

      有事の時はもとより無事の時にも、己れ色を好み貨を好み名を好み

     はせぬかと、それらの私念病魔を逐一追求し、引きずり出して痛くこれ

     を懲治すべし」と。

      要するに、「心中に巣くう賊を徹底的に退治せよ」、ということである。

                       「王陽明(王文成公)文集」

        

      

      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(龍場の大悟)

      龍場の大悟(たいご)

                          明代

      「龍場の頓悟」ともいう。

      都を遥かに隔てた貴州省の龍場という僻遠の地で、明代の儒学者

     官僚の王陽明が生活に不自由しながらも積年の学問上の疑問を

     解いて、「龍場の大悟(頓悟)」と謂われる新学説 即ち陽明学を確立

     した故事。

      その地は苗族(ミャオ族)の住む山中にあり、陽明は自分で簡素な

     家を建て、また住民の耕作法を真似て焼畑を作って辛うじて飢えを

     凌いだ。

      だが食糧は乏しい上、疫病も蔓延するという劣悪な環境の下あって、

     且つまた読むべき先賢の書物も無いという流謫(るたく)の日々で

     あった。

       ☞ 流謫とは、国都を遠く離れた地に追放される刑罰のこと。

      だが陽明は屈することなく、日夜 思索を重ねること三年、ついに

     ある夜 こつ然として大悟したのである。

      明の国家学となった朱子学では、人間の心は性と情に別れ、

     性にのみ理が宿ると説く。これが「性即理」の学説である。

      自己の内にある理を真に自覚するためには、自己の外にある

     事々物々をそれ自体について研究し、事物の理を一つ一つ明らか

     にし、極め尽くさなければならない。

      この理は物をもたせる根拠であり、物に格(いた)ることによって

     知が完成すると説く。これが「格物致知」の認識論である。

      この事について悩める陽明は、ついに結論に導いた。

      「聖人の道は我が性、自ら足る。

      先に理を事物に求めしは誤りなり」と。

      (=聖人の道は我が心の内に完全に備わっている。

        これまで理を事々物々に求めてきたのは間違いであった。)

      朱子の性即理を否定し、性と情を与に有し渾然一体となった心が、

     そのまま理であると解し、ただ自己の心中に本姓の理を求めること

     こそ「格物」であると悟ったのである。

      これが龍場の大悟(頓悟)と謂われる故事であり、時に陽明 

     三十七歳、正徳三年(1508年)のことである。

      これが朱子の説くところの「性即理」から、「心即理」に到達した

     陽明学の曙であった。



      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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