
中国通史で辿る名言・故事探訪(朱を奪うは正色に非ず、)
「朱を奪うは正色に非ず、
異種もまた王を称す」
清代
清に滅ぼされた明王朝は、「朱」を正色としていた。
即ち、朱色は正統王朝たる明の証でもあった。
ところが、その朱を奪ったのは正色でない異色の異民族たる
満州人であり、勝手に清王朝と称している。
☞ 異色とは、原色を混ぜ合わせてできた色をいい、
中間色(間色)ともいう。
清王朝の第6代乾隆帝の治世下、礼部尚書の陳徳潜は、
「黒牡丹」という題名の詩作をした。
そして彼の死後の事になるが、その詩中の一句が問題視され、
告発された。
その一句とは、次のような文言である。
「朱を奪うは正色に非ず、異種もまた王を称す」。
その文言の解釋たるや、
これは異民族の満洲人が、朱の正統王朝である漢人の明朝
の皇位を簒奪して清朝を建てたと当てこすったものであり、
大逆罪に当たるとして断罪が決定した。
ところが、その罪人たるべき陳徳潜は既に埋葬されていた。
そこで勅命により墓地は掘り起こされ、棺を開いて屍体は切断
された。
このような状況下において、漢民族の反満攘夷思想は地下に
潜行したが、やがて時代は推移し中国を侵略しようとする西洋諸国
に向けられるようになる。
異種もまた王を称す」
清代
清に滅ぼされた明王朝は、「朱」を正色としていた。
即ち、朱色は正統王朝たる明の証でもあった。
ところが、その朱を奪ったのは正色でない異色の異民族たる
満州人であり、勝手に清王朝と称している。
☞ 異色とは、原色を混ぜ合わせてできた色をいい、
中間色(間色)ともいう。
清王朝の第6代乾隆帝の治世下、礼部尚書の陳徳潜は、
「黒牡丹」という題名の詩作をした。
そして彼の死後の事になるが、その詩中の一句が問題視され、
告発された。
その一句とは、次のような文言である。
「朱を奪うは正色に非ず、異種もまた王を称す」。
その文言の解釋たるや、
これは異民族の満洲人が、朱の正統王朝である漢人の明朝
の皇位を簒奪して清朝を建てたと当てこすったものであり、
大逆罪に当たるとして断罪が決定した。
ところが、その罪人たるべき陳徳潜は既に埋葬されていた。
そこで勅命により墓地は掘り起こされ、棺を開いて屍体は切断
された。
このような状況下において、漢民族の反満攘夷思想は地下に
潜行したが、やがて時代は推移し中国を侵略しようとする西洋諸国
に向けられるようになる。