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    中国通史で辿る名言・故事探訪(元帝の百六掾)

     「元帝の百六掾(えん)

                        晋時代

      後に東晋王朝を開く元帝(司馬睿)が、安東将軍兼揚州総都督の際に

     これを援けた百六人の掾佐(えんさ。高級属官)のこと。

      司馬睿(後の東晋王朝の元帝)は、晋王朝の懐帝の時代には琅邪王で

     あったが、安東将軍に任ぜられ揚州の総都督兼務となり、建鄴に駐屯し

     ていた。

       ※ 兼務とは、民政と軍事の統括を任されていたということ。

       しかし王朝内における司馬睿の地位は低く、その為 揚州の人々は

       彼を信頼することはなかった。

       時に司馬睿は、琅邪臨沂における南朝の名門貴族と謳われた王導

      (字は茂弘)を招いて何事によらず師事していたが、彼の献策に基づい

      て、旧呉国の名族の顧栄や賀循らを任用し、また新旧の別なく民衆を

      慰撫したので、ようやく江東の民衆を惹きつけることが出来るように

      なった。

      ※ 新旧の別なくとは、中原の乱を避けて江東の地に流れ込んできた

       民衆を「新」といい、江東土着の民衆を「旧」というが、彼らを差別し

       ないことを言う 。

       司馬睿はさらに、庾亮(ゆりょう)、卞壺(べんこ)らを招聘し、

      幕下の名士は百余名に上った。

       之が世に謂う、「元帝の百六掾」である。

       王導は政務を補佐したが、王導の従弟・王敦(おうとん)は軍事を

      掌握し、この二人は一体となって安東将軍兼楊朱烏巣都督の司馬睿を

      援けた。

      

    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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     河野長生   tyouseimaru

    Author: 河野長生 tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の住処とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    特に中国の中世、古代史にはとりわけ興趣が強い。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」は、上・中・下の3巻あり、 余りにも大部な書となってしまった。 そこで内容を圧縮して「ブログ」として、活路を見出した。 それで、かなり減量したものとなった。 今後はさらに読みやすいブログを目指して、工夫を加えるなどして、 補記訂正してゆきたいと思っています。       
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