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    中国通史で辿る名言・故事(庚戍の変)

     「庚戍の変」


                         明代

      十五世紀後半 明王朝の弘治・正徳年間、モンゴルにおいては

     1487年、チンギスハーンの末裔を称するダヤン干(本名は

     バド・モンケ)がモンゴル南方(現在の内モンゴル)を平定して新しい

     支配体制を敷いた。

      その領域を左右に分かち、自らと長子のトロ・ボラトは左翼を守り、

     第三子のバルス・ボラトを副王にして右翼を守らせた。

      その後、左翼のダヤン干と後継者たる長子のトロ・ボラトが相次い

     で没するに及び、左翼は振るわなくなったが、右翼はますます強大

     化し、第四子のアルス・ボラトの長子のグン・ビリクが後継者になる。

      そして、その弟のアルタンとグンドレンがよく兄を援けた。

      嘉靖帝の頃から、アルタンらは明朝の北辺に侵寇を繰り返すように

     なった。

      これを何時しか、明王朝にとっての『北慮』というようになる。

      嘉靖二十一年(1542年)になると、内陸部の山西地方に侵寇し、

     一カ月以上にわたって略奪を繰り返した。

      住民ら二十余万人を殺戮し、家屋を焼くこと八万戸、家畜 

     二百万頭を掠め盗った。

      その後もアルタン・ハーンの軍勢の侵寇は連年にわたり、特に

     嘉靖二十九年(1550年)には、古北口から侵入して北京城を包囲

     すること数日に及んだ。明王朝が莫大な費用をかけて再構築した

     「万里の長城」は全く防衛の機能を果たさなかった。

      明王朝は、当に風前の灯火となるかに見えたという。

      このアルタン・ハーンの侵寇を庚戍(こうじゅつ)の変という。


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    テーマ : 歴史
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(奪情起復)

     「奪情起復」

                        明代

      世情の自分に対する評判などに気をかけず、官職に留まったり

     また復帰すること。

      中国では古来から、官僚は親の死に際しては、一旦 その職を

     辞して郷里に帰り、服喪すべきとする重い仕来たりがあった。

      破綻に瀕した明王朝の財政的大改革を成功に導いた張居正の

     死後、彼の専断ともいえる政策実施に対して、密かに批判の声が

     上がり始めた。

      とりわけ高級官僚や隠田を摘発され没収された旧大土地所有者ら

     の不満は一気に爆発した

      しかしその不平不満の存念を表向きに表明することは憚れたので、

     張居正の個人的な過去の「非人情」を標的にして追求し、厳しく批判

     した。

      その非人情たるや、今を遡ること万暦五年(1577年)九月に、

     張居正の父が亡くなったが、張居正は国政の大事を理由にして

     大学士・首輔の地位に留まって帰郷しなかったという経緯があった。

      彼にしてみれば帰郷して服喪中に反対勢力が勢いを盛り返し、

     せっかく軌道に乗った諸政策が破綻することを危惧したからであった。

      さらに悪いことに、彼の服喪期間中に万暦帝(14代皇帝。廟号は

     神宗)の婚儀が行われたが、彼は一旦 喪服を脱いで、礼服に着替え

     てから参列したことがやり玉に挙げられた。

      今となっては彼らに世情の声援も加わり、「奪情起復」だとして痛烈に

     批判されることとなった。

      かくなる事態となっては、張居正を師傅として崇めていた万暦帝も

     態度を改めざるを得なくなった。

      彼に与えられていた諡号や官位も剥奪され、さらに貨財没収・家族

     は辺境に流されるという過酷な処分となった。

      彼の生前の峻厳な施策が禍となったわけだが、彼の財政政策は

     概ね後の清朝に引き継がれることになる。

      しかし清朝でも、全国の田畑などの土地の広さの測量 即ち「丈量」

     はその必要性を認めながらも、実施されることは絶えてなかった、

     出来なかったというのが現実である。




      

      
      

      

    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪

     崔後渠の六然(りくぜん)

