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    中国通史で辿る名言:故事探訪(中国三大女傑・西太后)

     「中国三大女傑 其の三」

                         清朝

      古来から中国では、王朝の有力な女性権勢家として、

     漢王朝初期の劉邦夫人(呂太后。名は雉)・唐王朝初期の

     二代皇帝・高宗に召された武氏(武皇后とも則天武后とも)・清朝

     末期の九代咸豊帝の二人の皇后の内の一人である西太后

     (名は蘭)の三人が周知の事実である。

      西太后は満州族の中級旗人・官吏の家に生まれ、名は蘭。

      時の皇帝・咸豊帝には皇后がいたが実子に恵まれなかった。

      そこで祖法(朝廷の慣習法)に従い、国中から王室とは血縁関係の

     無い品性と知性に優れた候補者選びが行われた。この選考祖法を

     「選秀女」といった。

      其の一人に十七歳の蘭も選ばれ、貴人(下級の側室の位階)として

     後宮入りした。

      ところがその後、咸豊帝の寵愛を受けるようになり位階も進み、遂に

     男子(載淳)を生んで貴妃に昇った。

      咸豊帝は長年の淫乱生活がたたり、原因不明の熱病に犯され重篤

     の状態に陥った。

      蘭貴妃は意識朦朧たる咸豊帝の病床で、我が生んだ子の載淳を

     後継者として承諾させ、また摂政には自分を指名するよう同意させ、

     急ぎ詔書を作らせた。

      皇帝の死後、三歳になった載淳が即位したが、これが同治帝で

     ある。

      遺命により八人の側近が政治を補佐するようになった。

      ところが彼らは幼帝を侮るようになり、権力を独占するに至った

     ので、今は亡き咸豊帝の慈安皇后とともに蘭貴妃は、新しく王族と

     なった咸豊帝の弟・恭親王を抱き込み、周到な計画のもとに大粛清

     を断行した。

      ここに至って慈安皇后と蘭貴妃による女 二人の「垂廉政治」が

     始まることとなった。

      そして清朝祖法により、同治帝の嫡母たるべき慈安皇后はいつしか

     東太后と呼ばれ、同治帝の実母たる蘭貴妃は西太后と称されるように

     なった。

      だが東太后には係累は無く、政治的見識も無く万事が控えめな性格で

     あったので、遂に西太后の独壇場となってしまった。 


     

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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