中国通史で辿る名言・故事探訪(刎頸之交)
「刎頸之交(ふんけいのまじわり)」
◇ 戦国時代 ◇
極めて親密な交際の例え。
例え 首が刎ねられるように事になっても悔いは無いというほどに、
固い友情に支えられた交際を言う。
趙の惠文王の時代、「和氏の璧」を全うした藺相如(りんしょうじょ)
はその功により、上大夫となり、さらにその三年後には
澠(めんち)地の会盟で趙王の窮地を救った功で上卿に任ぜられた。
☞ 澠地の会盟とは、戦勝国の秦と敗戦国の趙との戦後処理
の和平の会盟。
時に趙では、名将と言われた廉頗(れんぱ)も上卿であったが、
遂に藺相如が自分より上席に座ることになったので気分を害した。
面白くも無い廉頗は、見せしめに藺相如に恥を掻かせてやろうと策を
講ずるが、その事を知った藺相如は、逃げ回るばかりであった。
余りの情けなさに、藺家の舎人どもが一緒になって主を諌めて曰く、
「臣が親戚(家郷の意)を去り君に仕える所以は、唯に君の高義を
慕えばなり。
今 君、廉頗と列を同じくし、廉君 悪言を述べれば、君 畏れて
これに匿れ、恐懼すること殊に甚だし。
かつ庸人(凡夫)すら猶これを恥ず、況や相将(宰相と将軍)に
おいてをや。臣ら不肖なれども,請う、辞し去らん」と。
藺相如は彼らを引き留めて曰く、
「あなた達を見るに、廉頗将軍と秦王とでは、どちらが
怖ろしいか」と。
舎人曰く、
「もちろん秦王です」と。
相如曰く、
「それ秦王の威を以ってして、相如これを廷に叱っして、其の群臣を
辱しむ。
(=それほど威のある秦王にさえ、この私は秦の朝廷に於いて
王を叱責し、群がる臣下どもを辱めてやったものだ。)
相如 駑なり(愚か者)と雖も、独り廉頗将軍を畏れん哉(や)。
顧みて吾これを念(おも)うに、彊秦(強い秦)の敢えて兵を趙に
加えざる所以は、唯に吾が両人の在るを以てなり。
今、両虎 共に闘わば、その勢い共に生きず。
(=今、二頭のトラが喧嘩すると、その成り行きとしてお互いに無事
でいられる訳はないのだ。)
吾 此れを為す所以は、国家の急(危急)を先にして、
私讐(個人的恨み)を後にするを以ってなり」と。
「肉袒負荊(にくたんふけい)」
肌脱ぎになって茨を背負い、存分に処罰をして欲しいという、
春秋戦国時代における君侯大夫らの謝罪の慣行的方法。
後にこのことを伝え聞いた廉頗は、大いに恥じて、
肉袒して荊を負い、賓客に因り藺相如の門に至り、罪を謝して曰く、
「鄙賤の人(卑しいこの私)、将軍の寛なることの此(ここ)に至るを
知らざるなり」と。
遂に相与(あいとも)に驩(よろこ)び、刎頸の交わりを為す。
「史記 廉頗・藺相如列伝」
◇ 戦国時代 ◇
極めて親密な交際の例え。
例え 首が刎ねられるように事になっても悔いは無いというほどに、
固い友情に支えられた交際を言う。
趙の惠文王の時代、「和氏の璧」を全うした藺相如(りんしょうじょ)
はその功により、上大夫となり、さらにその三年後には
澠(めんち)地の会盟で趙王の窮地を救った功で上卿に任ぜられた。
☞ 澠地の会盟とは、戦勝国の秦と敗戦国の趙との戦後処理
の和平の会盟。
時に趙では、名将と言われた廉頗(れんぱ)も上卿であったが、
遂に藺相如が自分より上席に座ることになったので気分を害した。
面白くも無い廉頗は、見せしめに藺相如に恥を掻かせてやろうと策を
講ずるが、その事を知った藺相如は、逃げ回るばかりであった。
余りの情けなさに、藺家の舎人どもが一緒になって主を諌めて曰く、
「臣が親戚(家郷の意)を去り君に仕える所以は、唯に君の高義を
慕えばなり。
今 君、廉頗と列を同じくし、廉君 悪言を述べれば、君 畏れて
これに匿れ、恐懼すること殊に甚だし。
かつ庸人(凡夫)すら猶これを恥ず、況や相将(宰相と将軍)に
おいてをや。臣ら不肖なれども,請う、辞し去らん」と。
藺相如は彼らを引き留めて曰く、
「あなた達を見るに、廉頗将軍と秦王とでは、どちらが
怖ろしいか」と。
舎人曰く、
「もちろん秦王です」と。
相如曰く、
「それ秦王の威を以ってして、相如これを廷に叱っして、其の群臣を
辱しむ。
(=それほど威のある秦王にさえ、この私は秦の朝廷に於いて
王を叱責し、群がる臣下どもを辱めてやったものだ。)
相如 駑なり(愚か者)と雖も、独り廉頗将軍を畏れん哉(や)。
顧みて吾これを念(おも)うに、彊秦(強い秦)の敢えて兵を趙に
加えざる所以は、唯に吾が両人の在るを以てなり。
今、両虎 共に闘わば、その勢い共に生きず。
(=今、二頭のトラが喧嘩すると、その成り行きとしてお互いに無事
でいられる訳はないのだ。)
吾 此れを為す所以は、国家の急(危急)を先にして、
私讐(個人的恨み)を後にするを以ってなり」と。
「肉袒負荊(にくたんふけい)」
肌脱ぎになって茨を背負い、存分に処罰をして欲しいという、
春秋戦国時代における君侯大夫らの謝罪の慣行的方法。
後にこのことを伝え聞いた廉頗は、大いに恥じて、
肉袒して荊を負い、賓客に因り藺相如の門に至り、罪を謝して曰く、
「鄙賤の人(卑しいこの私)、将軍の寛なることの此(ここ)に至るを
知らざるなり」と。
遂に相与(あいとも)に驩(よろこ)び、刎頸の交わりを為す。
「史記 廉頗・藺相如列伝」
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