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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春秋の妖婦・夏姫)

     「春秋の妖婦夏姫 その3」

                        春秋(東周)時代

      「夏姫、巫臣と共に晋に亡命」

      その後 楚の荘王は夏姫を連尹(弓矢の管理官)の襄老に娶わせた。

      ところがその襄老は紀元前597年、楚晋の戦いである邲(ひつ)の

     戦いにおいて戦死してしまった。

      そして、その遺骸は晋に奪い去られてしまった。

      夏姫は夫の死後、襄老の子・黒要と通じ、さらには巫臣とも通じた

     のである。

      それから幾年かが過ぎた。

      巫臣は人を介して密かに夏姫に伝えた。

      「生国の鄭に帰りなさい。その内に 正式の手続きを踏んで妻として

     迎えるべく鄭に行くつもりだ」と。

      その一方では、鄭伯(鄭の君)に働きかけて、

      「襄老の遺体が届けられるから、間違いなく引き取りに来るべし」

     と、楚に申し入れさせた。

      夏姫がこの報せを荘王に告げると、荘王は巫臣を召してその意見を

     求めた。

      巫臣は何食わぬ顔で応えるに、

      「それ信(まこと)ならん。襄老を討ち取った荀首は成公の寵臣であり、

     且つ中行伯(荀林父)の末弟でもあります。

      その彼は最近、中軍の副将となっております。その上 彼は鄭の皇戌

     とも昵懇なのです。

      ところがこの荀首の最愛の息子の知罃(ちおう)は、我が国の捕虜

     となっている訳です。

      そのような訳で、晋は捕虜の交換を考えておるのではないでしょうか。

      鄭にしてみれば、先の邲の戦いで晋に恐れをなし、誼を通じようと

     進んで仲介の労を引き受けたのに相違ございません」と。

      そこで荘王は、夏姫を鄭に帰らすことにした。

      諸々の手筈が整ってから、巫臣は夏姫に対して、後に時宜を見て

     妻として迎える算段のあることを報せた。

      夏姫は故郷の鄭へ旅立つに際して見送り人達に、

      「尸(し)を得ずんば我 反(かえ)らじ」、と。

      我が夫の屍骸を受け取るまでは、楚に帰ることはありません。

      かくして鄭に帰った夏姫は、兄の鄭伯に迎え入れられた。

      準備万端を整えた巫臣は、密かに鄭伯に夏姫を妻として迎え入れたい

     と申し入れ、許されることとなった。

      それから幾年か経ち、楚では荘王が没し(前591年)、共王(熊審)

     が二十四代君主として即位した。

      そして荘王の喪が明けると、共王は斉と盟約を交わして魯を討とうと

     したが、戦いを始める前に、出師の打ち合わせで巫臣を斉への使者と

     して派遣することにした。

      かくして巫臣一行が鄭に到着すると、同行していた副使らに鄭から

     楚への贈り物を持たせて帰国させ、自らは手筈通り夏姫を伴い斉へ

     亡命しようとした。

      ところが思惑が外れて、亡命しようと画策した斉が晋に敗れるという

     急報(紀元589年の鞍の戦い)に接し、急遽 晋の大夫・郤至を頼る

     ことにして、取り敢えずは単身で晋に亡命した。

                     「春秋左氏伝 成公二年」

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春秋の妖婦夏姫)

