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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春秋時代の晋)

     「晋の魏献子、執政と為る」

                       春秋時代

     魯の昭公(二十四代)の二十八年(紀元前514年)、晋では名門と

    言われた大夫の祁(き)氏と羊舌(ようぜつ)氏が廃絶された。

     時に晋では韓起(宣子)が亡くなり、魏献子(魏舒)が執政となった。

     魏献子は廃絶した祁氏と羊舌氏の遺領を分割して、それぞれ七つと

    三つの県を設置した。

     祁氏は祁奚を祖にし孫の祁盈(きえい)の代に至り、家臣の不祥事に

    端を発して断絶の憂き目に遭い、羊舌氏は賢者羊舌肸(きつ。叔向とも)

    を父に持つ羊舌食我(伯石)が祁盈の乱に手を貸したとの理由で廃絶と

    なった。

     そして賈辛司馬烏は、王室に対して大いなる功績があったとして、

    それぞれ祁と平陵の大夫になり、魏戊(ぎぼう)ら八人は卿の庶子の中

    ではよくその職分を全うしているとの評により、それぞれ県の大夫に

    任ぜられた。

     ☞ 魏戊は、魏献子(魏舒)の一族の人。

     「耐えにし三年、言わず笑わず」

     普段から人の意にそぐわなくて、言わず笑わずと全く無視され続けて

    も、時に何らかの才能を発揮すれば、それが契機となって人に認められ、

    応じてもらえるようになるものである。

     賈辛が封地に行こうとして魏献子に見えたところ、魏献子は言った。

     「昔 晋の賢人として名高い叔向が鄭へ行った時、鄭の鬷蔑(そうべつ)

    というむさくるしい醜い男が叔向に会いたいと願っていたと謂う。

     そしてその男は給仕が御膳を下げに行くその背後に付き従い、

    堂(客室)の下で何か一言しゃべったのだが、堂で酒を飲んでいた叔向

    の耳に入り、それが実に良い言葉であったというので、叔向は其の言の

    主を聰(聡)明に違いないと言って、自ら堂を降りて鬷蔑の手を取り堂に

    引き上げて、語った、


     「賈(か)の国の大夫で容貌の醜い者がいた。

     或る日 その大夫が妻を娶ったが、大層に美しかったという。

     ところがその妻は以来三年というもの、夫には物も言わねば笑いも

    しなかった。

     そんなある日、大夫は妻の為に車を御して沢に行き、雉を獲てこれを

    妻に与えた。

     妻は初めて夫に笑いかけ、ものを言ったものである。

     賈の大夫は、妻にその想いを打ち明けて言った。

     『何か働きが無くてはならぬものだ。わたしが弓を射ることが出来な

    かったら、お前は最後まで物も言わねば笑いもしなかっただろうな』 と。


     ところで、子(あなた)もちょっと見栄えのしないお人だ。

     若し黙っていたなら、私は子を見損なうところであった。

     ものは言って見ねばならぬとは、こうしたことよ」、と言って、さながら

    古い馴染みのようであったという。


     「今 汝は王室への功績があり、そこで吾は汝を選抜したのだ。

     さあ出発せよ。慎んで汝の功績を損なわぬようにせよ」と。

                  「春秋左氏伝 昭公二十八年」

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    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(楚の内紛)

