中国通史で辿る名言・故事探訪(視の箴)
「視の箴(しん)」
宋代
物事を正しく視ることの戒め。
☞ 箴は、戒めるの意。
宋の「程伊川(ていいせん)の四箴」の内の一つ。
「心は本(もと)虚、物に応じて跡無し。
之を操るに要有り。視ること之が則(のり)たり。
(=心は、本来的には実体の無いものであり、万物に応じて処処変化
し、その跡は見ることが出来ない。
そこで要領というものが有り、正しく物事を「視る」ということが
其の要諦なのである。)
蔽前(へいぜん)に交われば、其の内(うち) 則ち遷(うつ)る。
(=眼の前を覆えば、どうしても安易に陥りやすいもの。)
之を外に制して、以って其の中(うち)に安(やす)んじ、
己に克(か)ちて礼に復(かえ)る。
(=そこで、眼を覆う元凶となる物欲を抑えて、心を安らかにし、
礼に立ち戻るべし。)
久しくして誠有り。」
(=さすれば自ずと、誠実な心になれよう。)
※ 「視の箴」は、「聴の箴」・「動の箴」・「言の箴」と共に
「程伊川(程頤)の四箴」といい、外物に捉われない心の修養説
である。
「視の箴」は、「論語 顔淵篇」の
「礼に非ざれば視ること勿れ」を敷衍し発展させたもの。
宋代
物事を正しく視ることの戒め。
☞ 箴は、戒めるの意。
宋の「程伊川(ていいせん)の四箴」の内の一つ。
「心は本(もと)虚、物に応じて跡無し。
之を操るに要有り。視ること之が則(のり)たり。
(=心は、本来的には実体の無いものであり、万物に応じて処処変化
し、その跡は見ることが出来ない。
そこで要領というものが有り、正しく物事を「視る」ということが
其の要諦なのである。)
蔽前(へいぜん)に交われば、其の内(うち) 則ち遷(うつ)る。
(=眼の前を覆えば、どうしても安易に陥りやすいもの。)
之を外に制して、以って其の中(うち)に安(やす)んじ、
己に克(か)ちて礼に復(かえ)る。
(=そこで、眼を覆う元凶となる物欲を抑えて、心を安らかにし、
礼に立ち戻るべし。)
久しくして誠有り。」
(=さすれば自ずと、誠実な心になれよう。)
※ 「視の箴」は、「聴の箴」・「動の箴」・「言の箴」と共に
「程伊川(程頤)の四箴」といい、外物に捉われない心の修養説
である。
「視の箴」は、「論語 顔淵篇」の
「礼に非ざれば視ること勿れ」を敷衍し発展させたもの。
☷ 拾遺・弥縫
「視の箴」は、「言の箴」と対をなす。
「言の箴」では、人の心の動きは言葉で述べられるので、道理に
合わないこと、身勝手なこと、軽々しい言、冗長な言は慎むべきだと
する。
言葉を発する時、落ち着きのない態度を抑制すれば、心静かに
統一できるようになると教える。
何にも増して言行は、「君子の枢要」と言われており、最も大切な
ものだとする。
吉凶栄辱も、言葉の招くものである。
軽々しい発言は不用意であり、冗長な言葉は理解不能である。
身勝手な言動は敵を作り、道を違えば我が身にも不条理を受ける
に至る。
道理に合わなければ、言うべきはない。
この教えをよく慎め、と。
「視の箴」は、「言の箴」と対をなす。
「言の箴」では、人の心の動きは言葉で述べられるので、道理に
合わないこと、身勝手なこと、軽々しい言、冗長な言は慎むべきだと
する。
言葉を発する時、落ち着きのない態度を抑制すれば、心静かに
統一できるようになると教える。
何にも増して言行は、「君子の枢要」と言われており、最も大切な
ものだとする。
吉凶栄辱も、言葉の招くものである。
軽々しい発言は不用意であり、冗長な言葉は理解不能である。
身勝手な言動は敵を作り、道を違えば我が身にも不条理を受ける
に至る。
道理に合わなければ、言うべきはない。
この教えをよく慎め、と。