中国通史で辿る名言・故事探訪(終りを慎むは、)
「終わりを慎むは、始めに于(お)いてせよ」
◇ 商王朝 ◇
終わりを全うしようと思うならば、
始めからよく慎んでいなければならない。
伊尹は太甲王には、その後も何くれとなく助言したり、
忠言を呈した。
その克明な記録は、「書経 商書篇・太甲王(上・下)」にある。
☆ 「易経 六十四卦・64未済」より
「狐 その尾を濡らす」
始めは容易でも、終わりの困難なことの例え。
また最後の気の緩みで、失敗することをいう。
「小狐 ほとんど済(渡)らんとして、その尾を濡らす。
利(よろ)しき攸(所)无(無)し。」
(=子狐が川を渡る時、その尾を濡らすまいとして、
尾を巻き上げて川をほとんど渡りきったが、
やがて疲れが出てきて、尾を垂らして水に濡らしてしまった。
辛抱が足りなかったといえる。)
◇ 商王朝 ◇
終わりを全うしようと思うならば、
始めからよく慎んでいなければならない。
伊尹は太甲王には、その後も何くれとなく助言したり、
忠言を呈した。
その克明な記録は、「書経 商書篇・太甲王(上・下)」にある。
☆ 「易経 六十四卦・64未済」より
「狐 その尾を濡らす」
始めは容易でも、終わりの困難なことの例え。
また最後の気の緩みで、失敗することをいう。
「小狐 ほとんど済(渡)らんとして、その尾を濡らす。
利(よろ)しき攸(所)无(無)し。」
(=子狐が川を渡る時、その尾を濡らすまいとして、
尾を巻き上げて川をほとんど渡りきったが、
やがて疲れが出てきて、尾を垂らして水に濡らしてしまった。
辛抱が足りなかったといえる。)
「初心忘れるべからず」
室町時代初期、三代将軍足利義満に仕えて能楽を大成した世阿弥、
の言葉として伝わる。
ことを処するに際しての最初の心構えを忘れず、最後まで持続する
ことの大切さの訓戒である。
ただこの初心は、字義通りの初心ではなく、終生を通じて、折々の
節目における回顧・反省の意を含むようである。
即ち初心を次の三つの節目あるべく予定している。
「是非の初心」は、是非によらず修業を始めた最初の頃の初心を言う。
「時々の初心」は、修業の各段階における、それぞれの時期の
初心を言う。
「老後の初心」は、老境に入った頃の初心を言う。
世阿弥は法名で、俗名は三郎元清。観世座の観阿弥の子。
室町時代初期、三代将軍足利義満に仕えて能楽を大成した世阿弥、
の言葉として伝わる。
ことを処するに際しての最初の心構えを忘れず、最後まで持続する
ことの大切さの訓戒である。
ただこの初心は、字義通りの初心ではなく、終生を通じて、折々の
節目における回顧・反省の意を含むようである。
即ち初心を次の三つの節目あるべく予定している。
「是非の初心」は、是非によらず修業を始めた最初の頃の初心を言う。
「時々の初心」は、修業の各段階における、それぞれの時期の
初心を言う。
「老後の初心」は、老境に入った頃の初心を言う。
世阿弥は法名で、俗名は三郎元清。観世座の観阿弥の子。