     「春秋の妖婦 夏姫その2」

                        春秋(東周)時代

     「巫臣の策謀」

      陳討伐の後 楚の荘王は夏姫の美しさに惹かれて、彼女を楚に

     連れて帰った。

      そして自分の側室に加えようとしたが、信頼する臣下の反対に遭って

     しまった。

      臣下に機略縦横の才を発揮する申公巫臣という者がいて、彼は楚の

     名門である屈氏の出自であったが、その巫臣は夏姫を見てからという

     すっかりその虜になってしまった。

      そこで荘王の夏姫に対する想いを断つため、君を大いに諌めた。

      曰く、

      「この度 諸侯を招集された目的は、罪を犯した夏徴舒を懲らしめる為

     であったはずです。

      若しここで夏姫を側室に加えるとしたら、女が目的であったと思われは

     しませんか。

      これは自ら淫の罪を犯したことになります。淫は大罪です。

      周書に、『徳を明らかにし、罪を慎む』とあります。

      どうか淫の罪という大罪を犯さないようご再考をお願いします」と。

      荘王は巫臣の諌めを容れて、きっぱり夏姫を断念した。

      ところが次に、令尹の子反が夏姫に熱い眼差しを向けるように

     なった。

      巫臣は子反にも忠告した。

      「何の不祥かこれに如かざる」

      どれ程の不祥と雖も、この人に勝るものは無いの意。

      「これ夏姫は不詳の人なり。これ子蛮(鄭における夏姫の最初の夫)を

     沃し(早死に)、御叔(次の夫で夏氏)を殺し(先立たれる)、陳の霊公

     を弑し(これは我が子の夏徴舒によるもの)、夏南(息子の夏徴舒)を

     戮し(荘王に討伐された)、陳の大夫の孔と儀を出だし(亡命させる)、

     陳国を滅ぼせり。

      何の不祥かこれに如かざる。

      人の生は実に難し。それ死を獲ざることあらんか。

      (=人の命は何よりも大切なもの、誰しも死にたくはないはず。)

      天下に美婦人多し。何ぞ必ずしもこれ(夏姫)のみならん」と。

      かくまで言われては、子反も遂に夏姫を断念せざるを得なかった。

                       「春秋左氏伝 成公二年」



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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春秋の妖婦夏姫)

     「春秋の妖婦・夏姫その1」

                        春秋(東周)時代

      「荘王、陳を伐つ」

      荘王は陳の夏徴舒を伐つと称して、前598年冬、軍を率いて陳に

     発向した。

      そして陳に至るや、陳の人民に対して布告した。

      「動くなかれ。まさに少西氏を伐たんとす」と。

      即ち 我に領土的野望はない、陳君を弑殺して即位した夏徴舒を

     誅するだけなのだ、と。

      古い諺に謂う、

      【牛を牽きて以って人の田を径(わた)るに、田主これが牛を奪う】、

     と。

      これ当に悪事の上塗りを謂うところのもの。

      ところが荘王は陳に入るや、夏徴舒を殺し、陳の領土を自領に編入

     してしまった。

      折しも斉に使いしていた申叔時が楚に帰国してきて、荘王の御前に

     伺候し復命の報告をしただけで、王に改めての祝賀の意を表せず退出

     した。

      荘王は申叔時の祝賀抜きの挨拶に立腹し、使いを遣り詰問した。

      そこで申叔時は参内して、意見を申し上げた。

      「夏徴舒が霊公を殺したのは如何にも重罪で、それを討伐なさったこと

     は義に適った行為と申せます。

      しかし、

      『牛を牽きて以って人の田を径るに、田主これが牛を奪う』

     という卑語がございます。

      人が牛を牽いて他人の田畑を踏み荒すのは確かに行き過ぎという

     ものです。

      この度 諸侯が君の命令に従がったのは、不義を討つというお言葉

     があったればこそです。

      それなのに、陳を併合してしまわれた。それでは不義を討つどころか、

     自国の領土欲を満足させる行為であった、ということになりませんか。

      以って他の行為と申せます」と。

      荘王はこの言を聞き入れ、陳の太子・午を晋から迎えて陳を復興させた。

      これが陳の成公である。

      さらに荘王は帰国後、楚に亡命していた陳の二人の大夫、公孫寧と儀行父

     を彼らの本国に復帰させた。

     
      ☷ 拾遺・弥縫

        「千乗の国を軽しとなし、一言を重んずる」

        大国を捨てても約束を重んずる、の意。

        後世、孔子は史官の記録を読んで、楚の陳を復する段に至り、感嘆

       して言った。

        「賢なるかな楚の荘王、千乗の国を軽しとなし、

       一言を重んずる」と。

        この一言とは、討伐に際して陳の民に布告した、

        「動くなかれ、将に少西氏(夏徴舒)を伐たんとす」

       との言葉を指す。


         「孟子 盡心下」

          「名を好む人は、能く千乗の国を譲る」

          名誉心の強い人は、その名誉を得るためには、時として千乗の

         大国をも、人に譲って惜しまないことがある。

          それはしかし、真の無欲からのものではない。

      