     「令尹・子常と左尹・郤宛」

                         春秋時代

     楚の左尹郤宛(子悪)は、廉直且つ温和な人柄で国人層に人気が

    あった。

     方や右領の官の鄢将師(えんしょうし)は、二十九代平王の佞臣の

    費無極と組んで郤宛を憎んでいた。

     ☞ 左尹(さいん)とは、令尹(宰相)の筆頭補佐役。

       右領は、はっきりしないが何らかの役職の長官。 

     時に令尹の子常は財貨を貪り、人の讒言を信じやすい人物であった。

     「費無極の讒言と謀略」

     どうにかして郤宛を陥れんとの思惑が募った讒言魔の費無極は、子常

    に話を持ちかけて言った。

     「子悪(郤宛)が、子(あなた)と酒宴を共にしたいと願っておるようです」

    と。

     その一方では子悪にも、

     「令尹が子の家で酒宴をも催うしたいと言っておられる」、と持ち掛けた。

     それに対して子悪は、

     「吾は賤人、令尹にわざわざお越し頂くほどの者ではありません。

     令尹が是非にとの仰せならば、身に余る光栄とは存じますが、吾には

    お礼に差し上げる程の物とてありません。如何すべきや」と。

     費無極は、

     「令尹は武具がお好きです。ですから適当にお出し下されば、私が選んで

    差し上げましょう」と。

     そして取り出された甲(よろい。=鎧)を五つ、武器を五つ 取分けて、

    助言した。

     「これを門の所にでも置いておくと、令尹が着いたら先ずそれをご覧に

    なられるでしょう」と。

     さて酒宴の日となったので、郤宛は門の左側に帳(とばり)を張り巡らせて

    武具を並べた。

     費無極は令尹に忠告して云う、

     「あわや子を災禍に巻き込む処でした。子悪は子に良からぬことを企て、

    甲を門の内に並べています。

     この際 絶対に出かけてはなりません。それにこの度の潜への救援は、

    呉に打撃を与える好機であったのに、子悪は呉から贈与を受けたので

    引き揚げたものと思われます。

     また彼は呉の内乱に乗ずるのは、不祥だとも言っております」と。

     令尹は郤宛の邸宅を調べさせると、果たして甲が並べ立てられていた。

     そこで出かけるのは止め、鄢将師を呼んでこの話をした。

     鄢将師は退出するや、将士を集めて、

     「郤氏を攻めて火を放て」と命じたが、郤宛はその間の事情を知るに

    及んで自殺した。

     鄢将師の命令があっても、動員された国人は火を放とうとはしなかった。

     「火を放たぬ者は同罪とする」と号令したが、

     それでようやく火の付いた筵や藁の一束を持って投げ付ける者がいた

    が、国人たちの手では火を放つことが出来ず、令尹の命令があって漸く

    焼き払い、郤氏の族員、一味をことごとく滅ぼすことが出来た。

     さらに子瑕(陽匃)の子・陽令終とその弟・陽完・陽佗、晋陳とその子弟

    たちを殺した。

     だがその内で逃れ得た晋陳の族員が各地から、

     「鄢氏と費氏が自ら王気取り、楚国を攪乱し、王室を弱体化させ、王と

    令尹を欺いて自らの利を図っている。

     令尹が二人を信用するようでは、この国がどうなることやら」と訴えた。 

     「智者は讒(ざん)を除きて以って自らを按ず」


     (=智者と言われるほどの人は、降りかかる讒言を除いて自らを

      按ずるものである。)

     その後も国人の非難は収まらず、さらに蔡氏の祚肉を進める者が、

    揃って令尹を非難するのを見て、左司馬・沈尹戌(しんいんじゅつ)は、

    令尹子常を諌めて言った。

     「左尹・郤宛と中厩尹・陽令終は、いずれも罪もないのに、子(あなた)

    は之を殺し、為に誹謗が起って今に至るも止むことは無い。

     吾は不審に思うのですが、仁者ならたとえ人を殺しても非難を抑える

    ことはしないでしょうが、子は人を殺して非難を招きながらも、何ら対策

    をお立てにならない。

     真に不思議と申せましょう。

     あの費無極は、人も知る楚国きっての讒言魔であることは周知の

    事実。

     蔡の朝呉を除いて蔡侯朱を追い出し、太子建を亡命させては連尹の

    伍奢を殺し、王の耳目を塞いで判断を迷わせました。

     今また郤・陽・晋の三氏の無実の者を殺して大きな非難を招き、子の

    身にも禍が及ぼうとしています。

     かの鄢将師は、子の指令であると偽って、罪もない三族を滅ぼしました。

     隣の国 呉では新たに国君(闔閭⦅廬⦆王 )が立ち、国境では日ごと

    騒がしくなっております。

     楚国 若し大事あらば、子 其れ危い哉。

     (=もし楚国で兵乱が起れば、貴方の地位は非常に危険だと申せます、)

