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    中国通史で辿る名言・故事探訪(朱を奪うは正色に非ず、)

     「朱を奪うは正色に非ず、

        異種もまた王を称す」


                        清代

      清に滅ぼされた明王朝は、「朱」を正色としていた。

      即ち、朱色は正統王朝たる明の証でもあった。

      ところが、その朱を奪ったのは正色でない異色の異民族たる

     満州人であり、勝手に清王朝と称している。

        ☞ 異色とは、原色を混ぜ合わせてできた色をいい、

         中間色(間色)ともいう。

      清王朝の第6代乾隆帝の治世下、礼部尚書の陳徳潜は、

     「黒牡丹」という題名の詩作をした。

      そして彼の死後の事になるが、その詩中の一句が問題視され、

     告発された。

      その一句とは、次のような文言である。
     
      「朱を奪うは正色に非ず、異種もまた王を称す」。

      その文言の解釋たるや、

      これは異民族の満洲人が、朱の正統王朝である漢人の明朝

     の皇位を簒奪して清朝を建てたと当てこすったものであり、

     大逆罪に当たるとして断罪が決定した。

      ところが、その罪人たるべき陳徳潜は既に埋葬されていた。

      そこで勅命により墓地は掘り起こされ、棺を開いて屍体は切断

     された。

      このような状況下において、漢民族の反満攘夷思想は地下に

     潜行したが、やがて時代は推移し中国を侵略しようとする西洋諸国

     に向けられるようになる。
     

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(英察強能の君たりと雖も、)

     「英察強能の君たりと雖も、

        権術を以って苛察をなす。」


                        清朝

      清王朝の第五代雍正帝は、英明且つ有能な皇帝との評があった。

      しかしその皇帝権力を最大限に操って臣下に臨み、且つその

     政治は苛酷に過ぎる、とも評された。 

      康煕61年(1772年)に第4代康熙帝が崩ずるや、その遺詔により

     康熙帝の第4子の愛新覚羅胤禛が45歳で即位。

      雍正帝は皇帝の最高諮問機関として、雍正7年(1723年)に

     「軍機処」を設置し、数名の軍機大臣を置く。

      独裁権力を確立して末端まで威令を貫徹し、官吏の綱紀を徹底的

     に粛清した。

      方や地丁銀制を普及させ財政を安定充実させ、後には靑海や

     チベットを討ち清朝の支配地を大いに拡大させ清朝の基礎を

     築いた。

      雍正帝が汚職を憎むのは、康熙帝と同じであるが、自らはひたすら

     政務に精励して大いに歓迎された。

      その一方では汚職に慣れ育ってきた科挙出身の官僚らからは、

      「英察強能の君たりと雖も、権術を以って苛察をなす」

      と、その政治は酷薄に過ぎるとの批判を受けた。

      官僚が皇帝に意見を述べるには、公式な手続きを経て奏上するのが

     慣わしであったが、これを題奏といった。

      ところが先代の康熙帝は、公式の手続きによらず、官僚が直接

     皇帝に密奏できる道を開いた。これを摺奏(しゅうそう)という。

      康熙帝の跡を継いだ雍正帝は、この摺奏を重んじ自らも朱書で以って

     摺奏に意見を附して改めて指示を与えたといわれる。

      従って皇帝のその処理に要する時間は、途方もないものであったが、

     その反面 強力な君主独裁制を確立することが可能となった。

      また雍正帝は仏教に関心を示し、奴隷を解放して制度としての

     奴隷階級を一応は消滅させたともいわれる。

      その一方 政治批判の強い文人らには弾圧を以ってし、発禁処分

     にしたり文字獄をも招来した。

      
      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(一事の謹み)

      「一事を謹まざれば四海の憂いを貽(のこ)し、

      一事を謹まざれば千百世の患いを貽す。」


                        清代

      事細かな事でも疎かにすれば、それがいつかは国家の憂いとなり、

     やがて将来の禍となろう。

      清王朝の第4代皇帝・康熙(こうき)帝の晩年の述懐である。

      康熙帝は謂う、

      「それ故 朕はどんな細事も疎かにはしなかった。

      今 処理すべきことは今すべきであり、明日もまた然り。

      日々 安閑として過ごせば、それだけ大きな附けとなって返って
      
     くるものである」と。

        ☞ 千百世とは、数え切れない未来永劫。

      康熙帝は順治帝(3代)の三男で、名は玄燁(げんよう)。

      八歳で即位するも、順治帝に遺詔により補佐役としてスクサハ、

     オーバイ、エビルン、ソニンらが就けられ合議制が採られた。

      ところが康熙六年(一六六七年)ソニンが死去するや、

     スクサハとオーバイが主導権争いを繰りひろげた。

      この抗争は、スクサハ一族の粛清という形で決着がつき、

     オーバイの専権が確立した。

      ※ オーバイ(姓はグワルギャ)は、太祖ヌルハチの腹心として

       活躍した武将。

      だが康熙八年になると、康熙帝はソニンの遺子・ソンゴトゥと

     謀って、モンゴル相撲にかこつけてオーバイを捕縛し専権の座

     から降ろして、十五歳になった時から親政を始めた。

      康熙帝の在位期間は六十一年に及び、中国の歴代皇帝の中でも

     最長を誇り、また名君中の名君でもある。

      廟号は聖祖。これもまた歴代皇帝で、「聖」の字が付く唯一の人。

      「聖」は、聖天子の孔子と云われるように 「聖人孔子」にのみ

     認められてきた称号でもあった。

      
      

      

        

      

      

    テーマ : 中国古典・名言
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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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