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    中国通史で辿る名言・故事探訪(呉・楚の戦い)

    「申包胥立つ」

                     春秋時代

     楚の昭王(30代)は、戦いに敗れて隋の国に逃れた。

     その時 申包胥は、昭王の使いとして秦に行き援軍を請うた。

     申包胥は昭王の言葉として、秦の哀公(14代)に伝えた。

     「呉は貪欲にして厭くことなき野蛮な国です。

     若しも我が楚国が滅ぼされて、貴国が呉と国境を接するように

    なったら、それこそ貴国の大いなる憂患となりましょう。

     呉が未だ楚を平定し終わらぬうちに、貴国から兵を出して分け前を

    お取りになってください。

     若し我が国が滅ぼされた時には、その分は貴国の地となり、またもし

    貴国のお力で幸運が得られるならば、我が楚国は子々孫々まで貴国に

    お仕え致しましょう」と。

     だが秦の哀公は、臣下を通じて、

     お使いの趣きは承りました。しばらくは館でお休みください。

     詮議の上 後ほど返事いたします」と、婉曲に断らせようとした。

     すると申包胥は、

     「我が君は国を離れて流浪しております。満足な休む場所さえない

    ことでしょう。

     臣下の私が、なんぞ休んでなどいられましょうや」と言って、

     朝廷の塀に縋り付き、夜も昼も声を挙げて泣き続けた。

     彼は飲まず食わずで七日間 ずっと泣き通したのである。

     哀公も流石に、彼の国と君を思う忠誠心に胸を打たれて、「無衣」

    の詩を歌った。

      無衣(ぶい)の詩   「詩経 秦風」

       豈に衣無しと曰(い)わんや、子(なんじ)と袍を同じくせん

       (=君に衣が無いわけではないが、君と同じ綿入りの服を着よう。)

       王ここに師を興さば、わが戈矛を修め、子と仇を同じくせん。

       (=いざ王が兵を動員する時 武器を手入れし、君と同じ敵に

         立ち向かおう。)

       豈に衣無しと曰わんや、子と沢(肌着)を同じくせん。

       王ここに師を興さば、我が矛戟を修め、子とともに

      作(た。=立ち上がる)たん。

       豈に衣無しと曰わんや、子と裳(しょう。戦闘服)を同じくせん。

       王ここに師を興さば、我が甲兵を修め、子と偕(とも)に行かん。

      「無衣の詩」を聞いて、申包胥は頓首の礼を九回繰り返し、ようやく

     席に戻った。

      かくして秦軍は、楚の救援に立ち上がった。

                「春秋左氏伝 定公五年」



       
          


     
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    テーマ : 中国古典・名言
    ジャンル : 学問・文化・芸術

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    tyouseimaru 河野長生

    Author:tyouseimaru 河野長生
    出身地は四国八十八か所参りの発心の阿波、大阪を終の棲家とする。
    歴史好きで、城郭・神社仏閣・歴史遺跡巡りが趣味となる。
    歴史小説や時代小説を好み、往年の著名な時代小説の類は概ね完読と、自負している。

    自薦
    自著「中国通史で辿る名言・故事探訪」の 上・中・下の3巻を、 近い内に「電子書籍」での出版を予定しています。 今年一年間は、さらに工夫を加えるなどして、補記訂正などの校正を第一義としています。       
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