     智者は讒を除き以って自ら按ず。

     然るに今、子が讒言を喜んで自ら危険に陥れているのは、ひどい惑乱

    と言えます」と。

     子常は、

     「之は私の罪だ。何とか対策を考えましょう」と、決意した。

     楚・平公九年(前515年)九月己未(26日)、費無極と鄢将師を殺して

    彼らの族員もことごとく滅ぼし、国中に布告して申し開きをした。

                     「春秋左氏伝 昭公二十七年」




     


     

     

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(春秋末期の呉)

     「公子光の王位簒奪劇」

                      春秋時代

     呉では楚の29代平王(棄疾)の治世下の内紛を好機として捉え、

    紀元前516年 23代呉王・姫僚は楚の領内に呉の精鋭の主力軍を

    派遣した。その為に呉国内の軍備、とりわけ王僚の警衛部隊は手薄と

    なっていた。

     そんな時、呉の公子光は思った。

     「当に好機到来、専諸を役立てるのはこの時だ」と。

     ※ 「春秋左氏伝」では、専諸を鱄設(せんせつ)諸と記す。

     いざという時の為に専諸を身辺に於いていた公子光は、彼を招きよせ、

     「この時、失うべからず」と言い、

     「(求)めずんば何をか獲(得)ん。

     吾 真に王の嗣子(後継ぎ)たり。

     当に立つべく、吾 之を索めんと欲す。

     季子(叔父に当たり、有力な後継の資格を有する季札のこと) 至るとも、

    吾を廃せざらん」と、その胸中を率直に打ち明けた。

     この公子光の胸中を察した専諸は、自らの意見を述べ、

     「王僚 弑すべし。王の母 老いて子は若し。王僚の二人の弟も、楚で

    出征して立ち往生している今こそ、願っても無い好機です。

     今や呉は外では楚に苦しみ、内は空しく股肱の臣はおりません。

     反旗を翻しても防げる訳がありません」と。

     専諸の言に意を強くした公子光は、

     「我が身は、子(貴方)の身なり」。

      (=吾と貴方は一心同体の意。)

     と言って、専諸の眷属(身内)の将来のことを引き受けた。

     四月丙子(十三日)、公子光は王僚を自邸に招き、宴席を設けて、

    その席上で殺害する手はずを整えた。

     王僚はその招きに応じたものの、それでも厳重な警戒を解かず、また

    不審を懐いていたので鎧の下には三重にも鎖帷子(くさりかたびら)を

    着込み、宴会場でも左右に両刃の剣を下げた側近の兵士を侍立させる

    という物々しい警戒ぶりであった。

     宴が酣(たけなわ)となった頃合いを見て、公子光は理由を偽って

    中座し、地下室に隠れた。

     そして専諸が公子光と入れ替わるようにして、器に入れた大きな

    焼き魚を王の席に運んだ。

     魚の腹中には匕首(あいくち)を忍ばせてあった。

     慣例として王への料理の運び役はすべて、王の護衛兵によって宴席の

    門外で裸にされ、武器等の携帯の有無を厳重に調べられ、猶且つ

    膝着きながら御前に進み出たものである。

     専諸の時も、その両側には武装した護衛が終始付き添っていた。

     専諸は王の前に皿を置くや、当に電光石火の速さで盛られた魚の腹中

    から匕首を取り出して、間髪を入れずに王を突き刺した。

     だがその瞬間、王の護衛兵が専諸の左右の胸を短剣で刺し貫いた。

     しかし専諸の手にした匕首は、王を即死させたいた。

     そして公子光が地下室に潜ませていた武装兵が、それに呼応して王僚

    の残る護衛兵を誅滅してしまった。

                   「史記 呉太伯世家」

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    中国通史で辿る名言・故事探訪(孔子、周に遊学)

