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    中国通史で辿る名言・故事探訪(誅しても不当、誅さなくても不当)

     「誅しても不当、誅さなくても不当」

                         周王朝

     「宣王の容喙(ようかい)」

      魯の9代君主の武公9年(紀元前817年)、武公は二人の公子を

     伴って周王朝に参朝した。 

      そして宣王に謁見した後、親子はしばらく周の国都に滞在したが、

     二人の公子のうち 弟の戯が宣王に寵愛されるようになった。

      その後に至り、宣王は魯の後継者について臆面も無く容喙

     (口を差し挟む)するようになった。

      「戯を立てて、魯の太子とせよ」と。

      このように宣王の魯に対する容喙を知った中山甫(ちゅうざんほ)は、

     王に諫言を呈した。

      「長幼の順が守られなかったら、必ず王命を犯すことになり、王命を

     犯せば必ず誅するところとなります。

      故にこそ命令には順序がある訳です。

      順序が逆になれば、下の者は上を立てなくなり、やがては棄て去る

     ことになりましょう。

      今ここで天子が、諸侯をお立てになるに、幼少をお立てになるのは、

     民に逆を教えることとなり、さらに魯がそれに従えば、諸侯も倣って後嗣

     に幼少を立てることに不義を感じなくなりましょう。

      すると上から下への命令である王命が、塞がれる時が来ます。

      その時 王命に従わないから誅すということになれば、それは結局

     自ら王命を誅す殊に他なりません。

      そうなると、誅しても不当、誅さなくても不当、

     ということになります」、 と。

      ところが宣王は、王朝の武威発揚を志向しており、また政治や外交上

     の機微を解しなかったので、中山甫の諫言に耳を傾けなかった。

      そしてこの、「戯」を大子とせよ」との上(しょう)の言葉が、行く末の

     魯の国運を左右することとなる。

                        「史記」周本紀

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    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru 河野長生

    Author:tyouseimaru 河野長生
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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