                        明代

      崔後渠の信条たるべき六つの格言をいう。

      明朝の11代武宗(正徳帝)の御世、悪名高き宦官・劉謹が

     権勢を揮い、己を誹謗したり気に入らない者は容赦なく左遷させ

     たり、投獄するという傍若無人振りであった。

      時に硬骨の諫官の崔銑が、憚ることなく劉謹の行状を厳しく糾弾

     した。

      だが聞く耳を持たぬ劉謹は、世間体に羞じ入ることもなく崔銑

     (後渠とも)を投獄した。

      時に朱子学を研鑽していた若き気鋭の官僚学者・王陽明は、その

     措置を黙視できなくなり、王朝正義の官僚たるべき諫官・崔銑の投獄

     を手厳しく批判した。

      だが王陽明は、力及ばず逮捕投獄の憂き目をみることになった。

     ☆  「崔後渠(崔銑)の六然」

         自処超然

            自らのことに関しては、世俗の物事に捉われない。  

         処人藹然(あいぜん)

            人に接しては、相手を楽しませ心地よくする。

            ☞ 藹然とは、まめまめしい様。  

         有事斬然(ざんぜん)

            事ある時は、くずぐずしないで厳しくする。

            ☞ 斬然とは、際立っている様。

          無事澄然(ちょうぜん)

            何事も無い時は、水のように澄んだ気でいる。

          得意澹然(たんぜん)

            得意な時ほど、静かに淡々たる気でいること。

            ☞ 澹然とは、物事にこだわらない様。

          失意泰然

            失意の時でも、泰然自若としている。


     

       

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    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(因声求義)

     「因声求義」

                        清代

      清の初期、古代言語研究を極めるために「小学」という学問が

     生れた。

      古代の経書は難解な文語体で書かれているため、これを読み解く

     ために古代言語研究の手法として「小学」が発達した。

      この小学によれば、漢字は字形が概念を表わすのではなく、音が

     概念を表わすという考え方を取り、同音のものが同義を表わすとなす。

      即ち、「声に因りて義を求む」という原則を唱えた。

      その代表的人物が段玉裁や王念孫であり、小学は考証学の重要な

     拠り所となった。

      この小学を駆使して、経書やそれに関係のある古典籍をこと細かく

     解釈できるようになった。

      ※ 段玉裁は言語学と音韻学に通じ、後漢の許慎の

       「説文解字」の注釈書を著す。

        王念孫は古書や伝書の誤りを正し、管子・墨子・淮南子

       などを読めるように復元した。

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(善悪はただこれ一物)

     「善悪はただこれ一物なり」

                        明代

      王陽明の弟子の薛侃(せつかん)が、花々の合間に伸びた草を

     取り除きながら師に問うた。

      「何ぞ善は培い難く、悪は去り難しぞ」と。

      陽明 対えて、

      「草に善悪の分なし。

      花を観んとせば花を善となす、草を用いんとせば草を善と為す。
      
      善悪は皆 自分の好悪に生ず、花自身に善悪なし」と。

      その説によれば、一つの草が善草ともなり悪草ともなる。

      即ち善悪一物である。

      天も理も性も、すべからく理である。理とは至善である。

      至善は心の本体なり。

      本体上、わずかに過当なること些少なれば(=少しでも適当を

     過ぎれば)、即ちこれ悪となる。

      これ一個の善があり また一個の悪があって、来たって相対する

     に非ず。

      故に、善悪ただこれ一物なり。

      一物の上で適当のところで善と名がつき、また適当のところに

     悪と名がつくのである。

      例えば仁愛でも、過ぎれば惑溺となり、足らずば冷酷となって

     悪と名付けられる。

      しかも惑溺も冷酷も愛そのものである。

      また例えば雨のごときでも、適応すれば膏雨となり、過ぎれば

     霪(淫)雨となる。其れが雨たるにおいては変わりなし。



                徐愛 編集 「伝習録」

      

      

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    テーマ : 中国古典・名言
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    Author:tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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