     「君子は盛徳、容貌 愚なるが如し」


                        春秋時代

      孔子の見た老子像。

      君子は立派な徳を備えているが、その姿形はまるで愚か者のようで

     あった。

      老子がまだ周王朝の守蔵室(書庫)の吏(司書)をしていたある日

     のこと、孔子は老子を訪ねて教えを請うた。

      老子は言った、

      「良賈(りょうこ)は深く蔵して虚しきが如くし、

      君子は盛徳 容貌 愚なるが如し」と。

      即ち商才に長けた賈(商人)は、取引の駆け引きとして品物を奥深く

     に仕舞いこんでおり、見た目はまるでめぼしい物が何も無いかのように

     見せるものだ。

      同じように君子も立派な徳を備えていながら、それを表面に出さない

     ので、見かけは愚か者のようである、と。

      孔子は老子の教えを受けることが出来ずに辞去したが、後になって

     門弟に老子の人物についての感想を述べた。

      「鳥は吾その能く飛ぶを知る。魚は吾その能く泳ぐを知る。獣は吾その

     能く走るを知る。

      走る者は以って網を為すべく、泳ぐ者は以って綸(釣り糸)を為すべく、

     飛ぶ者は以って矰(いぐるみ)を為すべし。

      竜に至りては、吾知ること能わず。

      其の風雲に乗じて天に上ればなり。

      今 老子を見るに、其れ猶 竜の如きか」と。

      (=老子は喩えて言えば、竜のようなもので、その人物像はとても

       測り知ることは出来ない。)

                     「十八史略 春秋・周」


     ☷ 拾遺・弥縫

       「三緘(さんかん)の戒め」

       「金人三緘」とも。

       言葉はよく慎めとの戒めである。

         ☞ 「緘」の字義は、口を塞ぐの意。

       若い頃に 孔子は周の都を訪れて、周王朝の始祖である后稷

      の御廟を参拝した。

       御廟の右の階の前に、金人があった。

       其の口は三重に封じられており、その背後の銘があり、

       “ これ古の言葉を慎んだ人なり。これを戒めよ。これを戒めよ。

         多言なるなかれ、多言多敗。

         多事なるなかれ、多事多患。 ”

       孔子は弟子を顧みて言った。

       「これを覚えておくがよい。

        この言葉は卑俗ではあるが、実情には適っている」と。

                   「孔子家語 観周」


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    テーマ : 中国古典・名言
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    中国通史で辿る名言・故事探訪(老子道徳経 六十七章)

     「我に三宝有り、持して之を保つ」

              春秋時代(虚説)→前漢時代

      天下 皆 我を大なるも不肖に似たりと謂う。

      夫れ唯 大なり、故に不肖に似たり。

      若し肖ならば、久しいかな其の細なるや。 

      (=世の人は誰しも、私のことを大きいけれども親に似ない愚か者

       のようだという。

        それは、ただ大きいが故に愚か者に見えるだけだ。

        若し似ていたならば、遠の昔にちっぽけな人物になっていた

       だろうよ。)

      我に三宝有り、持して之を保つ。

      一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず。

      (=その三宝とは、「慈」即ち」情け、「倹)」即ち倹約、「敢えて

       天下の先と為らず」即ち無理に人の先に立たないという謙虚を

       云うのだ。)

      慈なるが故に能く勇、倹なるが故によく広く、敢えて天下の先と為ら

     ざるが故に能く器の長を成す。

      (=情けを大事にするが故に、人の心服が得られて勇敢になることが

       出来るし、倹約を守ればこそ、余裕も生まれてゆったりすることが

       出来るし、世の中で無理をしてまで人に先じようとしないからこそ、

       反って多くの人材の頭となることが出来るのだ。)

      今、慈を舎(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を舎てて且に

     広からんとし、後(こう)なるを舎てて且に先ならんとすれば、死せん。

      夫れ慈は以って戦えば則ち勝ち、以って守れば則ち固し。

      天 将にこれを救わんとし、慈を以ってこれを衛(まも)る。

      (=慈というものは抑々 人民の心服を得られるからこそ、其れに

       よって戦えば勝ち、其れによって守れば鉄壁となるのだ。

        天もこれを助けようとして、やはり慈の故に守ってくれると

       いえる。)

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     河野長生   tyouseimaru

    Author: 河野長生 tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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