        

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(北林の戦い)

      「北林の戦い」          

                      春秋(東周)時代


      楚・鄭連合軍 対 晋・宋・陳・衛・曹連合軍の戦い。

      楚の二十三代・荘王(熊侶)が即位してから六年がたった。

      魯の宣公元年(紀元前608年)秋、楚とその盟約関係にある鄭が

     陳に侵攻し、ついでに宋を侵した。

      その頃 荘王率いる楚の国力伸展には、目を見張るものがあった。

      中原の覇者を自認していた晋は、楚に脅威を覚えるようになり、遂に

     卿大夫の趙盾は軍を率いて陳・宋の救援に立ち上がった。

      覇者たる晋の呼びかけに応じて、宋(文公)・陳(霊公)及び衛

     (成公)・曹(文公)の各国から成る連合軍は、ヒ林で合流して鄭に向け

     進発した。

      荘王は蔿賈(いか)に師旅を授けて、鄭の国都を守らせるべく派遣

     した。

      蔿賈は一旦は鄭の都城に入ったが、その後 楚軍を率いて城を出て

     北林に兵を伏せることにした。

      趙盾率いる晋の連合軍は数万以上の大部隊であった。

      これを迎え撃つ楚軍は万にも満たないが、蔿賈は敵の大部隊を

     北林に誘い込めば大部隊としての威力が発揮できず、勝算もありと

     判断した。

      果たして趙盾は野戦は無いものと判断し、大軍を北林に休ませ攻城

     戦に備えることにした。

      晋の連合軍が北林に落ち着いたのを見計らって、蔿賈は一斉に伏兵

     を起たせて、敵陣に突っ込ませた。

      蔿賈は要所を徹底的に叩くと、さっと急襲軍を退き揚げた。

      晋の連合軍は開戦の出ばなをくじかれ、また晋は解揚が楚の捕虜に

     されたこともあって戦意を喪失し、鄭の国城を攻めることもなく軍を反

     して帰国した。

      この年 楚は宋を伐ち、戦車 五百乗を捕獲した。


      ☷ 拾遺・弥縫

     「 楚の若敖氏(じゃくごう)の滅亡 」

       鄭を守った蔿賈に対して、荘王の信頼は高まるばかりであった。

       出来るものなら若敖氏に代わって令尹を蔿賈にしたいところで

      あった。

       だが楚では若敖氏が令尹(宰相)職を世襲するのが習わしとなって

      いた。

       この旧弊を打破しない限り真の王権は確立できない、そう確信した

      荘王は彼らの勢力を削ぐ策を巡らせた。

       荘王は信頼する蔿賈を使って、若敖氏の失政・過失を調べさせ、

      その報告に基づき令尹の闘般(子揚とも)を誅殺した。

       ところが闘般の誅殺を知り、従妹の闘椒(子越)は激怒した。

       闘椒は先ずは、王に進言した蔿賈を急襲した。蔿賈はすばやく

      妻子を逃したが、自らは捕らわれの身となった。

       闘椒は、荘王の出方を窺った。

       ところが荘王は和睦の気配を見せず、兵力で以って蔿賈を取り

      戻そうとしたので、闘椒は蔿賈を殺して若敖氏の本拠に立て籠もり、

      派遣軍を迎撃した。

       だが抵抗空しく闘椒は敗れ、ここに楚で全盛を誇った若敖氏は

      滅亡し、荘王は宿願を果たした。

                      「史記 楚世家」



      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(楚の荘王の賢夫人)

