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    中国通史で辿る名言・故事探訪(洋務運動)

     「洋務運動と艦隊の創設」

                            清朝

      遅ればせながら、朝廷内外では有識者が富国強兵を進めるため

     その手段として列強各国と積極的に外交交渉を展開し、西欧先進

     諸国の工業技術やまた事業経営の手法を導入し、また政治的改革

     の断行を図ろうとする運動がおこなわれた。

      このような運動を「洋務運動」という。

      最大の事業は欧米の技術、特に頑強な軍艦と性能の高い武器・弾薬

     の技術導入であり、やがては自力による軍需工場と近代的な軍隊の

     創設を達成しようとする近代化運動でもあった。

      その先駆けは曽国藩であり、左宗棠(そうとう)であった。

      曽国藩が第一線を退いた後は、積極的にその実践をになったのは

     李鴻章などの洋務運動を推進しようとする官僚達であった。

      彼らは、その資金源として王朝の国庫財政ではなく、釐金(りきん)

     と関税に頼った。

        ※ 釐金とは、清朝末期から行われた貨物通過税。

          1853年、太平天国の乱の鎮圧の軍事費に当てるため制定。

          商品価格の「100分の1(1釐)」を課税した。

      「艦隊の創設」

        同治十三年(1874年)の日本による台湾出兵を契機として、清朝

       は改めて海軍を設置することを決定した。

        そのため既存の軍閥水師を強化して福建艦隊と南洋艦隊が創設

       された。

        だがそれらの海軍は、各々の軍閥の人脈で編成・運用されたので、

       指揮運用はバラバラであり、統一的な指揮系統に置かれることは

       無かった。

        北洋軍閥(前身は淮軍)の総帥・李鴻章は、光緒六年(1880年)

       に「北洋艦隊」を創設した。

         李鴻章はドイツ・イギリスから最新鋭の戦艦や大型巡洋艦を

       相次いで購入して配備。当時において東洋最大と謂われる大艦隊

       に育て上げた。

        艦隊の編成は、排水量7000トン級の大型戦艦が2隻に巡洋艦

       10隻を配するという堂々たるものであった。

        ちなみのこの大型戦艦は、旗艦の定遠と鎮遠である。 

        ところが後のインドシナ半島の権益をめぐる清仏戦争(1884年~

      1885年)の際、北洋艦隊は出撃することなく、身勝手に自軍の勢力

      の温存を図るという体たらくであった。

       

        「清末の三傑」

          曽国藩・左宗棠・李鴻章は清末の三傑と称せられる。



          

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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