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    中国通史で辿る名言・故事探訪(楚の熊通、王を称す)

     「我、自ら尊くせんのみ」


                        春秋時代

      18代楚王の熊通(ゆうとう)は、周・桓王十五年(前706年)に

     周王朝の同族である「隋国」を攻めたが、その一方では周王朝に

     自らの高位の爵位を要求した。

        ※ 楚国は当時においては、子爵の国であった。

      ところが朝廷にその願いを一蹴されたので、

      「我、自ら尊くせんのみ」と称して、久しぶりに荊蛮(未発展)時代の

     王号を自称し、武王を名乗るようになった。

      小の能く大に敵するは、

      小は道ありて、大は淫なればなり。 



       楚の武王は隋に侵攻した後、大夫・イ章に和睦交渉を命じ、隋の

      瑕という地に軍を駐留してその結果を待った。

       一方 隋では大夫の少師をその役に当てた。

       楚の側では和睦交渉の結果を待つ間、大夫の闘伯比が武王に

      進言した。

       「我が楚が漢東の諸国に威勢を揮うことが出来ないのは、軍事力

      を背景にして接するからであり、彼らはその為に恐れを為して隋を

      頼りにし、互いに協力して我が国に当たろうとするからです。

       漢東では隋は強国を自認していますが、その隋が尊大になれば、

      必ずや小国は離反致しましょう。さすれば、楚国の幸いとなります。

       聞くところ、隋の少師は、君の恩寵を頼りにして驕り昂ぶっている

      ので、故意に我が楚軍の弱体ぶりを見せつけておけば、図に乗って

      まいりましょう」と。

       すると大夫の能率且比(しょひ)が、反対して、

       「季梁在り。何の益かあらん」と。

      闘伯比は、

      「私の計は、後になってからのものです。少師は君の信を得ている

     ので、きっとこの計がものをいうときが来ます」と。

      武王は闘伯比の進言を採り、軍勢を削減してから少師を軍営に

     導き入れ、その弱体ぶりを見せつけた。

      果たして少師は自陣に還るや、楚軍の追撃を君に請うた。

      随会が之を許そうとすると、側にいた季梁が之を止めて曰く、

      「天 方(まさ)に楚に授く。楚の羸(るい。弱体ぶり)は、それ我を

     誘うなり。君なんぞ急にせん。

      臣 聞く、

      小の能く大に敵するは、小は道ありて大は淫なればなり、と。

      所謂 道とは民に忠にして神に信あるなり。上(かみ)民を利せん

     ことを思うは、忠なり。

      祝史(神官) 辞(祭祀での告文)を正しくするは、信なり。

      今、民 飢えて君 欲を逞しくし、祝史 矯挙(事実を偽って飾り

     立てること)して以って祀る。民その可なるを知らざるなり」と。

      それに対して随公は、

      「神に供える犠牲も黍稷(キビモチとモチキビ)も何不足することも

     なく敬虔でさえあるのに、どうして神を偽ろうぞ」と反論した。

      季梁は、

      「夫れ民は、神の主なり。是を以って聖王は先ず民を成して(生活

     を豊かにし)、しかる後に力を神に致す(よくお勤めすること)。

      即ち、犠牲を奉げるに「博碩肥腯」、盛を奉げるに「潔粢豊盛 」、

     酒醴(しゅらい)を奉げるに「嘉栗旨酒」と言って、お告げをするのです。

      ※ 博碩肥腯(はくせきひとつ)とは、あまねく大きく肥え太っている

        こと。

        潔粢豊盛(けっしほうせい)とは、清らかな穀物を祭器一杯にして。 

        嘉栗旨酒(かりつししゅ)とは、よく熟成した美味しい酒。

      その意は、上の者も下の者も、皆 邪心莫しということです。

      だから君たる者は、農事の春・夏・秋の三時を大事にし、五教の教え

     を修め、九族(自分を中心にしての五親等の親族)に親しみ、然る後に

     神を祀ります。

      是において、民は和して、神 これに福を降す。故に動けば、即ち

     成すこと有り。

      今や民の心は一致せず生活にも困窮して、神の主である民は、

     少なくなっております。

      君独り豊かなりと雖も、それ何の福か之れあらん。

      君しばらく政を修めて、兄弟の国を親しめば、請い願わくば難を

     免れん」と。

      随侯 懼れて政を修む。楚 敢えて伐たず。

                       「春秋左氏伝 桓公六年」


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    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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     河野長生   tyouseimaru

    Author: 河野長生 tyouseimaru
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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