     「賢は忠に劣る」

                        春秋(東周)時代

      賢いばかりが能ではない。君に忠誠こそが肝要という意。

      楚の荘王には樊姫(はんき)という賢夫人がいた。

      非常に賢明で心優しく、しっかり者で陰になっては楚王を励まし

     続けた。

      荘王は狩猟を大いなる楽しみとして、ややもすると執着する傾向が

     あったので、何時かはこれを止めさせようと考えていた。

      そしてある時、遂に荘王に意見を呈した。

      「生あるものは天与のものです。これを殺すのは天道に外れましょう。

     また時の浪費でもあります」と。  

      だが荘王は、一向に耳を傾けようとはしなかった。

      そこで樊姫はこの時から、禽獣の肉を一切口にしなくなった。

      このことを知った荘王は、きっぱりと狩猟を止め政治に大いに専念する

     ようになった。

      また荘王が大分 遅くなってから執務室を退出し、宮室に戻った。

      樊姫は王を迎えながら、

      「遅くまでご苦労様でした。お疲れではございませんか」と尋ねた。

      王は機嫌よく、
     
      「今日は賢者と思う存分 語り合ったので満足して居る。反って日頃

     の疲れが吹き飛んでしまった」と。

      樊姫は尋ねて、

      「賢者とはどなたのことですか」と。

      王は得意げに言う、

      「宰相の虞丘子」だと。

      それを聞いて樊姫は、口を覆いながら笑い出した。

      王は怪訝に思い、

      「何が可笑しいのか」と聞き返した。

      「虞丘子が賢者であることは確かでありましょうが、所詮は賢者だけ

     のことであって、王様に対して忠臣という訳ではありません。

      わたしは王様にお仕えして、もう十一年になりますが、その間 王様

     に心から尽くす人物を探し求めて多くの人を推挙してまいりました。

      それというのも王様に多くの人々を見てもらい、その能力を発揮させ

     て、少しでも良い政治を行って頂きたいからです。

      それなのに虞丘子が宰相として十年も居りながら、推挙する人物は

     皆 自分の子弟か親戚の者だけです。またその子弟に愚者がいても、

     これ退けることをしません。

      虞丘子が賢者であっても、その事が反って王様の賢明さを隠しており、

     これは不忠の臣にさえなると思うのです。

      私が笑ったのは、そういう訳でございます」と。

      荘王は樊姫の聡明さに非常に驚き、後日 虞丘子を呼んで樊姫の

     言ったように、

      「賢というのは忠に劣るものだ」ということを告げた。

      その翌日から、虞丘子は進んで謹慎の意を表して出仕しなくなった。

      それから数日して、孫叔敖(そんしゅくごう)が令尹(他国では宰相)に

     任ぜられた。

                        「史記 楚世家」



      

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(斉の懿公、竹林に憤死)

     「斉の懿公、竹林に憤死す

                       春秋(東周)時代

      「紀元前六〇九年 夏五月戊戌(5日)

      斉人 その君・商人(しょうじん)を弑す」


      斉の商人(後の懿公)が未だ即位する以前のこと、邴ショクの父と

     田地を巡って争い敗れたことがあった。

      それから幾年か後に商人が即位するや、今は亡き邴ショクの父

     の遺体を掘り起こさせて、刖刑(げっけい。足切り刑)を加えた。

      剰(あまつさ)えその息子・邴ショクを起用して、自らの御車に

     任じた。

      その一方では、閻職という臣下からはその妻を奪っておきながら、

     陪乗を命ずるという無軌道な且つ無節操な事を敢えてした。

      懿公(21代)の即位五年(前609年)夏五月、懿公が申池に出游

     した際、 邴ショクと閻職の二人は池で水浴びしたが、何を思ったか

     突然邴ショクが馬の鞭で閻職を打つと閻職は激怒した。

      邴ショクが謂う、

      「女房を寝取られても起こらぬくせに、此のくらい打っても大したこと

     でもあるまい」と。

      閻職も負けずに言う、

      「自分の親が足切りにされても耐える奴とは、大して変わりあるまい」

     と。

      そんな二人が、遂に懿公を弑する相談をして実行に及んだ。

      二人は懿公の遺体を竹林に放置して都城に戻り、それぞれの宗廟に

     酒の杯を置いてから、何処かへ立ち去った。



     

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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